Side Story - 1992年09月

穢れた血の小娘

――Riddle――



 1943年――ホグワーツ城の3階にある女子トイレにいたレイブンクロー生のマートル・エリザベス・ワレンを殺してからというもの、僕は何年もの間再び城内に隠された部屋を開き、穢れた血を殺すことを待ち望んでいた。しかしながら、日記に閉じ込められたただの記憶に過ぎない僕には自分の足で動き、部屋を開けることは困難だった。

 この僕にもしも有り余る魔力があれば誰かを操り部屋を開けられるのに――そうは思えど、元々僕に残されていた魔力は日記が誰かに使われることを待っている間にほとんど消え失せてしまっていた。今の僕は良くて返事を返す日記だったが、誰にも使われていない今はそれすらも叶わずただの古い日記に成り下がってしまっていた。

 そんな僕にポタリとインクが落ちてきたのは、長い屈辱に耐えに耐え、数えるのもうんざりするほど長い年月が過ぎてからだった。遂に誰かがこの日記に何かを書き込んだ――僕は歓喜に打ち震えながら「今日はダイアゴン横丁に入学の準備に行った」と書き込んできた相手に返事を書いた。

『初めまして。ホグワーツ入学おめでとう』

 書き込んできた相手はもうすぐホグワーツに入学するという小さな女の子だった。名前はジネブラ・ウィーズリーでほとんどの人に「ジニー」と愛称で呼ばれているらしい。残念ながらウィーズリー家は代々グリフィンドールの家系で僕はスリザリンの血筋ではないことにひどくガッカリしたけれど、再び得られた穢れた血を殺せる機会をみすみす逃す訳にはいかなかった。

 そういう訳で僕はジニーに親切なフリをすることにした。優等生のフリをするのは心底疲れるけれど、そんなに難しいことではない。ホグワーツに在籍していた時からそうだったが、昔からちょっといい顔をすれば大抵の人は僕にコロッと騙されるのだ。騙されなかったのはあの憎たらしいアルバス・ダンブルドア、ただ1人だけだった。

 その憎たらしいアルバス・ダンブルドアがホグワーツの校長職に就いていると知ったのはジニーが日記に書き込みはじめてすぐのことだった。ダンブルドアは初めて孤児院にやってきた時から気に食わなかったが、なんでも今はどこかの穢れた血の後見人になっているそうだ。この僕には見向きもしなかったダンブルドアが、だ。

 ダンブルドアが後見人となった穢れた血はハナ・ミズマチという小娘だった。僕と同じく両親を亡くした孤児で、どういうわけかロンドンのどこかにある家でダンブルドアとは別の保護者代わりの魔法使いと一緒に暮らしているらしい。決して孤児だからという理由だけでダンブルドアが後見人になった訳ではないだろうが、詳しく聞き出そうとしてもジニーは事情をまったく知らなかった。

 代わりに話してくれたのは、どうでもいいことばかりだった。レイブンクローに所属しているという彼女は成績優秀なばかりか見目も美しく、この夏の間ジニーの家に2回ほど泊まりに来たそうだ。「ああ、兄さん達の誰かと結婚してくれたらハナがあたしの本当のお姉さんになるのに」とホグワーツが始まるまでジニーは口癖のように僕に話し、始まってからも「ハナと同じ寮じゃないのが寂しい」と何度も話した。

 正直そんなことはこれっぽっちも興味なかったが、僕は辛抱強くジニーに返事をした。悩みには同情してあげたし、親切にもしてあげた。なぜなら、ジニーが胸の内を打ち明けるたびに僕に彼女の魔力や魂の一部が注ぎ込まれたからだ。嬉しいことにジニーは僕に夢中になり、頻繁に書き込んでくれた。

「トム、貴方ぐらいあたしのことを分かってくれる人はいないわ……なんでも打ち明けられるこの日記があってどんなに嬉しいか……まるでポケットの中に入れて運べる友達がいるみたい……」

 ジニーがそう書き込んだ時、僕は思わず笑いが抑えきれなかったけれど、幸いなことに日記帳である僕の笑い声は聞かれることはなかった。ジニーはバカで愚かでちっぽけだったが、しかし、そんな彼女の魂が確実に僕の力となっているのは事実だった。

 ジニーがあまりに熱心に書き込んでくれたお陰で、最初に書き込み始めてから僅か3週間ほどで僕はジニーとは比べ物にならないくらい強力な存在となった。そうして、ただの古い日記ではなくると、今度は僕の秘密をジニーに少しだけ与え、逆に自らの魂をジニーに注ぎ込み始めた。そうすることでジニーを操れることを僕は既に分かっていた。

