The ghost of Ravenclaw - 089

11. 襲撃のハロウィーン

――Harry――



 誘われるままにハリーはルーピン先生の事務室へと入って行った。ルーピン先生はちょうど次の授業で取り扱うグリンデローを調べていたところらしく、部屋の隅には届いたばかりだという大きな水槽が置いてあった。水槽の中には鋭い角を生やした何やら気味の悪い緑色の生き物が入っている。どうやらこれがグリンデローらしい。

「グリンデローは水魔なんだ」

 ハリーにグリンデローを見せながらルーピン先生が言った。

「こいつはあまり難しくはないはずだ。なにしろ河童のあとだしね。コツは、指で絞められたらどう解くかだ。異常に長い指だろう? 強力だが、とても脆いんだ」

 グリンデローは肌も緑なら歯も緑色で、目は不気味な黄色だった。強力だがとても脆いと言われた指は細くて長い――グリンデローはそんな指を今すぐにでも目の前にいるハリーやルーピン先生を絞め殺したいとばかりに曲げたり伸ばしたりを繰り返していたが、やがて水槽の隅にあった水草の茂みに潜り込んで見えなくなった。

「紅茶はどうかな?」

 グリンデローが姿を隠すとルーピン先生が訊ねた。先生はちょうど飲もうと思っていたところだったらしい。ハリーがぎこちなくも「いただきます」と答えると、ルーピン先生は棚からヤカンを取り出して杖で突いた。するとたちまちヤカンの口から湯気が噴き出すので、今のはどんな呪文を使ったのだろうかとハリーはまじまじとヤカンを見た。

「お座り」

 今度は紅茶の缶を手に取ると、ヤカンを見ていたハリーにルーピン先生が優しく促した。ハリーがどこに座れば良いかと見てみると、事務机の脇に女性もののブランケットが置かれた椅子が一脚置いてある。もしかするとハナがよくここに座るのかもしれない。ハリーはそう思いながら、ブランケットを丁寧に脇に置くとその椅子に座った。

「すまないが、ティー・バッグしかないんだ――しかし、お茶の葉はうんざりだろう?」

 ハリーが腰掛けたところで、またルーピン先生が言ってハリーは先生を見上げた。紅茶の缶から取り出したティー・バッグをマグカップの中に入れ、お湯を注いでいる先生の目は、まるで悪戯っ子のようにキラキラと輝いている。

「先生はどうしてそれをご存知なんですか?」
「マクゴナガル先生が教えてくださった」

 淹れたての紅茶のマグカップを手渡しながらルーピン先生が続けた。落としたことがあるのか、マグカップの縁が少し欠けてしまっている。

「気にしたりしてはいないだろうね?」
「はい」

 ハリーは平気だとばかりに頷きながらも、一瞬マグノリア・クレセント通りで見掛けた犬のことをルーピン先生にも訊ねてみようかと考えたが、思い止まった。先生に野良犬にも怯えている臆病者だと思われたくはなかったのだ。なぜならハリーは先生が自分のことを「ボガートと対決出来ない臆病者」だと思っているのではないかとどこかで心配していたからだ。

「心配事があるのかい、ハリー」

 どうやら考えていることが顔に出ていたらしい。ルーピン先生に訊ねられて、ハリーは咄嗟に「いいえ」と答えて紅茶を少し飲んだ。そうでなくとも先生は汽車の中でハリーが吸魂鬼ディメンター相手に気を失うところを見てしまっている。これ以上臆病者だと思われなくはなかった。

 しかし、ハナはボガートの件について「ルーピン先生に何か考えがあったからに違いないわ。別に恐怖に勝てない臆病者だと考えたとかそういうことではないと思う」と話していた。あれはハリーに対する慰めの言葉だと思っていたけれど、もしそうじゃなかったら? ハリーはハナの言葉をもう一度信じてルーピン先生に正直に心配事があると話してみることにした。

「はい、あります」

 ハリーは紅茶のマグカップをルーピン先生の事務机の上に置きながら言った。

「先生、ボガートと戦ったあの日のことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ」
「どうして僕に戦わせてくださらなかったのですか? あのハナが何か理由があるんじゃないかって話してて、僕その理由がずっと気になってて――」

 ハリーがそう言うとルーピン先生はその質問が来るとは思わなかったとばかりにちょっと眉を上げた。

「ハリー、言わなくとも分かることだと思っていたが」

 一方ハリーの方もルーピン先生がハナの言う通りだと言ってくれるものだと予想していたので、意表を衝かれた気持ちになった。

「どうしてですか?」

 ハリーは戸惑いながら同じ質問を繰り返した。

「そうだね――ボガートが君に立ち向かったら、ヴォルデモート卿の姿になるだろうと思った」

 ルーピン先生が難しい顔をしつつそう言って、ハリーは目を見開いた。予想もしていない答えだったというのもあるが、何よりルーピン先生がヴォルデモートの名前を口にしたことに驚いていた。その名前を口にするのはハリーが知っている限りでは、ハリーとハナ、そして、ダンブルドアしかいなかった。

「確かに、私の思い違いだった」

 難しい顔のままルーピン先生が続けた。

「しかし、あの職員室でヴォルデモート卿の姿が現れるのは良くないと思った。みんなが恐怖にかられるだろうからね」
「最初は確かにヴォルデモートを思い浮かべました。でも、僕――僕は吸魂鬼ディメンターのことを思い出したんです」

 ハリーが正直に話すと、ルーピンは「そうか」と考え深げに言って、フッと柔和な笑みを浮かべた。

「感心したよ。それは、君が最も恐れているものが――恐怖そのもの――だということだからだ。ハリー、とても賢明なことだよ」

 ハリーはどう返していいか分からず、事務机の上に置いていたマグカップを手に取るとまた紅茶を少し飲んで誤魔化した。すると、

「それじゃ、私が“君にはボガートと戦う能力がないと思った”そんなふうに考えていたのかい?」

 ルーピン先生がハリーの心の中を読んだかのように鋭く言い当てた。ハリーはようやくルーピン先生にそんな意図はまったくなかったのだということが分かってホッとしながら、「なら、ボガートと対決させて欲しい」と頼もうと口を開いた。ハナが頼めばボガートが見つかった時に対決させてくれるだろうと話していたことを思い出したのだ。

 しかし、ハリーが頼む前にタイミング悪く誰かが扉をノックして、ハリーは口を閉じた。そんなハリーの様子に気付くことなく、ルーピン先生が穏やかな声音で「どうぞ」と促すと、ノックされた扉がゆっくりと開いた。そうして事務室の中に入ってきたのは、

「ああ、セブルス」

 ハリーが会いたくない人物――セブルス・スネイプだった。