Side Story - 1991年09月

アズカバンにて

――Sirius――



 親友のジェームズ・ポッターが「レイブンクローの幽霊」を話題に出すようになったのは、1年生の時――まもなく冬が近付いてくるというころ――だった。確か「湖のほとりで不思議な女の子に会った」と話したのが最初だったように思う。彼女はハナ・ミズマチというらしいのだが、ジェームズ曰く、

「何年生か当てるのが僕の宿題なんだ」

 とのことだった。なんだそりゃ。

「そいつ、レイブンクローだって言ってたんだろ? だったら、レイブンクロー生にでも聞いてみたらいいんじゃないのか?」
「よし、明日から実行だ!」

 今はもう夜だから無理だろうが、これは明日からレイブンクロー生を見つけては、「やあ、ハナ・ミズマチって知ってるかい?」と訊ねて回る生活が始まるのだろう。こうもジェームズにいとも簡単に興味を抱かせた女子生徒というのも、珍しいように思う。他にいるとしたら、リリー・エバンズとスニベルスくらいじゃないだろうか。いや、スニベルスは女じゃないか。想像してしまった。おえ……。

「で、どんな奴だったんだよ。名前聞いても知らないなら、超地味女だったとか」
「いや、超美少女だった」
「それじゃ目立つから名前くらいは耳にしそうなものだけどな」
「そうなんだ。いやぁ、ホグワーツではリリー・エバンズが一番だと思っていたけど、あの子もなかなかだったな」

 ジェームズが言うには、そのハナ・ミズマチはアジア系の顔立ちで、明るいヘーゼルの瞳をしているらしい。ヘーゼルと言えば、ライトブラウンとダークグリーンの丁度中間のような色合いだが、その瞳が太陽の光に晒されるとまるでゴールドのように変化して見えるらしい。「あの瞳は神秘的だな」とジェームズは話していた。

 ハナ・ミズマチは髪の色も不思議で、こちらも太陽の光に当たると茶色く透けてキラキラと輝くらしい。僕はジェームズの話を聞きながら、かろうじて記憶している女性と照らし合わせてみたが、該当するような生徒は1人もいなかった。

「まあ、ジェームズの初恋相手の捜索は手伝うさ」

 揶揄からかい混じりの僕の言葉に、ジェームズは肯定も否定もしなかった。この時も、そのあともずっと――


 *


 懐かしい夢を見て目が覚めた。
 出来ればこのままずっと夢の中にいたかったと思う程には良い夢だった。けれども目覚めた私を待ち受けるのは寒々しいアズカバンの監獄で、温まった心が急激に冷えていくのを感じた。いけない。犬になって凌がねば。

 無登録の動物もどきアニメーガスで良かったとこれほど思ったことはないだろう。犬になると言語は不自由になるが、人間的な思考はちゃんと保たれる。これは私にとってとてもプラスになった。しかも、アズカバンの看守であり人の感情を読み取り幸福を餌にする吸魂鬼ディメンターは、犬になった私の思考を上手く読み取れないようだった。思考が人間の複雑なものから単純なものへと変化するものだから、私が狂ったのだと思うのだろう。

 犬の姿になり監獄の隅に丸くなると、私は再び先程見た夢のことを考えた。今は亡き親友ジェームズが見つけた少女、ハナ・ミズマチとは片手で足りる数しか会ったことがなかったが、何故だか彼女は私達の中に当たり前のように収まった。改めて考えるとああも易々と受け入れた自分自身が不思議だが、私達が経験した不思議な経験がそうさせたのかもしれない。

 そんな彼女には一度だけ、「何か重大なことを決める時、自分自身以外を信じたらダメよ」と忠告をされたことがあった。バカな私はそれを自分の考え・・・・・以外を信じるなと言われたのだとなんとなく思っていた。だから私は自分の考え・・・・・を信じてピーターを秘密の守人にしようと考えた。計画は完璧だと思った。

 ハナが知ったら幻滅するだろう。ハナはあの時、私自身以外誰も信じるなと言いたかったのだ。親友の命を他人に託すような真似はよせ、とそう言いたかったのだ。彼女は私達の前から消える最後のその瞬間まで、何か訴えようと必死だったというのに。思えばあの時もジェームズのことを伝えたかったに違いない。彼女は未来でどうなるのか知っていたのだ。

 何故もっとはっきり言ってくれなかったんだとハナを恨んだこともあった。知っていたらあの時、私はピーターには秘密の守人を任せなかったかもしれない、と。けれど、それはただの逆恨みでしかない。彼女の忠告を守らなかったのはこの私なのだ。それに学生時代にピーターが裏切ると聞いたら私達は親友を侮辱されたと思って、ハナとは距離を置いたかもしれない。「本がなんだ。ピーターには会ったこともないくせに」と。

 ハナは今どうしているだろうか。ダンブルドアの予見が正しければ、あのハロウィーンの夜破滅したヴォルデモートは、まだ虫の息ながらも生き延びているに違いない。そして、彼女を自らの元へ呼び出そうとするはずだ。しかし、いつどこに彼女が呼び出されたか分かっても、今の私にはどうすることも出来ないのだ。

 どうすることも出来ないくせに、私は相変わらずバカだから、彼女がまた私の目の前にひょっこり現れるんじゃないかと考えることがある。そうして許されるのなら、たった1人私の無実を知っている彼女に会いたいと願ってしまうのだ。

 もしかしたらそれこそが、私の罪なのかもしれない。