The ghost of Ravenclaw - 044

6. アズカバンの看守



「ハナ! ハナ!」

 誰かが呼んでいる声がして、私はいつの間にか深い底の方まで沈んでしまっていた意識がゆっくりと、しかし確実に浮上していくのが分かった。そういえば、先程暗がりの向こうにジェームズが立っていて、私を呼んでいた気がする。私は今度こそ目の前にいるその人の腕を掴んだ。

「ジェームズ!」

 パッと目を開けるとそこにいたのはジェームズではなかった。リーマスがひどく狼狽した顔でこちらを見つめていて、そんなリーマスの腕を私は掴んでいた。辺りを見渡すと、リーマスの隣には困惑した表情のセドリックが立っていて、その更に隣はいつもとは様子の違うルーナが座っている。

「ハナ、今日がいつだか分かるかい?」

 リーマスがこちらをじっと見つめながら訊ねた。それを聞いて私は一体何が起こったのかを思い出した。今日は1993年9月1日だ。私はホグワーツ特急に乗ってホグワーツに向かっている途中で、そして、そこに吸魂鬼ディメンターが乗り込んで来た。あれが息を吸い込んだ瞬間、一気に体が冷え切って、それから、ジェームズが私の名前を呼んで叫ぶのが聞こえたのだ。

 けれど、意識がはっきりとしてきた今ならあれがなんなのか、すぐに分かった。あれは、きっとジェームズ達と別れた最後の日の記憶だ。校長室で私が霧となって消えていく時、確かにジェームズ達が私の名前を呼んでいた。だから私は、命乞いをしてでも助けたいと強く願ったのだ。

「大丈夫、分かるわ……ごめんなさい……私……」
「大丈夫だ。さあ、立てるかい? 席に座ろう」
「ありがとう、リーマス……」

 どうやら私は情けないことに、床に転げ落ちて倒れてしまっていたらしかった。リーマスに支えられるようにして立ち上がると、ようやく元々座っていたルーナの真向かいの席に戻った。外はまだ真っ暗で、雨が強く降りしきっていたけれど、私が気を失っている間に汽車は明かりが戻り、再び動き出したようだった。

「ハナ、大丈夫かい?」

 セドリックが優しくそう訊ねながら私の隣に腰掛けて、ハンカチを差し出した。私はそのハンカチを見て一瞬何がなんだか分からなかったけれど、少しして自分の顔が涙や冷や汗でぐちゃぐちゃになっていてることに気付いて、素直にハンカチを借りることにした。

「ありがとう、セドリック。洗って返すわ……」
「いいんだ。そんなことより君が心配だ。体も冷え切ってる」

 私の肩に腕を回してそっと撫でながらセドリックが言った。いつも以上に近い距離にセドリックがいるにもかかわらず、なんだかそれがひどく安心して、私はハンカチを握り締めたままそのまま大人しく座っていた。セドリックの甘くて爽やかな香りが私を包み込んでいるような気がした。

「ハナ、彼が私を呼びに来てくれたんだ」

 私が落ち着いたのが分かったのか、リーマスが少し安心したような顔をして言った。聞けば、セドリックは私が気を失ったと分かるとすぐにコンパートメントを飛び出してリーマスを呼びに行ってくれたそうだ。もう一度「ありがとう」とお礼を言うとセドリックは「君が無事ならそれでいいんだ」と言った。

「ハナ、チョコレートを持ってるかい? あれを食べると元気になる。私は運転士と話をしてこなければ……」

 私がもう大丈夫だと分かると、リーマスはそう言ってコンパートメントをあとにした。私はそんなリーマスを見送ってから、車内販売で買っておいたチョコレートや昨日ポシェットに入れておいた蛙チョコレートを取り出してセドリックやルーナにも配った。どうやらチョコレートは吸魂鬼ディメンターに投げつけるものではなかったらしい。

「いっぱいあるの。食べて――ルーナ、貴方は大丈夫? こっちに来て一緒に座りましょう」

 未だに様子のおかしいルーナを呼んで、私達は3人並んで座ることにした。それから言葉少なにチョコレートを齧り始めると、ようやく元気を取り戻したルーナが口を開いた。不思議なことにチョコレートを食べると体の冷えがすっかりなくなっていた。

「あたし、妙な気分になったんだ」

 ルーナが呟いた。

「あいつが息を吸い込んだ途端、もうずーっと幸せになれないような気になった。それで、母さんの声を聞いたんだ。母さんはとっても凄い魔女だったんだよ。だけど、実験が好きで、ある時、自分の呪文でひどく失敗したんだ。あたしが9歳の時だった」
吸魂鬼ディメンター――あれの名前だけど――あれは、アズカバンの看守で人の幸福を喰らい、絶望と憂鬱をもたらすと言われている闇の生物なの」
「父さんが話してたのを聞いたことがある。家に帰って来た時は震えていて、二度と関わり合いになりたくないって言ってた」

 それからまた3人で黙ってチョコレートを食べた。ルーナが私の次に顔色が悪かったのは、彼女が幼いころ母親の死を目撃してしまったからではないかと思ったが、私もセドリックもそれを口に出したりはしなかった。そして同じように私に対しても、セドリックとルーナはジェームズが誰なのか聞いたりしなかった。きっとジェームズという人が亡くなっているのだと察したのだろう。それがジェームズ・ポッターのことだと悟られないことを祈るばかりだ。

 やがて、運転士に会いに行っていたリーマスが戻ってきて、あと十数分もしたらホグワーツに着くことを教えてくれ、最後尾にあるコンパートメントへと戻って行った。私はもそもそとチョコレートを食べて、またちょっと元気を取り戻して、汽車が駅に着くのを待った。

 そうして十数分後――汽車がホグズミード駅に到着すると、私はセドリックやルーナ共に雨の降りしきる中、汽車を降りて行った。