The ghost of Ravenclaw - 022

3. マージおばさんと夜の騎士バス

――Harry――



 最悪だ――ハリーは自分の肩をガッシリと掴んでいるコーネリウス・ファッジの顔を見て、誰かに突然冷や水を浴びせられたかのような気分になった。ハナを頼って一晩かけてようやく漏れ鍋へとやってきたのに、魔法大臣の手中に自ら飛び込むことになるなんて、思ってもみなかった。魔法省からしてみたら、今のハリーはさぞ滑稽に見えることだろう。

「おったまげた。アーン、来いよ。こっち来て、見ろよ!」

 そんなハリーの気持ちなど露知らず、バスの降車口でハリーを見送っていたスタンは思い掛けない魔法大臣の登場に興奮気味に飛び降りてきた。更に運の悪いことに、スタンは先程ファッジがハリーのことをなんて呼んだのか聞いてしまっていた。もうお終いだ。きっとスタンはハリーにブラックの話をした時と同じように、これからバスに乗車する魔法使いや魔女達にこのことを話すに違いない(「アリー・ポッターのこと、きーたか? おばさんを膨らましちまってよ! この夜の騎士ナイトバスに乗せたんだぜ、そうだなぁ、アーン? 逃げよーって算段だったな……」)。

「大臣、ネビルのことをなーんて呼びなすった?」
「ネビル? ハリー・ポッターだが」
「ちげぇねぇ! アーン! アーン! ネビルが誰か当ててみな! アーン! このしと、アリー・ポッターだ! したいの傷が見えるぜ!」

 興奮した様子で大喜びしているスタンに対し、ファッジは煩わしそうに眉を顰めた。小柄なでっぷりとした体に細縞の長いマントを纏っているファッジは、寒そうで疲れた様子である。もしかしたら一晩中ハリーがやって来るのを待っていたのかもしれない。

「まあ、夜の騎士ナイトバスがハリーを拾ってくれて大いに嬉しい。だが、私はもう、ハリーと2人で漏れ鍋に入らねば……」

 ハリーの肩を掴んでいるファッジの手に力が入り、ハリーは否応なしに漏れ鍋に入ることとなった。すると、早朝でほとんど客のいない店内の奥で勢い良く誰かが立ち上がって叫び声を上げた。

「ハリー! ああ、ハリー――無事で良かった!」

 ハナだった。ファッジからどんな話を聞いているかは分からないが、どうやら心配して待っていてくれたらしい。ハリーはそんなハナの顔を見てやっと家族の元に帰ってきたような不思議な安堵感に包まれた。しかし、何が起こったのか説明する暇もなく、今度はカウンターの奥の扉が開いて別の誰かがランプを片手に現れた。皺くちゃで、腰が曲がり、歯の抜けた漏れ鍋の店主、トムだ。

「大臣、捕まえなすったかね!」

 トムが声を掛けた。

「何かお飲み物は? ビール? ブランデー?」
「紅茶をポットで貰おうか」

 尚もハリーの肩をガッシリと掴んだままファッジが答えた。すると、ハリーがその存在をすっかり忘れていたトランクを持ってスタンが漏れ鍋の店内に現れた。未だに興奮気味のスタンはハリーが置かれている状況が分かっていないようで、そばまでやってくると「なーんで本名を教えてくれねぇんだ。え? ネビルさんよ」と笑顔で話し掛けた。開け放たれた店の出入り口の向こう側には興味津々の様子のアーニーがこちらを覗き込んでいる。

「それと、トム、個室を頼む」

 ファッジが殊更はっきり述べると、トムはカウンターから続く廊下へとファッジとハリーを誘った。

 ハリーはハナと再会した時の安堵感が見る見るうちに失くなって行くのを感じながら、スタンとアーニーに「じゃあね」と挨拶をし、それからハナに「またあとでね――あー――もし、会えたら」と言った。ハナはそれに頷きながら「大丈夫よ。すぐに会えるわ」と答えた。

 トムを先頭に、狭い通路を後ろからファッジに追い立てられるように進み、ハリーは1つの小部屋に辿り着いた。小部屋には暖炉のそばにテーブルが1つあるだけだった。そのテーブルを挟むようにして、2脚の椅子が置いてある。部屋の中は暖炉の火が消えていて少し肌寒かったが、トムが指をパチンと鳴らすと暖炉の火が一気に燃え上がった。

 トムが恭しく頭を下げたまま部屋から出て行くと、ハリーはファッジに勧められるままに椅子の1つに腰を下ろした。一度部屋を出て行ったトムは、ハリーとは初対面だと思い込んでいるファッジ――本当の初対面の時、ハリーは透明マントに隠れていた――がハリーに自己紹介をしたところで再び戻ってきて、テーブルに紅茶とクランペットを置いてまた部屋を出て行った。

