The ghost of Ravenclaw - 065

8. キャビネットのボガート



 大事な人の死――世界で一番怖いものを問われた時に私が想像したものがそれだった。なぜならそれは自分自身が憎たらしくなるほど、まるで呪いのように、常に私の人生に付き纏っているものだったからだ。大事な人の死を目の前にした時の絶望と孤独感は、私にとって、ヴォルデモートや吸魂鬼ディメンターと対峙するよりも恐ろしいものだった。

 もしボガートが変身したのがヴォルデモートや吸魂鬼ディメンターだったとしたら、私はもっと上手く呪文を使えただろうと思う。ヴォルデモートなら可愛い蛇のぬいぐるみか風船にでもしてやっただろうし、吸魂鬼ディメンターだったら、カブトムシに変えられたかもしれない。

 それなのに、大事な人の死に対して決然とした態度で呪文を唱えられないのは、私がそれに怯えているからかもしれない。私は怖いのだ。私の周りから次々と人が亡くなっていくのが。私が選択を誤ったせいで誰かが亡くなってしまうのが――否が応でも自分が無力だと実感してしまうから。

 あのボガートをどう対処すればいいのか答えが出ないまま、午後の時間は驚くほど穏やかに過ぎていった。あれからリーマスとはぽつりぽつりと話をしたものの、彼自身もジェームズとリリーの姿を見てショックだったのか、お互いに言葉は少なかった。ただ私が「ごめんなさい」と謝ると彼は泣きそうな顔をして強く手を握ってくれた。

 1日の授業が終わると相変わらず私は図書室にこもって宿題をした。勉強していると気が紛れて、私は途中からやってきたセドリックとも普通に話が出来たように思う。セドリックはもう少ししたらクィディッチ・チームの選抜テストを行うらしく、今のうちにやれることをやるのだと今日も大量に本を抱えていて、私は彼がノイローゼにならないか心配になった。

 夕食になると持ち出しやすそうな料理をいくつか持ち出して、就寝時間に備えた。それから寮の談話室で勉強しながら時間を潰し、就寝時間が来ると眠るフリをしてこっそり寝室の窓から抜け出してシリウスの元へ向かった。私が夜にやってくることに慣れたのか、シリウスは根城にしている木の前で待っていてくれて、私が降り立つと尻尾を振って出迎えた。

「こんばんは、シリウス。カタログが届いたのよ」
「それは楽しみだ。ちょっと待ってくれ――今目くらまし術を掛ける。それから明かりをつけよう」
「目くらまし術、私も早く使えるようになりたいわ」
「君には出来ないことがあった方がいいと私は思うがね。君はなんでも出来すぎる」
「それ、貴方には言われたくないわ。絶対ね」

 元の姿に戻るとシリウスが目くらまし術を掛けてくれ、私はその間にレジャーシートを準備した。目くらまし術を掛け終わると今度はランタンを取り出して中に魔法で出した炎を入れ、手頃な枝に掛けた。目くらまし術をかけていれば、この明かりが外に漏れることはない。

「それに私に出来ないことってたくさんあるのよ。今日だってボガートが――」

 レジャーシートの上に持ってきたものを出しながらそう口走って、私は思わず口籠った。そんな私にシリウスはレジャーシートの上に腰掛けると眉根を寄せて「ボガート?」と言った。

「ボガートはそう難しくないだろう。いや――それは真の恐怖を知らない時の話だな。今は私も出会いたくはない。何になるのか容易に想像がつく」

 少しの間を置いて、シリウスが続けた。

おぞましい――自分を呪いたくなるような恐怖だ。私は上手くヴォルデモートを騙せたと思ったが、私こそが騙されていた側だった。その恐怖と向き合うにはまだ時間が足りない」

 シリウスの恐怖がなんなのかそれを聞けばすぐにわかった。彼もまたジェームズとリリーが亡くなったことに恐れ、自分自身をずっと責め続けているのだ。それはきっとワームテールを捕まえたとて変わらないだろう。

「だが、その恐怖の中でもここまで耐えてこられたのは君が居てくれたからだった。もちろん逆恨みをしたこともあったが……それでも、アズカバンの独房の中で、君だけは私の無実を知っているということが私の唯一の救いだった。君と出会わなかったらと思うとゾッとするよ。私は本当に気が狂っていたかもしれない。リーマスだってそうだろう。未来にもう1人の親友が待っていると分かっているのは、あいつの救いだったろう」

 こちらを見てシリウスは静かに言った。そのシリウスの表情は泣いているようにも見えれば、微笑んでいるようにも見えた。

「確かに私達は恐怖と向き合うにはまだ時間が足りない。けれど君が私達に1人ではないことを教えてくれたように、君自身も1人ではないことを覚えていて欲しい。困難に立ち向かう時はいつでも共に戦おう。私達3人でなら、どんな恐怖にも立ち向かえるだろう」

 今度は私が泣いているような笑っているような表情をする番だった。彼らがそうやって私に良くしてくれるから、私も彼らのために何度だって恐怖に立ち向かえるのだと思う。1人だったら今ごろ心がポッキリ折れていたに違いない。こういうのをなんていうんだったろうか。確か――。

「なんだか3本の矢のようね」

 私はぽつりと呟いた。

「3本の矢?」
「日本の歴史上の人物の言葉なの。1本の矢では簡単に折れるけれど、3本纏めると容易に折れない――結束することの大切さを説いたものよ。私達は1人では弱いけれど、3人なら強くなれる――そうでしょ?」
「なるほど、3本の矢か――魔法界的に言えば3本の杖ってところだな。いや、4本――5本にしよう。牡鹿に牝鹿、犬に狼、それから鷲。向かうところ敵なしだ」

 シリウスの言葉に私は「素晴らしいわ」と言って笑った。大事な人の死という恐怖は私の人生にこれからも常に付き纏うのかもしれない。それでも、今なら私はあのボガートと戦えるような気がした。私はどこにいても決して1人ではないのだから。