The ghost of Ravenclaw - 036

5. クルックシャンクスと夏休み最後の日

――Harry――



 ウィーズリー夫妻が椅子を引いて立ち上がる音が聞こえると、ハリーとハナは出来るだけ音を立てずに扉の反対側の廊下まで移動して身を隠した。それから数秒ほどして、ウィーズリー夫妻が階段を上がっていくのが分かると、ハリー達は慎重に辺りを見渡しながらパブの店内に出た。

 プリペッド通り4番地を飛び出した日、一体何が起こっていたのかやっと分かったぞ――ハリーはウィーズリー夫妻が話していたことを思い出しながらそう思った。ファッジがハリーを処罰しないと言ったのは、ハリーがブラックに命を狙われていると知っていたからだし、ダイアゴン横丁に留まるよう約束したのも、そこにいればハリーを見守る魔法使いや魔女がたくさんいるからだ。

 ファッジが頑なにホグズミード許可証にサインするのを拒んだのも「保護者ではないから」という理由だけではない。ブラックに狙われているのにホグズミードに行かせるわけにはいかないと考えたからだ。ウィーズリー一家が漏れ鍋に泊まるのもハリーの面倒を見るために違いない。だから魔法省は明日の朝、キングズ・クロス駅に行くのに車を2台用意してくれるのだ。すべてはハリーがブラックに命を狙われているから。

「ハリー、顔色が悪いわ――」

 考え事をしていると、いつの間にかハナが心配そうな顔をしてハリーを覗き込んでいた。自分は一体どんな顔をしていたのだろうか。暗い店内では、ハナのヘーゼル色の瞳に映る自分の姿すら確認出来なかった。

「僕、平気だよ。ブラックはそれほど怖くないんだ。強がりなんかじゃない――だって、ヴォルデモートより恐ろしいなんて絶対有り得ないじゃないか」
「ええ、そうね。貴方の言う通りよ。去年や一昨年、私達に降り掛かった出来事に比べたらブラックはそうね――可愛いワンちゃんみたいなものよ」
「ウン。ワンちゃん……ではないかもしれないけど……ウィーズリーおばさんも言ってたように、この地上で一番安全な場所はダンブルドアのいるところだ。ヴォルデモートはダンブルドアを恐れていたから、ブラックがその右腕というなら同じようにダンブルドアを恐れているはずだ」

 ハリーがそう言うとハナはハリーを励ますように背中を撫でて、真剣な表情で頷いた。

「でも、吸魂鬼ディメンターがホグワーツに配備されるだなんて――ホグワーツで対応に追われてるってこのことだったんだわ」
「ディ……なんだって?」
吸魂鬼ディメンターよ。この世で最も悍ましいとされる闇の生物で、アズカバンの看守なの。誰もが恐れているわ……人の幸福を餌にして、絶望と憂鬱をもたらすと言われているの……そうだ、チョコレート。ハリー、私達、たっぷりチョコレートを準備しなくちゃ。それが必要なのよ」

 ハリーはどうしてチョコレートが必要だと言い出したのかさっぱり分からなかった。けれど、もしかすると吸魂鬼ディメンターはチョコレートが嫌いなのかもしれない、とハリーは思った。

「でも、そんなに恐ろしいものがホグワーツに配備されるなら、校内は安全じゃないかな。でも、逆に言えばホグワーツの外は危険だってことだ。僕にとっては――」
「ハリー……」
「大人はみんな僕を監視したがるだろうし、ホグワーツの外には出したがらない。ホグズミードには行けないんだ……」

 ブラックが命を狙っているという事実より、ハリーはハナやロン、ハーマイオニーとホグズミードに行けないことが何よりショックだった。以前ハナがダンブルドアに聞いてみると言ってくれたけれど、きっとダンブルドアも許可はしてくれないだろう。ブラックの危険が去るまで、きっとみんながハリーを監視したがるはずだ。

「僕、ネズミ栄養ドリンクを探さなくちゃ。ロンが失くしたって探してたから――」

 やがて沈黙が訪れると、ハリーはハナが気遣わしげに自分を見ていることに耐えられずにそう言った。そして、ようやく本来の目的であったネズミ栄養ドリンクを探し始めると、午後にみんなで座っていたテーブルの下に落ちているのを見つけることが出来た。

 ウィーズリー夫妻はもう部屋に入ってしまっただろうということで、ハリーとハナはネズミ栄養ドリンクの瓶を拾い上げると階段を上がり始めた。すると、踊り場の暗がりでフレッドとジョージが蹲り、声を殺して、息が苦しくなるほど笑っているのを見つけた。その手にはヘッドボーイのピンバッジが握られている。

「おっと、女王陛下に見つかっちまった」

 ハナが呆れた視線をフレッドとジョージに向けると、フレッドが手に持っていたピンバッジを隠しながら言った。チラリと見えたピンバッジは「ヘッドボーイ」ではなく「超ド級のうぬぼれ屋ヒュマンガス・ビッグヘッド」に書き換えられていた。

「本当に懲りないわね……」
「君もこの夏中ずーっとヘッドボーイのピンバッジを見せつけられたら気が変わるさ、ハナ」
「俺達なんてパーシーに毎日あれを見せつけられてたんだぜ。うんざりさ」
「うーん、気持ちは分からなくはないけれど……ほどほどにしておかないと」

 渋い顔をしながらハナは言った。

「それに、貴方達は人を笑顔に出来るとても素晴らしい才能があるって、私、思うの。それは何より変え難いものだわ。だから私、もっと違うところでその才能を発揮して貰えたら嬉しいってそう思うのよ。そうしたら、貴方達の素晴らしさをもっと多くの人に知って貰えるでしょう?」

 それからハリーとハナは再び階段を上がり2階へ行くと、また明日ロンとハーマイオニーを含めた4人でこの件を話し合うことにして、今日は一旦眠ることにした。「おやすみ」を言い合って、ハナは1号室に、ハリーはネズミ栄養ドリンクをロンに渡してから11号室に戻る。

 部屋の鍵をかけ、ベッドに横たわると、なぜだかふっとマグノリア・クレセント通りで見かけたあの黒い獣の影がハリーの脳裏によぎり、それからフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で見た『死の前兆――最悪の事態が来ると知ったとき、あなたはどうするか』というタイトルが思い浮かんだ。

 『死の前兆』の表紙に描かれた黒い犬とマグノリア・クレセント通りで見かけた黒い獣はとても良く似ていた。あれがもし本当に死の前兆だったのなら――ハリーはそこまで考えて頭をブンブン横に振った。

「僕は殺されたりしないぞ」

 ハリーが声に出してそう言うと、部屋にある喋る鏡は「その意気だよ、坊や」と眠そうに呟いたのだった。