「さて、ハリー」

 紅茶を注ぎながらファッジが言った。

「遠慮なく言うが、君のお陰で大変な騒ぎになった。あんな風におじさん、おばさんのところから逃げ出すとは! 私はもしものことがと……だが、君が無事で、いや、何よりだった」

 ファッジはクランペットを1つ取り、バターを塗り、残りを皿ごとハリーの方に押して寄越した。クランペットというのはパンケーキに似ていて、丸くて平たいパンのようなお菓子だ。外はカリッと中はもっちりとした食感で、これ自体にあまり味はないがファッジのようにバターを塗ったりジャムや蜂蜜をかけて食べたりすると美味しいのだ。ハリーはこれが嫌いではなかったが、今は食べる気にはなれなかった。

「食べなさい、ハリー。座ったまま死んでるような顔だよ。さーてと……安心したまえ。ミス・マージョリー・ダーズリーの不幸な風船事件は、我々の手で処理済みだ。数時間前、“魔法事故リセット部隊”の2名をプリベット通りに派遣した。ミス・ダーズリーはパンクして元通り。記憶は修正された。事故のことはまったく覚えていない。それで一件落着。実害なしだ」

 ファッジはそう言うとティーカップを傾けて紅茶を一口飲み、なんと、ハリーに笑い掛けたではないか。ホグワーツを退学処分になり、すぐさまアズカバン送りにされるものだとばかり思っていたハリーは俄かには信じられず、口を開いたものの、なんと言ったらいいか分からず、また口を閉じた。因みにマージョリーというのはマージおばさんの本名で、マージはおばさんの愛称である。

 ファッジの雰囲気を見るに、どうやらアズカバン送りにはならずに済みそうだが、きっとこのあとホグワーツを退学処分にすると言い渡されるに違いない――ハリーは審判が下されるその時を今か今かと待った。

「あぁ、君はおじさん、おばさんの反応が心配なんだね?」

 しかし、何を勘違いしたのかファッジは処罰の内容ではなく、ダーズリー家について話を続けた。

「それは、ハリー、非常に怒っていたことは否定しない。しかし、君がクリスマスと復活祭イースター休暇をホグワーツで過ごすなら、来年の夏には君をまた迎える用意がある」
「僕、いつだってクリスマスと復活祭イースターはホグワーツに残っています」

 今度こそハリーは声に出して言った。

「それに、プリベット通りには二度と戻りたくはありません」
「まあ、まあ、落ち着けば考えも変わるはずだ。なんと言っても君の家族だ。それに、君達はお互いに愛しく思っている。――アー――心のふかーいところでだがね」

 ハリーは間違いを正す気にもならず、また口を閉じた。そもそも今一番大事なのはダーズリー一家に戻るか戻らないかではなく、これから自分にどんな処罰が下されるのか、である。しかし、ファッジはまたしてもハリーの処罰について口にはしなかった。

「そこで、残る問題は夏休みの残りを君がどこで過ごすか、だ。私はこの漏れ鍋に部屋を取るとよいと思うが、そして――」
「待ってください」

 ハリーは思わず口を挟んだ。

「僕の処罰はどうなりますか?」
「処罰?」
「僕、規則を破りました!」

 本来ならアズカバン送りとまでは行かなくても何らかの処分を受けて然るべき事態である。だからこそファッジも漏れ鍋でハリーを待ち受けていただろうに、処罰について一向に口にしないのはどういう訳だろうか? 去年なんて、魔法を使ったのはドビーだったにもかかわらず、すぐさま警告状が来たというのに。

「君、君、当省はあんなちっぽけなことで君を罰したりはせん!」

 ファッジは心外だとばかりにクランペットを振りながら叫んだ。なんと、処罰はないと言う。

「あれは事故だった! おばさんを膨らました廉でアズカバン送りにするなんてことはない!」

 しかし、これではハリーがこれまで経験した魔法省の措置とは辻褄が合わない。それに処罰がないと言うのなら、一体どういう理由で大臣自らハリーを漏れ鍋で待ち受けていたというのだろうか。

「去年、屋敷しもべ妖精ハウス・エルフがおじさんの家でデザートを投げつけたというだけで、僕は公式警告を受けました! その時魔法省は、僕があそこでまた魔法を使ったらホグワーツを退学させられるだろうと言いました」

 なんだか腑に落ちない状況に、ハリーが言い返すと、ファッジは突然狼狽えたようになった。

「ハリー、状況は変わるものだ……我々が考慮すべきは……現状において……当然、君は退学になりたいわけではなかろう?」
「もちろん、嫌です」
「それなら、何をつべこべ言うのかね? さあ、ハリー、クランペットを食べて。私はちょっと、トムに部屋の空きがあるかどうか聞いてこよう」

 なんだか妙である。ハリーはもう話は終わりだとばかりに切り上げて部屋を出て行ったファッジの後ろ姿を見ながら、そう思わずにはいられないのだった。