The ghost of Ravenclaw - 075

10. 満月とセドリックの誕生日



 早朝の静まり返ったホグワーツ城の廊下は、朝日が差し込んでどこか荘厳な雰囲気を纏っていた。廊下に掛けられた絵画の中では誰も彼もが眠っていて、中にはしっかりと寝巻きを着込んでナイトキャップを被っている人までいる。これまであまり気にしたことはなかったけれど、彼らが絵画の中でどこでどのように服を着替えているのかふと気になった。見られないように枠の外に出て着替えているのだろうか。そもそも寝巻きやナイトキャップはどこにしまっているのだろう。魔法界の絵画の中は不思議な世界だ。

 ポリジュース薬が完成したウキウキとした気持ちと今も叫びの屋敷にいるであろうリーマスの体調を心配するソワソワとした気持ちとが混在した妙な気持ちのまま、私は廊下を進み、階段を下り、厨房へと向かった。リーマスといえば、今朝、思いがけず昔のことを聞いてしまったけれど、あれは知らないふりをした方がいいだろう。いずれ私が動物もどきアニメーガスだと話す時が来たら、聞いてしまったことを謝ろうと思う。

 玄関ホールへ出ると中央にある大理石の階段の右側の扉から地下へと下りた。魔法薬学の教室やスネイプ先生の研究室がある左側の扉を下りた先とは違い、こちらはいつでも明々とした松明に照らされている。この辺りにハッフルパフ寮があると聞いたことがあるのだけれど、私はどこが入口なのかを知らなかった。

 巨大な銀の皿に果物が盛られている絵画の前に辿り着くと、私は辺りを確認してからその中にある大きな緑色の梨をくすぐった。すると梨はクスクス笑いながら身を捩って、大きな緑色の取っ手となり、絵画は扉へと姿を変えるのである。私はもう何度となく梨が取っ手に姿を変える瞬間を見ているけれど、クスクス笑って身を捩っている姿が可愛くて好きだった。

「おはよう、みんな。お邪魔してもいいかしら?」

 扉を開けて中に入ると100人近くの屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達がもう既に働いていた。扉の近くにいた何人かが私が入ってきたことに気付くと、彼らはいつものように快く迎え入れてくれた。屋敷しもべ妖精ハウス・エルフはとても働き者ないい子達なのである。

「いつものバスケットに今日はたっぷり食事を詰めてほしいの。チキンがあると嬉しいわ」
「かしこまりました。お任せください、お嬢様!」

 屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達はそういうと、いつものバスケットの中にさまざまな食事を詰め込み始めた。サンドイッチにこんがり焼いたハム、たっぷりのハーブと塩と胡椒で味付けされたチキン、マッシュポテトに瓶に入ったカボチャジュース――本当にたっぷり詰めてくれたので、バスケットはパンパンだった。

「いつも本当にありがとう」

 完成したバスケットを受け取ると私は屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達を見渡して言った。本当に良くしてもらっているのでもっと何かお礼をしたいところだけれど、これがまた難しいところなのだ。彼らはお礼に慣れてはいないし、お礼の品によっては彼らを傷つけてしまうこともあるからだ。例えば衣服なんかは彼らにとって解雇を意味する。

 人間の感覚からすると理解し難い部分も多いけれど、彼らは彼らなりの価値観を持って生きている。人間のために働くということは彼らの最大の喜びであり、自らの存在を証明するアイデンティティでもあるのだと思う。その彼らの思想は尊重されなければならないけれど、彼らの思いを踏み躙り、利用する人達も多い。マルフォイ家で働いていたドビーも利用されていた中の1人だろう。ハリーがマルフォイ家から解放したというが、彼は今何をしているのだろうか。

「ねえ、みんなはドビーという子を知らないかしら?」

 私は気になって訊ねた。すると周りにいた屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達が明らかに動揺した様子で顔を見合わせ、ヒソヒソと話し始めた。

「お嬢様、わたくし達はドビーをご存じです」

 女の子の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフが答えた。

「ドビーはおかしくなってしまったのです。お給料やお休みが欲しいという不名誉な屋敷しもべ妖精ハウス・エルフなのです」

 言い切るや否や、彼女はワッと泣き出した。そんなことは決して許されないとでも言いたげだ。

「ドビーは新しい雇い主を見つけられたのかしら?」
「いいえ、お嬢様。多くの魔法族はお給料やお休みを欲しがる屋敷しもべ妖精ハウス・エルフを雇おうとはいたしません」

 今度は別の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフが答えた。つまりドビーはあれ以来新しい就職先が見つからずに今もどこかで彷徨っているかもしれない、ということである。

 私は出来ることならドビーを雇いたいと思ったけれど、そう簡単にはいかないことは重々承知していた。私は秘密を多く抱え過ぎているし、そもそも1年の多くはホグワーツにいてドビーにしてもらう仕事もそれほどない。それに魔法界の給料の相場を私は知らなかった。聞いてみたい気もするけれど、給料を貰うという習慣のない彼らに訊ねればもっと困らせてしまう気がして、私はこれ以上訊くことが出来なかった。

「そうだったのね……教えてくれてありがとう。戸惑わせてごめんなさい」

 お礼を言って厨房から出ようとすると、屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達はひっきりなしにお辞儀をし、女の子は丁寧に膝を折ってカーテシーのような仕草をした。先程泣いてしまった子も大きな目に溜まった涙を拭いながら私にお辞儀をしてくれ、私は「今度は楽しい話をしましょう」と言って彼女と握手をした。

「ハナ?」

 そうして厨房から出たところで誰かに声を掛けられて私は慌てて振り返った。しまった――私はたくさんの料理が詰め込まれたバスケットを抱えたまま目の前に立つ人物にどう言い訳をしようか考えていた。1人じゃ到底食べきれない量の食事を持って一体どこに行くのかと怪しまれないだろうか。私は頭をフル回転しつつ、平静を装いながら口を開いた。

「おはよう、セドリック。偶然ね」
「おはよう、ハナ。早いね。君は――厨房かい? 前にこの辺りに忍び込むウィーズリーの双子を見かけたことがある」
「そうなの。あー――リーマスのところに行こうと思って。彼、最近具合が悪いから私室にいろいろ食べ物を持っていこうと思ったのよ。たくさんあればどれか食べられるものがあるかともしれないと思って。セドリックはこんな早くにどうしたの?」
「僕は今日から本格的にクィディッチの練習が始まるんだ。その前に少し体を動かそうと思ってね」
「そうだったのね。なら、玄関ホールまで一緒にどう?」
「もちろん」

 ニッコリ笑って頷くセドリックを見て、私は内心ホッと胸を撫で下ろした。上手く誤魔化せたとは思うが、いつでも誠実に接してくれるセドリックに嘘をつくことになってなんだか申し訳なくて、私は玄関ホールに出ると逃げるように大理石の階段を駆け上がったのだった。