The ghost of Ravenclaw - 041

6. アズカバンの看守



 バチバチと音を立てて、雨が汽車の窓に激しい打ち付けられている。空はもうすっかり夜のようで、私は到着するころにはこの雨が少しでも収まることを願いながら窓の外を眺めていた。すると、不意にセドリックが呟いた。

「あれ、おかしいな」

 一体何がおかしいのだろうか。隣に座るセドリックを見ると、彼は腕時計と窓の外を交互に見比べているところだった。

「どうしたの? セドリック」
「いや、なんだか速度が落ちてる気がするんだ。まだ着く時間じゃないのに」

 セドリックがそう言うと、汽車は私でも分かるほどはっきりと速度を落とし始めた。規則正しく聞こえていたピストンの音が次第に弱まっていき、それに伴い窓に叩きつける雨の音がよりはっきりと聞こえるのが分かった。なんだか変である。私とセドリックは顔を見合わせた。

「ルーナ、雑誌を仕舞った方がいい――何か変だ」

 未だに『ザ・クィブラー』を読み耽っているルーナにそう告げると、セドリックは立ち上がって通路の様子をうかがった。私は少しでも外の様子が見えないかと、目を凝らして窓の外を凝視した。しかし、降り注ぐ雨が視界を遮り、外の様子はほとんど分からなかった。

 汽車はますます速度を落とし、やがて、ガクンと大きく揺れて停まった。その時の震度であちらこちらから荷物棚に載せたトランクが落ちてくる音が聞こえ、それに驚く子ども達の声も微かに聞こえている。そして、何の前触れもなく、一斉に明かりが消えた。

「一体、何……?」

 突然のことに驚きながら辺りを見渡したが、真っ暗になっていて何も見えなかった。杖明かりを点けた方が良さそうだ。手探りで腰に下げた杖ホルダーから杖を取ろうとすると、誰よりも先に呪文を唱えた人がいた。

「ルーモス! こういう時のために耳に挟んでおいたんだもン」

 ルーナだった。ルーナは左耳に挟んでおいた杖を握り締め、得意気な顔で私とセドリックのことを見ていた。セドリックはそんなルーナに少し笑って、「確かに耳に挟んでおくのが一番だったな」と言った。

「運転士のところに行って何があったのか聞いた方がいいかもしれないけど、しばらく様子を見ないと危ないかもしれないな」

 セドリックはそう言って再び通路の様子を窺った。僅かに開いた扉からは「アイタ!」とか「それは僕の足だぞ!」とか「ちょっと、今私のこと触ったの誰よ!」と大騒ぎしている声が聞こえている。どうやらこんなに落ち着いているのは私達のコンパートメントくらいのようだった。

「確かに危ないかもしれないわ。座ってアナウンスがあるまで待ちましょう。もし故障なら、何か知らせてくれるはずだわ」
「そうだな。少し待ってみよう」

 扉を閉めて、セドリックが再び私の隣に腰掛けるとルーナは杖灯りを窓辺に向けて外を覗き込んでいた。

「ねえ、あっちの方で何か動いてる」

 ルーナが夢見心地な声音で言った。

「誰か乗り込んで来るみたい――」

 駅でもないのに誰が乗り込んで来ると言うのだろうか。気になって私も窓の外を覗いてみたけれど、私の席からは何も見えなかった。セドリック曰く、こんな風にして途中で停車して誰かが乗ってくるなんて初めてのことらしい。

「もしかしたら、シリウス・ブラックを捜してるのかも」

 再びルーナが言った。

「だってあの人、杖を持ってないんでしょ? 私なら杖を持ってなくて遠くに逃げるなら、こっそり汽車に乗るもン」

 ルーナの言葉に私はハッとして窓にピッタリ張り付いて外を見た。昨日リーマスから届いた手紙には、ダンブルドア先生たっての希望で汽車に乗ることになったと書いてあった。つまりそれは、誰か教師が1人乗っていないとならない事態が起こるとダンブルドア先生が考えていたからだ。そして、昨夜ウィーズリー夫妻が話していた。ホグワーツにアズカバンの看守が配備される、と――。

吸魂鬼ディメンターが来るわ。セドリック、扉に鍵を掛けて! シリウス・ブラックはここにはいないって言うのよ」

 しかし、気付いた時にはもう遅かった。私が叫んで振り返ると、入口には既に黒い影が立っていて、確かにこちらを見ていた。天井まで届きそうな高さで、顔は黒いフードにすっぽりと覆われている。これが吸魂鬼ディメンターに違いない。私は一番近い場所にいるセドリックを無意識に自分の方に引き寄せ、背中に隠そうとした。

 灰白色かいはくしょくに冷たく光る死骸のような手が扉に掛かり、ゆっくりと開かれた。吸魂鬼ディメンターが触れた場所から途端に冷気がコンパートメントの中に入り込み、ルーナの杖に灯っていた明かりがふっと消えた。

「シリウス・ブラックはこの汽車の中には乗っていないわ。立ち去りなさい――」

 僅かに震える声でそう告げるとフードの中の黒い影がセドリックやルーナを見て、最後に私の顔を見た。すると、吸魂鬼ディメンターは扉に掛けていた手を長いマントの中に引っ込めた。

 このまま立ち去ってくれるのだろうか――私がそう考えていると、吸魂鬼ディメンターは何を思ったのか、何やら不気味な音を立てて深く息を吸い込み始めた。それはまるで、必死に酸素を求める病床に臥す人のようだ。何かを求め懸命に吸い込もうとしている。

 次の瞬間、ゾッとするほどの冷気が全身に襲い掛かった。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように喉に息がつっかえて、私は息苦しさに喉元を抑えた。冷たい冬の海に飛び込んでしまったかのようだった。冷気が皮膚から、喉から、身体の奥深くへと潜り込んできて、肺を満たし、心臓を凍り付かせた。

 すると、どこか遠くで私の名前を叫ぶ声が聞こえた。暗くなっていく視界の向こうで、蒼白になったジェームズの顔がチラリと見えて、私はもがいた。彼はこの世界で私を見つけてくれた一番最初の友達だった。この世界で迷い込む時にはいつでも私を見つけてくれて、私を助けてくれた。

 そんな彼を私は助けたかった。見殺しになんてしたくはなかった。この時代で目覚めた時、私がどんなに絶望を感じたか誰にも分からないだろう。あの最後の日に戻れるものなら戻って、私は彼を助けたかった。自分のプライドをすべて捨て去って、ヴォルデモートに命乞いをしてもいい。

 お願いだから、ジェームズを殺さないで。お願いだから、ジェームズを殺さないで――私のそばからこれ以上私の大事な人を奪わないで――代わりに私が死んだっていい。大事な人を守れるのなら、私はなんだってする。

 暗い視界の向こうにいるジェームズになんとか近付こうとして私はもがき続けたけれど、どうにもならなかった。腕が重くて持ち上がらない。それどころか濃い霧が私の周りを包んでいて、やがて、私の視界は完全にブラックアウトした。