The ghost of Ravenclaw - 073

10. 満月とセドリックの誕生日



 あれから夕方になるまで、リーマスはほとんどベッドに横になり眠って過ごした。しかし、いよいよ満月の夜が近付いてくると、元々良くなかった体調は一層悪くなってしまったようだった。叫びの屋敷に移動するために起き上がったリーマスはいかにも病人のような顔色で、私は心配になった。せめて暴れ柳の前までは一緒にいたかったけれど、リーマスは決して首を縦には振らなかった。

 1日中リーマスの私室にいたから気付かなかったけれど、夕食の時間になり廊下に出てみると、いつの間にか空は灰色の雲で覆い尽くされていた。確か狼人間に変身する時の条件は「完全な満月の出現」だったように思うけれど、曇り空の時はどうなるのだろうかとふと気になった。でも、仮に曇り空の日に狼人間にならなかったとしても、リーマスが一晩孤独に耐えなければならないことには変わりないのだろう。

 調べたところによると、狼人間というのはウェアウルフィー――いわゆる人狼症と呼ばれる感染症によって引き起こされるのだそうだ。狼人間に咬まれることによって感染し、生き延びるためには咬まれたあとすぐに粉末状の銀とハナハッカを混ぜ合わせたものを傷口に塗らなければならないけれど、被害者の中には狼人間として生きるより死を望む人も多いという。

 それもそのはずだ。狼人間として生きるということは死ぬまで一生差別に晒されるということだし、一歩間違えば自分の大切な人達を危険に晒してしまうからだ。狼人間の変身は動物もどきアニメーガスと違ってコントロール出来ないし、理性も失ってしまう。もっと最悪なのは、変身の度に激痛を伴い、理性を失っている状態で経験したことは元の姿に戻っても覚えているということである。それがどれほどのものか、簡単に推し量れるものではないだろう。

 落ち着かない気持ちのまま夕食を食べ、就寝までの時間を過ごし、みんなが寝静まったのを確認してから私はいつも通り寝室の窓からこっそりと抜け出して厚い雲が垂れ込める夜空へ、鷲となって飛び出した。今夜はいつものように森へと向かわずに、叫びの屋敷がある方向へと向かって行く。

 初めて訪れた叫びの屋敷は、ホグズミード村の外れにある古い洋館だった。誰がどう見ても幽霊屋敷そのもので、窓や扉には板が打ち付けられている。そんな屋敷の周りをスーッと旋回すると、2階に唯一板が打ち付けられていない窓があることに気付いた。明かり取り用なのか高い位置にあり、人が簡単に入れないような細長い引き違い窓になっている。そんな窓にはいたの代わりに何か真っ黒な塊がくっついていた。あれは、ロキだ。

 ロキの隣に降り立つと、彼は私が誰だか分かっているようで「待ってたよ」と言わんばかりに体を擦り寄せてきた。我が愛梟あいきょうながら賢い子である。お返しに私も頬を擦り寄せていると、カラカラと目の前の窓が開かれた。

「ロキ、その子は友達かい?」

 窓から見下ろしてみるとそこにはリーマスがいた。曇り空の影響かそれともまだ完全な満月ではないのかまだ変身はしていないが、相変わらず体調は悪いようで、暗がりの中でもあまり顔色が良くないことが見て取れた。

「君が友達を連れてくるなんて珍しいな。鷲か――小さいから鷹かもしれないな。綺麗な目だ。私の親友と同じ色をしている」

 一瞬ドキリとしながら私はロキのあとに続いて窓から中に入った。リーマスは私達が中に入ったのを確認すると、念入りに施錠して窓が中からも外からも開けられないように魔法を掛けていた。もしかしたらロキが出入り出来るように高い位置にあるあの窓だけ板を外したのかもしれない。

「あまり良いところではないだろう?」

 部屋に入ると自嘲地味にリーマスが言った。
 叫びの屋敷の2階にあるこの一室は、なんだか埃っぽく雑然とした部屋だった。壁紙は剥がれ掛けているし、床も染みだらけで、家具という家具は破損している。外側からも見た通り、私が入ってきた明かり取りの窓以外の窓はすべて板で塞がれていた。

「全部私がやったんだ。ひどいものだ」

 部屋を見渡している私に気付いてリーマスが言った。剥がれ掛けた壁紙はリーマスが暴れて引っ掻いたものだし、床の染みは咬む相手がおらず苦しんで自分自身を傷つけてしまった時の血の跡だろう。私は苦しくなってリーマスの足元に歩み寄るとそっと頬を擦り寄せた。

「慰めてくれるのかい? ありがとう――だが、私から少し離れていた方がいい。きっと、もうそろそろだ」

 そう言って、リーマスが鷲の姿の私を軽々と持ち上げて、近くにあったベッドの上にそっと乗せた。ベッドはホグワーツの寮の寝室にあるような4本柱の天蓋ベッドでカーテンが付いていたけれど、ボロボロになって破れている。

 すると、急に部屋が明るくなったかと思うと空を覆い尽くしていた雲が切れ、明かり取りの窓の向こうから大きな金色に輝く満月が姿を現した。月明かりが私達を照らし、リーマスの足元には黒い影が落ちた。リーマスの手足が大きく震えている――変身が始まったのだ。

 次の瞬間、唸り声と共にリーマスの頭や体が伸び、背中が盛り上がった。顔や腕、体の至るところから毛が生え出し、手足の先は丸まり、鉤爪が生えた。唸り声は人間のそれから次第に獣の鳴き声となり、痛みに耐えて唸る口元から覗く鋭い牙が、満月に照らされてギラリと鈍く光っている。

 狼人間となったリーマスがそこにいた。それがリーマスだと分かっていなかったら、私が今鷲の姿になっていなかったら、恐ろしくて足がすくんでいたかもしれない。近付いてもリーマスは嫌がらないだろうか。迷っていると、ロキが「ホーゥ」と鳴いてリーマスの肩に止まった。

 どうやら近付いても大丈夫だと教えてくれているらしい――安心して私もリーマスに近付くと彼は戸惑っているようだった。きっと脱狼薬の作用で理性があるものだから、私やロキとどう接したらいいか変に考え込んでいるのかもしれない。リーマスが私とロキに向かって何か唸るように話し掛けたような気がしたけれど、それは狼の鳴き声となって部屋に響いて消えた。

 脱狼薬を飲んでいない時はあのまま痛みに唸り、人間を襲いたい衝動に苦しみもがき続けるのだと思うと私はぎゅうっと心が締め付けられる思いがした。これを彼はジェームズやシリウスと離れてからもずっと1人で耐え続けていたのだ。この孤独な優しい人に寄り添うこと以外に私に出来ることはあるだろうか。彼や、同じように苦しむ人々のために私が出来ることはあるだろうか。私だからこそ、出来ることは――。

 やがてリーマスがベッドの上に上がって丸くなると私達もそれぞれ両脇を陣取って眠りについたが、私は明け方近くになるまでなかなか眠ることが出来なかった。