 手始めに僕は雄鶏を殺しに行くことにした。僕がこれから開こうとしている秘密の部屋にはバジリスクと呼ばれる巨大な毒蛇が眠っているのだが、これの唯一の弱点が「雄鶏が時を告げる声」なのだ。なぜそんなものから逃げ出すのかは分からないが、バジリスクが鶏の卵から生まれることに理由があるのかもしれない。バジリスクは鶏の卵をヒキガエルの腹の下で孵化することで生まれるのだ。

 そういうわけでホグワーツが始まって1週間、ジニーと出会ってから3週間後の金曜日の午後、僕はジニーの中に入り込み、禁じられた森へと向かっていた。ジニーしか使える存在がいない今、雄鶏を絞め殺すところを誰かに見られるわけにはいかなかったので、周りに誰もいないことを念入りに確認したが、もう少しで森に辿り着くというところで、誰かがジニーを呼ぶ声がして僕は急いで振り向いた。

「ジニー!」

 そこにいたのはレイブンクローのローブを着込んだ女生徒だった。一見するとアジア系のように見えるが、肌は白人のそれで、長い黒髪は太陽の下で光を浴びて茶色く透けている。瞳はライトブラウンかアンバーのように見えるが、虹彩の縁は薄らとダークグリーンが入っているように見えることから、もしかしたらヘーゼルかもしれない。同じヘーゼルでも人によって微妙に色合いが異なるが、彼女は特に色素が薄いからか、それともライトブラウンの割合が多いからか、太陽の光に晒されると綺麗な金色に輝いて見えた。

「こんにちは、ジニー。初めての1週間はどうだった? 貴方もハグリッドの所へ行くところなの?」

 僕はまるで値踏みするかのように目の前にいる女生徒をジッと見つめた。僕の記憶に間違いがないのなら、これは恐らく彼女・・だろう。ダンブルドアが後見人になったという穢れた血の小娘だ――面白い。僕は思わずニヤリと笑いそうになるのを堪えた。どんな女かこの目で実際に見てみるのも一興だろう。丁度どうしてダンブルドアが穢れた血の小娘の後見人になったのか、その理由が気になっていたところだ。

「どうしたの、ジニー」

 僕がずっと黙っていたからだろう。彼女は怪訝な顔をして訊ねた。僕は「なんでもない」と平然と答えた。昔から何に対しても平静を装うのは僕の得意とするところだった。何か悪さをしていても「いいえ、なんでもありません」と答えれば、大抵の人々は僕を信じた。

 それにしても禁じられた森に何の用があるのか。少しだけ興味を唆られて「ついて行ってもいいか」と訊ねると、彼女は何の疑いもなく了承した。なんでも、花を摘みに行くらしい。殊勝しゅしょうなことだ。

 彼女が花を摘みに行くのはどうやら僕が殺した憐れなマートル・エリザベス・ワレンが棲み憑くトイレに持っていくためのようだった。それを聞いた時、あまりのバカバカしさに笑い出すのを堪えなければならなかったが、流石はレイブンクロー生というところだろうか。あの寮は変人が多い寮として有名だ。

 ダンブルドアが後見人になったというからどんなものなのかと思っていたら、こんなにバカな女だったのかと僕は期待を裏切られたような気分になったが、このバカな女について行って良かったことが1つだけあった。もう1人の愚かなバカ――ルビウス・ハグリッドと再会出来たことである。

 ルビウスは在校当時、僕の2つ下のグリフィンドール生で僕が穢れた血殺しの罪を着せた人物だった。ホグワーツに入学してからというもの、両親の出自を調べ、自分がスリザリンの血筋であることを知り、城内を調べに調べ、やっとの思いで秘密の部屋の入口を見つけたと思ったら事件が解決するまで閉校も有り得ると言われ、罪をなすりつけたのだ。

 ホグワーツが閉校することはあってはならないことだった。なぜなら、あの忌まわしい孤児院に帰らなければならないからだ。思い出しただけでも腑が煮え返りそうになる。生まれたころからはもちろん、スリザリンの末裔だと知ってからはより、僕はあの孤児院を忌まわしく思うようになっていた。スリザリンの選ばれた血筋であるこの僕がどうしてマグルだらけの貧しい孤児院に押し込められなければならないのか理解が出来なかった。僕がそんな扱いを受けるくらいなら、役に立たないグリフィンドール生とアクロマンチュラの子どもを悪役に仕立て上げるくらい些細なことだろう。

 さて、そういうわけで僕は秘密の部屋に関することをすべてルビウスになすりつけたわけだが、生憎ルビウスがその後どうなったのか僕は詳しくなかった。それは僕が「5年生の記憶」だったからだ。だがしかし、どうやらルビウスはホグワーツで働いているらしい。恐らくダンブルドアの仕業だろう。ダンブルドアは当時、唯一ルビウスの肩を持っていた人物だった。

