The ghost of Ravenclaw - 064

8. キャビネットのボガート



「みんな、いいかい?」

 レイブンクローのみんなが一番怖いものとそれをどうやったらおかしな姿に出来るのかを十分に考え終えたと思えるころ、リーマスがクラス全体を見渡して言った。私も同じようにクラスを見渡してみると、どの生徒達もやる気満々ようで、男の子達なんかは腕捲りもしてたし、同室の子達も気合十分という感じで頷いている。

「それじゃあ、みんな、パドマに場所を空けてあげよう。いいね? 次の生徒は前に出るように私が声を掛けるから……。みんな下がって、さあ、パドマが間違いなくやっつけられるように――」

 いよいよボガートを相手にした実戦練習をする時間がやってくると、リーマスの指示に従ってパドマ以外の全員がキャビネットから離れた。教室の中央にはボガートと対峙するには十分なスペースが出来上がり、その中央で一番手のパドマがガタガタ揺れているキャビネットを前に杖を構えて真剣な表情をして立っている。

 とても楽しみにしていたリーマスの初授業だというのに、私は「どうか順番が来ませんように」と消極的なことを思いながら、先程言われていた通りこっそりと一番後ろに回った。なぜなら、あれ・・をどうおかしな姿に変えたらいいのかさっぱり分からなかったからだ。なので今だけはリーマスが私に一番後ろにいるように言ったことが有り難かった。

「パドマ、3つ数えてからだ――1、2、3、それ!」

 やがて、リーマスが杖をキャビネットに向けて扉を開くと、中から血まみれの包帯をぐるぐる巻いたミイラがゆっくりと姿を現した。包帯の隙間から僅かに見える顔に目はなかったが、その顔は確かにパドマに向いていた。ミイラは足を引きずり、手を棒のように前に突き出し、そして――。

「リディクラス!」

 パドマが叫んだ瞬間、1本の包帯がバラリと解けてミイラの足元に落ちた。すると、解けた包帯が足に絡まり、ミイラはどうみても怖いとは言い難い転び方で顔から床に倒れ込んだ。クラスからどっと笑いが起きて、パドマは嬉しそうにしながら急いでその場から離れた。

 それから、アンソニー、マイケル・コーナー、テリー・ブートと続き、リサとマンディもボガートと対峙した。ボガートは人が変わるごとに次々と姿を変えたけれど、みんな上手く対処して、姿を変える度におかしな姿に変えられることとなった。

 レイブンクロー生の中でまだボガート対峙していないのは遂に私だけとなった。私は吸魂鬼ディメンターに幸福を吸い取られた時のような気分になりながらリーマスに名前を呼ばれるのを待ったけれど、こちらを見たリーマスは私の名前を呼ぶことなく、杖を取り出しボガートを再びキャビネットの中に戻してしまった。

「みんな、よくやった!」

 何事もなかったかのようにリーマスが大声で言った。

「本来なら完全に退治してしまうところまでやってしまいたかったんだが、生憎午後にハッフルパフの授業があってね――完全に退治してしまうとボガートは煙となってこの場からいなくなってしまうんだ」

 きっと初めからリーマスは私にボガートと対峙させる気はなかったのだろうと、なんとなく思った。だから予めみんなより下がっているように言ったし、今もこうして授業を終わらせようとしているのだ。彼はきっと私の恐怖の対象が具体的に何かまでは分からないにしても、他の子ども達とはまったく違うということを分かっていたに違いない。

「そうだな……ボガートと対決したレイブンクロー生1人につき5点をやろう。みんな、いい授業だった――宿題だ。ボガートに関する章を読んで、まとめを提出してくれ……来週までだ。ハナ、君は残っておいてくれ。君だけ時間がなくて・・・・・・ボガートと対決出来なかったからね」

 そこでちょうど授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、授業が終わった。レイブンクロー生達は「今日はこれでおしまい」と言われると、興奮したようにお喋りをしながら空き教室を出ていく。私はそんな生徒達を横目に、トボトボとリーマスの元へと向かった。

「ハナ、悪かったね」

 生徒達が全員出て行ったのを確認するとリーマスが言った。その近くで、ボガートの入ったキャビネットが激しく揺れている。再び閉じ込められたことを怒っているに違いない。

「どうしても子ども達の前で君とボガートを対決させられなかったんだ。ヴォルデモートにでもなったら大変だからね。だから誰もいないところで対決させようと思っていたんだが――大丈夫かい?」

 私の様子がおかしいと思ったのだろう。心配そうにしながらリーマスが私の顔を覗き込んだ瞬間、キャビネットが一層ガタガタと激しく揺れだした。両開きの扉がバーン! と大きな音を立てて吹き飛び、中からカラカラと音を立てて白い布が被せられたストレッチャーが2台、姿を現した。白い布の下には明らかに人だと思われる膨らみがある。

「あ……あ……」

 恐怖に顔が引き攣って私は思わず後退りした。視界の端に見えるリーマスが戸惑った表情で私とストレッチャーとを交互に見て「ハナ、リディクラスだ!」と叫ぶのがわかった。震える手で杖を取り、目の前のストレッチャーに向けたが上手く声が出て来なかった。

「リ、リ、リディクラス……!」

 なんとか呪文を唱えるとボガートはパチンと音を立てて姿を変えた。2台のストレッチャーは姿を消し、今度は男女の遺影が現れた。どちらも笑顔で魔法界の写真のように動いたりはしない。

「リディクラス!」

 叫ぶようにして唱えると、遺影は消え去り、また違う何かが現れた。目の前にはくしゃくしゃの髪の男性と美しい赤毛の女性が折り重なるようにして倒れている。リーマスが息を呑んだのが分かった。

「リ、リディクラス!」

 また呪文を唱えると今度は倒れている2人がリーマスの姿になった。何かおかしな姿を考えなければならないと思うのにまったく思い浮かばなくて、杖を持つ指先がカタカタ震えるのが分かった。

「リディクラス! リディクラス!」

 呪文を唱える度にボガートはパチンパチンと次々に姿を変えた。恐らく、リーマスもこの状況に一瞬固まってしまっていたのだと思う。しばらくの間、呆然とした様子で私を見ていたリーマスは、やがてボガートがダンブルドア先生にハリー、セドリックと姿を変えたところで、ハッとした様子で私の目の前に飛び出してきた。すると、ボガートはたちまち満月の姿となり、ぽっかりと私達の目の前に浮かんだ。

「リディクラス」

 強い口調でリーマスが呪文を唱えると、パチンという音共に満月はゴキブリの姿となり、再びキャビネットの中に戻された。キャビネットの扉がバタンと激しい音を立てて閉じられると、リーマスはまた勝手に開かないように魔法でロープを出してキャビネットをぐるぐる巻きにした。

 その様子を見ながら今度は私が呆然と立ち尽くす番だった。私は一体どうすることが正解だったのだろう。考えてみるもののやっぱりあれ・・をどう対処したらいいのか、さっぱり分からなかった。私はこのままずっと無力なままなのだろうか。そうはなりたくないと思うけれど、確かに私はいつだって無力だった。「大事な人の死」の前ではいつでも――。