The ghost of Ravenclaw - 043

6. アズカバンの看守

――Harry――



 ルーピン先生がコンパートメントを出て行くと、みんなチョコレートの欠片を握ったまま黙りこくって、一瞬しんと静まり返った。ガタンゴトンと汽車が線路の上を走る音と降りしきる雨の音だけが、コンパートメントの中に響いている。

「ハナ、大丈夫かしら……」

 やがて、ハーマイオニーが口を開いた。

「気を失っただなんて」

 怯えているような口調だった。ハリーはどうして自分やハナだけが気を失ってしまったのかが分からず、黙りこくった。ハリーとハナはホグワーツの生徒の中では唯一ヴォルデモートと直接対峙したことがある2人だ。それなのに吸魂鬼ディメンターと対峙して倒れたなんてどういうことだろう? あの時一体何が起こったのだろう? ハリーは気になって訊ねた。

「あの時、一体何があったの?」
「ええ――あれが――あの吸魂鬼ディメンターが――あそこに立って、ぐるりと見回したの」

 ハーマイオニーが答えた。

「ていうか、そう思っただけ。だって顔が見えなかったんだもの……。そしたら――貴方が――貴方が――」
「僕、君が引きつけか何か起こしたのかと思った」

 恐怖に満ちた表情でロンが言った。

「君、なんだか硬直して、座席から落ちて、ひくひくしはじめたんだ――」
「そしたら、ルーピン先生が貴方を跨いで吸魂鬼ディメンターの方に歩いていって、杖を取り出したの」

 またハーマイオニーが答えた。

「そしてこう言ったわ。“シリウス・ブラックをマントの下に匿っている者は誰もいない。去れ”って。でも、あいつは動かなかった。そしたら先生が何かブツブツ唱えて、吸魂鬼ディメンターに向かって何か銀色のものが杖から飛び出して、そしたら、あいつは背を向けてすーっといなくなったの……」

 吸魂鬼ディメンターがやってきたことを思い出して、みんなが震えていた。ネビルが「怖かったよぉ」という声はいつもより上ずっていたし、ロンも気味が悪そうに肩を揺すっている。ジニーはハリーの次に気分が悪そうで、膝を抱えて隅で泣いているように見えた。

「ルーピン先生が杖から出したあの銀色のものが吸魂鬼ディメンターを追い払う手段だったんだわ」

 すすり上げているジニーを慰めるように抱き締めながらハーマイオニーは震える声で言った。

「私達はルーピン先生がいたから良かったけど、ハナは――もしかしたらもっと長い時間、あの恐怖に晒されていたのかも。私があんな風にここから出さなければ良かったんだわ……。そしたら、ハナは……ハナは……」
「でも、誰があんなのが乗り込んでくるって分かるんだい? ハーマイオニーのせいじゃないよ。ハナだって、そう言うさ。誰のせいでもないんだ」

 ロンが励ますようにそう言って、涙声になったハーマイオニーの肩を叩くとハーマイオニーは目尻に溜まりかけた涙を拭いながら何度も頷いた。ハリーはその様子を眺めながら、ルーピン先生について行かなかったことを後悔した。ハナが本当に大丈夫か心配で心配でならなかった。それに――。

「“ジェームズ”って誰だろう」

 先程からずっと気になっていたことをハリーは訊ねた。

「ここに来た時、セドリックが言ってた。ハナがずっと“お願い、ジェームズを殺さないで”って言ってるって。その“ジェームズ”って誰だろう」
「分からないわ……」
「ハナに“ジェームズ”って友達はいなかったはずだから、マグルの友達じゃないかな。ほら、ハナはマグル生まれだし」

 ハリーの言葉にハーマイオニーとロンが首を横に振って答えた。ハリーはジニーとネビルのことも見てみたけれど、ハーマイオニーとロンが分からないのだから2人にも分かるはずがなかった。案の定、ジニーとネビルは首を横に振った。

 しかしハリーには、もしかしてこの人では、と思う人物が1人だけいた――自分の父親である。父親が亡くなった時、ハリーもハナも赤ちゃんだったのだから、ハナが自分の父親の命乞いをするなんて、普通なら有り得ないはずなのに、ハリーはどうしてだかそう思えてならなかった。

 なぜなら一度だけ、ハナがハリーのことを「ジェームズ」と呼んだことがあったからだ。忘れもしない、あれは1年生のハロウィーンの日のことだ。ロンやハーマイオニーは聞いていなかったが、ハリーは確かにハナがそう呼ぶのを聞いた。それにハナはハリー以上にハリーの両親が侮辱されることを嫌っている――。

 ハリーはそのことをハーマイオニーとロンに伝えようか迷ったが、ジニーとネビルの前では言うべきではないと思って口を噤んだ。でも、もしハナが自分の父親と知り合いだとするならハナは一体何者なのだろう? それともロンの言うようにマグルの友達だろうか。ハナならハリーと違ってマグルの世界でも上手くやっていただろうから、マグルの友達がたくさんいてもおかしくはない。ジェームズだってそんなに珍しい名前ではないし……。

「おやおや、チョコレートに毒なんか入れてないよ」

 いつの間にか戻ってきたルーピン先生がコンパートメントを見回してそう言ったのが聞こえて、ハリーは考え事を隅に押しやり、チョコレートを一口齧った。その瞬間、手足の先まで暖かさが戻ってきて、ハリーはどうして今まで食べなかったのだろうと思った。

「ルーピン先生、ハナは大丈夫ですか?」

 もう一口チョコレートを食べてハリーが訊ねた。

「ちょっと混乱しているようだったけど、大丈夫だ。ホグワーツに着けば会えるだろう――あと十分でホグワーツに着く。ハリーは大丈夫かい?」

 良かった。みんなと一緒に顔を見合わせて胸を撫で下ろしながら、ハリーは「はい、大丈夫です」と呟くように答えた。