The ghost of Ravenclaw - 047

7. 新年度のはじまり



 9月2日の朝がやって来た。
 昨日は1日中汽車に乗っていたせいか、それとも吸魂鬼ディメンターの影響で倒れてしまったせいか――目覚めるとやけに体が重く感じられてまだまだ寝ていられそうな気がしたけれど、私はなんとか朝日が昇る前にベッドから抜け出すことに成功した。

 時計を見るとまだ朝の5時になったばかりだった。同室の子達は3人共ぐっすり眠っているようで、閉め切られたベッドの周りのカーテンの向こうからはスースーと寝息が聞こえている。私はそろりとベッド周りのカーテンを開けると、窓辺に近付いて隙間から外を覗き見た。朝日の昇っていない空はまだ暗いけれど、寝ている間に雨は止んだようで澄み切っている。

 この天気なら、みんなが起きてくる前に空を飛んで森のどこかにいるシリウスを探しに行けるだろう。私はそう考えると、同室の子達を起こさないように気を付けながら大急ぎで着替え始めた。本来なら昨日のうちにシリウスに会っておきたかったのだけれど、歓迎会が終わったあともフリットウィック先生に呼ばれて体調は大丈夫かと聞かれたり、私が倒れた噂を耳にした同室の子達に掴まったりして行けなかったのである。

 シリウスを見つけたらまずは吸魂鬼ディメンターの影響を受けてないか確認する必要があるし、昨日の雨に濡れて体調を崩していないかも確認しなければならない。必要なら魔法薬を調合たほうがいいだろう。でも、とりあえず必要なのはチョコレートだ。私はローブのポケットにチョコレートがまだたっぷり入っているのを確認すると、そっと寝室をあとにした。

 寝室を出ると、なるべく足音を立てないようにして螺旋階段を下りた。そうして、ロウェナ・レイブンクローの白い大理石像の脇から誰もいない談話室に出ると、ふと、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーの店主であるフォーテスキューさんが話していた「失われた髪飾りダイアデム」の話を思い出して、私は大理石像を見上げた。

 ロウェナ・レイブンクローの大理石像は物問いたげな軽い微笑を浮かべて、こちらを見ていた。その表情は美しくもあり、勇ましくもあり、凛々しくもある。そんな大理石像の頭の上には同じく大理石で繊細な髪飾りダイアデムが再現されていた。お姫様がつけるようなティアラのようだ。そんな髪飾りダイアデムには「計り知れぬ英知こそ、われらが最大の宝なり!」という文字が刻まれている。レイブンクロー生なら誰もが知っている言葉だ。

 実物はもっと美しかっただろうに、これが失われてしまっただなんて――ロウェナ・レイブンクローと一緒に埋葬されてしまったのだろうか。私はもう少しじっくりと髪飾りダイアデムを眺めていたい気持ちを抑えると、足早に談話室を横切り、鷲のドアノッカーのついた扉を抜け、再び螺旋階段を下りた。

 廊下へ出ると、そこはひんやりとした空気に包まれていた。松明の明かりも消えて暗く、杖明かりをつけるとすぐ近くにあった絵画の中から「眩しいじゃないか。明かりを消してくれ」と非難の声が上がり、私はそそくさとその場から離れた。まず向かうのは厨房だ。シリウスに会いに行く前に朝食を分けて貰うのだ。

 時々絵画達から文句を言われつつ、いくつかの階段を下り、すっかり常連となった厨房へ顔を出すとそこには既に100人近い屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達が忙しなく働いていた。厨房の中にある4つの長テーブルの上には既にいくつかの料理が載せられ、いい匂いが漂っている。

「お久し振りです、お嬢様!」
「ミズマチ様、おはようございます!」

 忙しいにもかかわらず、私が厨房に現れたことに気付くと何人かの屋敷しもべ妖精ハウス・エルフが作業する手を止めてこちらにやってきてくれた。そんな彼らと目線が合うように膝を折り、その場に屈みながら「忙しいのにごめんなさい」と謝ると、彼らは「とんでもないことでございます!」と言った。

「お嬢様はわたくし共にもとてもお優しく、わたくし共はお嬢様がとてもお好きです! 今年度はいつお会い出来るかと心待ちにしておりました!」
「まあ、ありがとう。今年もいっぱいお世話になると思うけれど、よろしくね」
「もちろんでございます!」

 それから屋敷しもべ妖精ハウス・エルフにサンドイッチをいくつか作って欲しいと頼むと、彼らは快く引き受けてくれた。トースト用の食パンを薄切りにしてその中に具材をたっぷり挟むとそれを1つ1つ包み紙に包んでいく。

 10分後、分厚いサンドイッチが4つも出来上がると私は用意してくれた屋敷しもべ妖精ハウス・エルフにお礼を言ってから厨房をあとにした。チョコレートの詰まったポケットの中にサンドイッチを押し込むと、階段を上がり、玄関ホールを抜け、樫の木の玄関扉を開けて外に出る。

 物陰に隠れると私は辺りをしっかりと確認してから鷲の姿になり、飛び立った。彼者誰時かわたれどきの空は、真夜中と違ってほんのり明るさがあるもののまだまだ暗く、空の上から禁じられた森を見下ろすと鬱蒼と木々が生い茂るそこは更に暗く見えた。

 私が今鷲でなければ、きっとシリウスなど探せはしなかっただろう。しかし、有り難いことに鷲の姿になると見える世界が変わるようだった。時々視力がよくて遥か遠くのものを裸眼で見える人がいるけれど、鷲の姿になった今の私がそれだった。視力が変わるなんて一体どういう仕組みなのだろうか。そもそも動物もどきアニメーガスは体のつくりからすべて変わってしまうので、細かいことを気にしてはいけないのかもしれない。

 そんな圧倒的に良くなった視力でシリウスを探しながら森の上を飛んでいると、森の入口から近いところでハグリッドがなにやら魔法生物の世話をしているのが見えた。嘗てトム・リドルに濡れ衣を着せられ、ホグワーツを退学処分になったハグリッドが今年度から教鞭を取ることになるなんて、なんて素晴らしいんだろう。私はお祝いの代わりにひと鳴きすると、森の奥へと進んだ。

 どんどん奥へと向かっていくと、少し開けた場所に丸まって寝ている黒い影を見つけて私はゆっくりと高度を下げていった。近付いてみると、その黒い影は犬だということがはっきりと分かった。大きな木の根に出来たウロの中に身を隠すようにして収まっている。私はヒューッとそこまで飛んでいくとその木の根元に降り立った。

 間近で見てみるとそれはやっぱり犬の姿になったシリウス、基、パッドフットだった。パッドフットは突然やって来た来訪者に驚いたように目を開けると、警戒するようにこちらをジーッと見つめている。なので挨拶代わりに片方の羽を器用に上げてみると、パッドフットは驚いたように瞬きをした。

 さて、時間もないことだし、正体を明かすとしよう――私はクスクス笑いを堪えて元に戻るよう意識を集中させると、スッと人間の姿に戻った。

「ハーイ、パッドフット。朝食の配達に来たわ」

 パンパンに膨らんだポケットをポンッと叩いてウインクすると、パッドフットは目をまん丸にさせて驚いたのだった。