 これは面白い発見をした――僕は思わず舌舐めずりをしそうになった。いざとなればジニーではなく、ルビウスに再び罪を着せることが可能だということだ。ジニーの代わりがすぐに見つけられない今の状況下においては、疑いの目をルビウスに向けさせ行動し易くするのが定石というものだろう。


 *


 ルビウスという面白い収穫を得た次の日の夜も僕はジニーの体を操り、ホグワーツの城内を歩き回っていた。昨日は人目を避けるのに苦労したもののあれから密かに雄鶏を数羽始末することに成功したので、今夜は腹を空かせているであろうバジリスクを一度校内に解き放ってやろうと思ったのだ。雄鶏はまだすべて始末してはいないが、夜に鳴くことはない。

 僕が前回城の地下に眠るスリザリンの秘密の部屋を開いた時から50年は経過していたが、長命のバジリスクはまだしぶとくも生きながらえていた。久し振りに解き放ってやると、バジリスクは「腹が減った」と言いながら地下深くから這い出して来た。これからきっとネズミでも食いに行くつもりだろう。穢れた血を襲わせる前にまずは腹拵えでもしておいて貰おう。

 バジリスクに夜が明ける前までには戻り、次の命令があるまで待機しているように伝えると僕は3階の女子トイレをあとにした。僕の日記を手に取ったのがジニーで良かったと思うところは、やはり女であるということだろう。女子トイレに怪しまれることなく出入り出来るのは利点と言えた。

「ジニー?」

 女子トイレをあとにしてグリフィンドール寮に向かって歩き始めたところで、思わぬ人物に声を掛けられて僕は振り返った。どうやら彼女とは縁があるらしい。ゆっくりと振り返ると想像通りの人物が驚いた表情をしてこちらに駆け寄ってくるところだった。

「ジニー、こんなところで何をしているの?」

 ハナ・ミズマチだった。昼間と違い、彼女の髪は艶やかな黒色をしている。金色に煌めく瞳も今はただのライトブラウンという落ち着いた色合いをしていた。それにしてもこの女こそどうしてこんな時間に城内をうろちょろとしているのか――僕は気になって訊ねた。

「ハナこそ、何をしていたの?」

 質問の裏には「もしかすると昨日のように面白い発見があるかもしれない」という淡い期待もあった。それに僕はまだどうしてダンブルドアが彼女の後見人になったのか、本当の理由を知り得ていなかった。それさえ知れたら、あとは彼女をどうとでも出来るものを。

 そんな風に内心不穏なことを思いながら穢れた血の小娘の話を聞いてみると、どうやら彼女はこんな時間までダンブルドアのところにいたらしかった。恐らくはただ仲良く話していたのではないだろう。一体何をやっていたのかまでは分からないが、この小娘にはまだ隠された何かがあることは確かだった。それが分かっただけでも、今夜はいい夜と言えよう。

 僕達は並んで廊下を進み、階段を上り、一緒に上へと向かい始めた。すると、壁の向こう側からバジリスクの声が聞こえて、僕はチラリと横目で壁を見た。どうやらこの辺りの配管を通っているらしい――八つ裂きにしてやる……殺してやる……という声が微かに耳に届いている。しかしながらこの声が聞こえているのは僕だけだろう。そう考えて、聞こえないフリをしていると、

「え?」

 横から戸惑ったような声が聞こえて僕は彼女を見た。何気ない風を装って「どうしたの、ハナ」と訊ねる。彼女は辺りをキョロキョロとしながら答えた。

「いえ……声が聞こえた気がしたの」
「どんな?」
「冷たい……何か音のような声……」

 彼女の言葉に僕は僅かに眉根を寄せた。
 こんな穢れた血がパーセルマウスであるはずがない。パーセルマウスは穢れた血が容易く手に入れられるような能力ではない。もっと崇高で、特別な、選ばれた人間のみに備わる能力なのだ。しかし、彼女は確実に先程のバジリスクの声を聞いている。

 これは一体どういうことなのだろうか。言いようのない思いが腹の底に渦巻くのを僕は感じた。彼女は一体何者だ? なぜダンブルドアに選ばれた? どうして同じパーセルマウスである僕が選ばれず、彼女はダンブルドアに選ばれた? パーセルマウスである以外の何かを他に持っているとでもいうのか?

「疲れているのかもしれないわ」
「――そう」

 気のせいだと片付ける彼女に相槌を打ちながら僕は今まで彼女に対して向いていた漠然とした興味が、急にその濃さを増していくのを密かに感じていた。