The ghost of Ravenclaw - 017

3. マージおばさんと夜の騎士バス

――Harry――



 ハリーの13歳の始まりは、間違いなく最高だと言えたが、朝になるとすっかり魔法が解けたかのようにいつも通りになっていた。ハリーが朝食へ下りて行くと、もう既に朝食を食べていたダーズリー一家は新品のテレビに釘付けで、誰一人としてハリーに声を掛けようとせずに無視をしたし、それどころか今日がハリーの誕生日であることすら忘れているようだった。けれども、こんなことはいつものことだ。慣れっこだったハリーは気にせず、バーノンおじさんとその息子でハリーのいとこであるダドリーの間に座るとトーストを1枚齧った。

 リビングにあるテレビと冷蔵庫の距離が遠くて歩くのが大変だとダドリーが駄々をこねて新しくやってきた新品のテレビでは、丁度アナウンサーが脱獄囚のニュースを読んでいるところだった。テレビには肘の辺りまでボウボウと伸びた髪をしたやつれた男が映り、アナウンサーが「……ブラックは武器を所持しており、極めて危険ですので、どうぞご注意ください。通報用ホットラインが特設されています」と話している声だけが聞こえている。どうやらこの男がブラックとかいう脱獄囚らしい。

「やつが悪人だとは聞くまでもない」

 おじさんが脱獄囚の顔を見て吐き捨てるように言った。ハリーは、囚人が脱獄したこともそうだが、そもそもおじさんはあのボウボウにもつれて伸びた髪が気に入らないのだとすぐに気付いた。何せおじさんは常日頃からハリーのくしゃくしゃ頭が気に入らなかったからだ。けれどもハリーはブラックに比べたら自分は身嗜みがいい方じゃないか、と思った。

 テレビの画面はおじさんがハリーの髪を不機嫌そうに見ているうちにアナウンサーの顔に切り替わり、次のニュースに移った。しかし、おじさんはこのことにご立腹で「その極悪人がどこから脱獄したか聞いてないぞ! 何のためのニュースだ? 彼奴は今にもその辺に現れるかもしれんじゃないか!」と叫んだ。すると、世界一お節介で、規則に従うだけの退屈なご近所さんの粗探しをすることに、人生の大半を費やしているペチュニアおばさんが、今にも通報用ホットラインに電話を掛けたそうにしながら窓の外を確認した。しかし、残念ながらブラックはプリペッド通りには潜んでいないようだった。

 ハリーはその様子を横目に見ながら、ぼんやりと夜中に送られてきたプレゼントの数々やハグリッドの荷物も共に届いたホグワーツの手紙の件について考えた。実はあれからホグワーツの手紙を開いたのだが、なんと3年生からは週末に何度かホグズミード村に行くことが許されるので、許可証に保護者のサインが必要だと書いてあったのだ。おじさんやおばさんにサインを貰うためにはいざこざを起こさず、大人しくしているしかないだろう、とハリーは思った。今日は箒磨きセットをもっとじっくり眺めて大人しく過ごそう――ハリーがそんな風に考えている時だった。

「ペチュニア、わしはそろそろ出かけるぞ。マージの汽車は10時着だ」

 おじさんがそう言って立ち上がって、ハリーは衝撃を受けた。ハリーの聞き間違いでなければ、おじさんは今確かにあの・・マージおばさんが10時に到着すると言ったからだ。

「マージおばさん?」

 ハリーはあまりの驚きと衝撃で思わず口にした。

「マ、マージおばさんがここに来る?」

 マージおばさんはバーノンおじさんの姉だった。田舎にある大きな庭つきの家に住んでいて、ブルドッグのブリーダーをしている。大切な犬を放っておくわけにはいかないと、プリベット通りにはそれほど頻繁に滞在するわけではなかった。しかし、その滞在の一回一回が、ハリーの脳裏に恐ろしく鮮明に焼きついていた。

 ダドリーの5歳の誕生日に「動いたら負け」というゲームをした時には、ダドリーが負けないように歩行補助用のステッキでハリーの脛を叩いて動かそうとしたし、それから数年後のクリスマスに現れた時には犬用ビスケットをハリーに持ってきた(ダドリーはコンピューター製のロボットだった)。

