The ghost of Ravenclaw - 082

11. 襲撃のハロウィーン



 セドリックのデートの誘いを断ってからというもの、私は以前にも増して勉強や呪文の練習に打ち込むようになった。最近では夕方は図書室で山のように本を抱えて宿題をし、夜はシリウスの元で呪文の練習するという日々を送っている。このところ天気が崩れることが多くなり雨の日も増えたけれど、土砂降りでない限り私はシリウスの元に行った。そうすると、余計なことを考えなくて済んだ。

 シリウスの元で行う呪文の練習は専ら目くらまし術だった。シリウスは私のこれまでの2年間の経験を踏まえて、守護霊の呪文よりも先に目くらまし術を覚えるべきだと考えたのだ。最初は小さな物から練習し、次第に大きな物へと変わり、自分自身で練習するようになったのは2日前のことだった。自分に杖を向け、目くらまし術を使うと頭の先から冷たいものがトロトロと流れていく感じがするから不思議だ。しかし、呪文が掛かるとまるでカメレオンになったかのように周りの景色に馴染んでしまうのは面白かった。

「どう? どこも見えてるところはない?」

 小雨が降りしきる夜の禁じられた森の中――ハロウィーンが1週間後に近付いてきたこの日も私はシリウスのテントの中で目くらまし術の練習をしていた。つい昨日は衣服だけが透明にならず宙に浮いているという失態を犯したのだけれど、今日は上手くいったようで自分で見る限り、私は周りの景色に溶け込んでいた。これがもっと上達すれば完全な透明になれるらしい。練習あるのみである。

「完璧だ。ただ、熟達した魔法族の目はそれほど誤魔化せないかもしれないな。よーく見てみると違和感がある。だが、生徒の目は間違いなく誤魔化せるだろう」
「練習を続けないといけないわね。あとは杖なしで使えたらいいのだけれど――杖なしってどうしても難しいのよね。杖がある方がより呪文を繊細に扱える気がするわ」
「そりゃそうだ。杖とはそういうものだからな。しかし、短期間でこれだけ上達するとは流石だ」

 少しだけ私が立っている位置とは違うところを見ながらシリウスが言った。どうやらまあまあ上手く呪文が使えているらしい。シリウスの言うように熟達した魔法族の目を誤魔化せる気はしないが、空を飛ぶなら今のままでもいいだろう。そのことが分かれば十分だ。

「きっと先生が良かったのね」

 目くらまし術を掛けた時と同じように自分に杖を向けて呪文を解くと私は言った。冷気で冷え切った体に今度は熱いものが流れ込んでくるのが分かって、頭の先からじんわりと体温が戻っていくのを感じた。魔法とは不思議なものである。

「では、ミス・ミズマチ」

 先生が良かったという言葉が満更でもなかったのか、まるでマクゴナガル先生のような口調でシリウスが言った。私もそれに合わせて「はい、先生」と真面目ぶって答えると、シリウスはニヤッと笑った。

「えー――次は守護霊の呪文に移る」

 元の口調に戻ったシリウスが続けた。

「前にも少し話した通り、守護霊の呪文は高度な呪文だ。なぜなら、今まで練習してきた目くらまし術とは違って、自分の幸福をエネルギーに変えなければならないからだ。これが非常に難しい。しかし、この幸福をエネルギーに変えられなければ、守護霊は生み出すことが出来ない」

 守護霊の呪文はその難しさから、大人の魔法使いでも扱える人は多くないのだという。光や靄の状態ですら生み出せない魔法使いがほとんどで、それだけでも優れた魔法使いの証となるのだそうだ。有体の守護霊となると更にほんのひと握りとなり、そうなると魔法省の職員やウィゼンガモット――イギリス魔法界の司法機関――のメンバーに頻繁に選ばれたりするそうだ。エリート中のエリートという訳である。

 因みに守護霊は一般的に動物の姿となるのだという。最も多いのは犬や猫、馬などの身近な動物だが、どの動物となるかは自分の意思で選べる訳ではない。しかし、大抵の場合、動物もどきアニメーガスの時と同じ動物が守護霊となるのだそうだ。その証拠にシリウスの守護霊は犬だったし、ジェームズは牡鹿、リーマスは狼だったらしい。私の場合はきっと鷲だろう。

「守護霊の興味深いところは自分の精神状態が大きく反映されるところだ。リリーの守護霊が牝鹿となったようにね」
「リリーの守護霊は以前は違ったの?」
「いや、正確なことは分からない。ただ、ジェームズと付き合う前にリリーが守護霊の呪文を使いこなせていたとしたら、確実に違う動物だっただろう」

 それから私はシリウスに教えてもらいながら守護霊の呪文の練習を始めた。シリウスが言うにはより幸福な記憶がより強い守護霊を生み出すそうで、そこから生まれる正のエネルギーを杖で円を描きながら呪文を唱えることによって増幅することが出来るという。つまり、この呪文を上手く使いこなすためにはいかに幸福な記憶を思い浮かべられるかに掛かっているという訳だ。

「幸福な記憶は、幸福であればあるほどいいが、実際、自分自身が幸せだと思える記憶ならなんでもいい。初めて空を飛んだ時、呪文が成功した時――ただ重要なのは自分がその記憶で最も幸せだと感じることだ」

 私の幸せな記憶とは一体なんだろう――シリウスの話を聞きながら私は考えた。ジェームズとシリウスとリーマスと4人で地下鉄に乗って、メアリルボーンの自宅まで冒険した時。あれは大変だったけれど、とても楽しかった。みんなで笑い合って、最後には写真を撮って、幸せだった。

「エクスペクト・パトローナム」

 くるりと杖先で円描きながら呪文を唱えると、杖先からまるで煙草の煙のようにフワフワと銀色の靄のようなものが微かに生まれた。しかし、初めてにしては上手くいったと思えたそれは辺りに漂うこともなく、すぐに消え失せてしまった。

「初めてにしては上出来だろう」

 シリウスが淡々と言った。

「しかし、どうも弱々しい」
「幸福感が足りなかったのかしら」
「そうかもしれないな。とはいえ、靄を生み出せただけでも上出来だ。これすら出来ない奴は多い」
「でも、煙草の煙みたいだったわ」

 ガッカリしたように肩を落とすと、シリウスは励ますように私の肩をぽんぽんと叩いた。

「練習あるのみ、だ。もう一度やろう」

 それからというもの私はシリウスの元に通える日は欠かさず守護霊の呪文を練習したけれど、何度試しても初めて生み出した以上のものは出せないままだったのだった。