The ghost of Ravenclaw - 059

8. キャビネットのボガート



 昨日と同じようにしてシリウスの元をあとにした私は、城の物陰に隠れて元の姿に戻ると、誰もこちらを見ていないことを確認してから玄関ホールへと入った。玄関ホールには朝食を摂るために大広間へ向かう生徒達が大勢歩いている。私はそんな生徒達に紛れて一緒に大広間へと向かいながら、先程のシリウスとした話を考えていた。

 シリウスは6月の満月の日に、知っている通りの状況に物事を運んでいくのなら、ある程度自分の好きにさせてくれと話していた。それもこれも私が「6月の満月の日にシリウスがロンごとワームテールを捕まえる」こと以外ほとんど覚えていないのが原因だ。私はこの1年間をある程度計画的に進めたかったけれど、詳しく分からない中でその状況に持って行くためには自分の思う通りに行動することが一番だとシリウスは考えたのだ。

 確かに私自身それが一番の近道だろうということは分かっていた。私が口出しさえしなければ、私の知っている未来は自然と訪れるのだ。シリウスが言っていることはそういうことだろう。だから「一番の近道」だと言ったのだ。けれど、シリウスがその「近道」のために最初に要求したことが問題だった。なんとシリウスは、クルックシャンクスに引き合わせてくれと言ったのだ。

「……困ったわね」

 クルックシャンクスのことを話さなければ良かったのだろうか――シリウスとクルックシャンクスを引き合わせたらどうなるのかを考えて、私は人知れず溜息をついた。クルックシャンクスは賢い猫だから、きっと話をすればあのネズミがどんなネズミなのかしっかり理解してくれるし、なんなら協力だってしてくれるだろう。

 ロンは普段スキャバーズをグリフィンドール寮に置いていると思うから、クルックシャンクスが常日頃狙うようになれば危ないと思ったロンが四六時中連れて歩くようになるかもしれない。そうして6月の満月の日、周りに人がいないのを見計らってシリウスが捕まえる――そうすれば未来はおおよそ私の知っている通りに進んでいく。シリウスもきっとそんな風に考えたのだろう。

 ただ、この作戦には1つ重大な問題があった。それは、ハーマイオニーとロンの仲が拗れるかもしれないということである。ただでさえロンはクルックシャンクスにいい印象を持っていないので、クルックシャンクスが自分のペットを狙い続けたら更に怒るだろうし、ハーマイオニーと揉めることは容易に想像出来た。

 ハーマイオニーとロンに揉めて欲しくないのは当然だ。2人とも私の大事な友達だし、揉めて喧嘩をしているところなんて見たくはない。そもそも本来なら揉めなくていいことだし、本人達も喧嘩はとても辛いはずだ。ただ、シリウスの言っていることもよく分かるのだ。分かるからこそ、困るのだ。

「おはよう、ハナ」

 もう一度溜息をつきそうになったところで、セドリックに声を掛けられて私は足を止めた。振り返るとにこやかに微笑むセドリックがすぐそばに立っていた。どうやら彼もこれから朝食に向かうところだったようである。

「おはよう、セドリック」
「元気そうで良かった。あれからどうだい?」
「すっかり元気よ。そうだ――」

 1つ大事なことを思い出して私はローブのポケットから小さな包みを1つ取り出し、セドリックに差し出した。借りていたハンカチを洗濯に出していたのだが、それが昨日の夜返って来たので、簡単に包んで忘れないようにローブのポケットに入れておいたのだ。中には借りたハンカチの他に小さなお菓子が1つ入っている。

「ハンカチをありがとう。とっても助かったわ」
「どういたしまして。こんなに綺麗に包んで貰えたら、なんだかプレゼントを貰った気分だな」

 やっぱりセドリックもこれから朝食を食べに行くところだったらしく、私達はそのまま話をしつつ大広間へと向かった。大広間に入ると今朝もスリザリンの3年生達が集まってヒソヒソと何事か話していたけれど、その中にマルフォイの姿は見当たらなかった。どうやらまだ医務室にいるらしい。

 教職員テーブルにはハグリッドの姿は見えなかった。きっとマルフォイの怪我の具合を気にして落ち込んでいるのだろう。私は怪我の様子を実際に目にしていないのでなんとも言えないけれど、マルフォイが自身の怪我をどんな風に主張しているにせよ、ハグリッドには不利に働くだろうと思っていた。

 空席になっているハグリッドの席すぐ近くにはリーマスの姿があった。そういえば昨日は話せないままだったように思う。私はハッフルパフのテーブルの前でセドリックと別れると、そのまま教職員テーブルの方へと向かった。こちらに気付いたリーマスが私を見てニッコリ微笑んでいる。

「やあ、ハナ」
「おはよう、リ……ルーピン先生」

 リーマスの前までやってくると、ついいつもの調子で「おはよう、リーマス」と言いそうになって私は慌てて訂正した。その様子を見ていたリーマスがおかしそうに笑いながら「今のは危なかったな」と言った。

「癖って怖いわね。ルーピン先生、ルーピン先生……」
「私も君に先生って呼ばれるのはなんだか変な感じだよ。体調の方はどうだい?」
「この通り、元気よ。ルーピン先生は、教師初日はどうだった?」
「まあまあってところかな。今、君達3年生の授業のためにあるものを探しているところなんだ。この週末に見つかるといいんだけれどね」
「楽しみだわ! 早く来週にならないかしら」
「私の授業を楽しみにしていてくれるのは嬉しいけれど、そろそろ朝食を食べないと今日の授業に遅れてしまうよ」

 リーマスに指摘されて時計を見てみると刻々と授業の開始時刻が迫ってきていた。スネイプ先生がこちらをジトリと睨んでいるような気がしたけれど、今は気にしている時間はなさそうだった。私は慌ててレイブンクローのテーブルに戻ると、トーストとオレンジジュースを胃の中に収めて大広間をあとにした。1時間目は呪文学である。

 朝食の時間が遅くなってしまったので、同室の子達はもう既に呪文学へ向かっているようだった。遅刻してはいけないと、8階にある呪文学の教室へ大急ぎで向かっていると廊下の前方に見覚えのあるオレンジ色の塊が歩いているのが見えて私は思わず立ち止まった。向こうもこちらに気付いたのか、立ち止まってジーッとこちらを見つめている。

「クルックシャンクス……」

 名前を呼んだ途端、先程シリウスと話していたことが蘇ってきて私はどうしてらいいのか分からず、授業の時間が迫っていることも忘れて立ち尽くした。でも、シリウスのために私はクルックシャンクスに言わなければならない。

「クルックシャンクス、私、貴方に――」

 しかし、口を開いた瞬間、授業の開始5分前を知らせるチャイムが鳴って、私はハッとしてその場をあとにした。