 前回の訪問は、ハリーがホグワーツに入学する1年前だった。その時ハリーはマージおばさんのお気に入りのブルドッグ、リッパーの前脚をうっかり踏んでしまい、怒ったリッパーに追いかけられて庭の木の上に追い上げられてしまった。それはハリーも悪かったと思ったけれど、マージおばさんは真夜中過ぎまで犬を呼び戻そうとしなかった。

 そんなマージおばさんが1週間もプリペッド通りに滞在する、とバーノンおじさんは言った。ハリーはまるで死刑宣告された被告人のような気分になって、こんなことならブラックが庭先に現れた方がずっとマシだとすら思った。

 バーノンおじさんは、絶望的な気分になっているハリーに「マージと話す時は礼儀をわきまえろ」だとか「マージがいる間はキテレツなことは一切するな」と忠告した。ハリーは去年ハナが怖い顔をして「恥を知りなさい!」とダーズリー一家を怒鳴りつけたことを思い出しながら、「いいよ。おばさんもそうするならね」と言い返した。

「マージには、お前が“セント・ブルータス更生不能非行少年院”に収容されていると言ってある」

 バーノンおじさんは更なる衝撃をハリーに与えた。

「お前は口裏を合わせるんだ。いいか、小僧。さもないとひどい目に遭うぞ」

 ハリーはあまりのことに腑が煮えくり返るような気持ちでバーノンおじさんを見つめながら、夜中に送られてきたバースデー・カードやプレゼントの数々を思い出して必死に冷静さを保とうとした。しかし、これはもしやチャンスではないだろうか。ハリーは突然あるものの存在を思い出してそう思った。ここで大人しくする条件を飲めば、もしかするとホグズミードの許可証にサインが貰えるのでは、と思ったのだ。

 ハリーの思惑は、なんとか成功した。バーノンおじさんはハリーがセントなんちゃらに行っているときちんと口裏を合わせ、1週間完璧にマグルらしく振る舞えたら、許可証にサインしてやってもいいと言ってくれたのだ。

 そうとくれば、こうしちゃいられない。ハリーは食べ掛けのトーストを放棄して、2階にある部屋へと駆け上がった。本当のマグルのように振る舞うには準備が必要だ。汽車が10時に到着するというのなら、大急ぎでその準備を終わらせなければならない。

 ハリーはしょんぼりとしながら床板の緩んだところから巾着袋を取り出すと、その中にプレゼントとバースデー・カードを仕舞い込み、元の場所へと隠した。それからヘドウィグの鳥籠のところへ向かった。鳥籠の周りではヘドウィグの他にロキと弱り果てていたエロールが羽を休めていたけれど、エロールはこの夜の間になんとか回復したようだった。ハリーは溜息をついて、3羽を突いて起こした。

「ヘドウィグ」

 ハリーは悲しげに呼び掛けた。

「1週間だけ、どこかに行っててくれないか。ロキかエロールと一緒に行けよ。そしたら、ハナかロンが面倒を見てくれる。メモを書いて事情を説明するから。そんな目つきで僕を見ないでくれよ」

 恨みがましくハリーを見つめているヘドウィグに、ハリーは心が痛んだ。ハリーのためにフランスまで行ってくれたヘドウィグに出来るなら、こんな仕打ちはしたくはなかった。

「僕のせいじゃない。ロンやハーマイオニー、ハナと一緒にホグズミードに行けるようにするには、これしかないんだ。ハナは――ハッフルパフのあのハンサムな上級生とデートかもしれないけど。1回くらい一緒に行ってくれるかもしれない」

 10分後、脚に手紙を括りつけられたヘドウィグとロキ、それからエロールが窓から舞い上がり、彼方へと消えた。ハリーは心底惨めな気持ちで空っぽの籠を箪笥に仕舞い込んだ。しかし、くよくよしている暇はなかった。ペチュニアおばさんの甲高い声が聞こえてきたからだ。

「ハリー! 下りてきてお客様を迎える準備をおし!」

 遂にマージおばさんがやってきたのだった。