The ghost of Ravenclaw - 063

8. キャビネットのボガート



 リーマスの初授業は、教室を移動するところから始まった。ロックハート先生のピクシー騒動すらも経験していないレイブンクローの3年生達は、実地練習と聞かされて少し戸惑った様子だったけれど、空き教室に辿り着くころにはそれが面白そうだというワクワク感に変わっているようだった。きっと勉学に対する好奇心が旺盛な子が多いからだろう。

「さあ、ここだよ。みんな、入って」

 私達は廊下を進み、階段を上がり、実地練習を行う空き教室へとやってきた。順番に中に入るとそこは机や椅子が片付けられてガランとしていて、黒板の横に掃除道具入れのような背の高いキャビネットがあるだけだった。あれがきっとあるものを見つけたというキャビネットだろう。

 キャビネットは私達が周りに集まるとまるで生きているかのようにガタガタと揺れた。どうやらあるものはキャビネットの中から出たがっているらしい――レイブンクロー生の誰もが不安気にキャビネットを見つめていると、リーマスが隣に立った途端怒ったようにバーン! と激しい音を出した。

「先生、それは中に何が入ってるんですか?」

 私の隣に立っていたマンディが不安気に訊ねた。

「この中には、ボガートが入っている。凶暴そうに見えるがそんなに心配しなくていい」

 クラス全体を見渡してリーマスが優しく言った。

「ボガートは暗くて狭いところを好む。洋箪笥、ベッドの下の隙間、流しの下の食器棚など――私は一度、大きな柱時計の中に引っかかっているやつに出会ったことがある。ここにいるのは昨日の午前に入り込んだやつだ。さて、ボガートとは一体何か、分かる人はいるかな?」

 リーマスが最初の質問をするとクラスの何人かが手を挙げた。もちろん私もすぐに手を挙げたけれど、リーマスはこちらを見て微笑んだあと、アンソニー・ゴールドスタインを指名した。贔屓のし過ぎは良くないと思ったのだろう。

「ボガートとは不老不死かつ非存在の形態模写妖怪です。人が一番怖いと思うものに自在に姿を変えることが出来ます」
「実にいい答えだ」

 リーマスが朗らかに言った。

「ボガートは自在に姿を変えることから、本来どんな姿をしているのかは誰にも分かっていない。姿を見ようとすると途端に姿を変えてしまうからだ。けれどもそれは同時に、今、このキャビネットの中に潜んでいるボガートはまだ何の姿にもなっていないということになる。扉の外にいる誰かが、何を怖がるのかまだ知らないからね。しかし、私が扉を開けて外に出してやると、たちまち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿を変えるだろう」

 ボガートを退治する時に一番効果的なのは、複数で対処することらしい。するとボガートはどんなものに姿を変えたらいいのか混乱して、変な姿になったりするのだそうだ。リーマスは一度に2人を脅そうとして、首のない死体が半身ナメクジになったのを見たことがあると言い「どう見ても恐ろしいとは言えなかった」と話したが、私はそれはそれでグロテスクなんじゃないのかと思った。

 ボガートは混乱させるだけでも十分に効果があると言えるけれど、入り込んだ場所から追い出すには専用の呪文が必要となる。「リディクラス」という簡単な呪文だけど、これを扱うには笑いという正のエネルギーが必要となるらしい。もしかしたら守護霊の呪文と似たようなものなのかもしれない――あれも幸せをエネルギーに変えるのだとシリウスが話していたからだ。

 ボガートについての説明が一通り終わると、私達は実際にボガートと対峙する前にまず、呪文の正しい発音や杖の動きを練習することになった。呪文というのは繊細で、ちょっと発音が違ったり動きを間違えたりすると途端に正しい効力が発揮されなくなるのだ。

「みんなとても上手だ」

 生徒達の出来に満足気にリーマスは言った。

「しかし、呪文だけでは十分じゃない――そこで、誰かに手伝って貰うことにしよう。パドマ、手伝ってくれるかい?」

 いよいよ実際にボガート相手に呪文を使ってみる段階にやって来るとリーマスはクラスを見渡してパドマを指名した。パドマはどうして自分が指名されたのか分からないとばかりに私の方を見たが、やがておずおずと前に進み出た。

「さあ、1人ずついこう。まずはパドマ、君からだ。君が世界一怖いものはなんだい?」
「えーっと、ミイラです」

 思い出すのも嫌だという顔でパドマが答えた。

「小さいころ、血塗れの包帯を巻いたのを見たことがあって……」
「確かにそれは怖いな――じゃあ、パドマ想像してみてくれ。そのミイラが一体どんな姿なら怖くないのか。何か間抜けな姿を想像してもいいだろう」
「ええっと……包帯を踏んで転んだり」
「よし、それじゃあ、自らの包帯を踏んで転ぶミイラの姿をはっきりと思い浮かべることが出来るかな?」

 リーマスの言葉にパドマは自信がなさそうにしながらも頷いた。

「パドマ、今からボガートがキャビネットの中から出て来て、君を見る。そうしたら、ミイラの姿に変わるだろう。そしたら、君はさっき練習した通りに杖を上げて呪文を唱えるんだ。そして、包帯を踏んで転ぶミイラの姿に意識を集中される――すべて上手くいけば、ミイラのボガートは包帯を踏んですっ転ぶ間抜けな姿になるだろう」

 みんながその姿を想像して笑うと、キャビネットがより一層激しく揺れた。

「パドマが首尾よくやっつけたら、そのあと、ボガートは次々に君達に向かってくるだろう。みんな、ちょっと考えてくれるかい。何が一番怖いかって。そして、その姿をどうやったらおかしな姿に変えられるか、想像してみて……」

 リーマスの言葉に教室がしんと静まり返った。みんなが自分の一番怖いものがなんなのか、それをおかしな姿にするにはどうしたらいいのか、真剣に考えているようだった。私の近くにいたリサとマンディも目を閉じてブツブツ言いながら考えている。

 私は自分でも、何が一番怖いのか考えてみることにした。ヴォルデモートにバジリスク、吸魂鬼ディメンター、怖いものはたくさんあるけれど、果たして一番怖いものはなんだろう。私の一番怖いもの――。

「ハナ」

 想像して身震いした途端、リーマスに声を掛けられて私はハッとして顔を上げた。少しだけこちらを心配そうに見つめているリーマスと視線がかち合う。

「ハナ、これから実際に練習を始めるけれど、君は一番後ろにいるんだ。いいね?」

 私が何を想像したのか分かったのか、それとも別の意味があったのか。リーマスはそれだけを言うと私のそばから離れてキャビネットの隣へと戻って行った。