The ghost of Ravenclaw - 012

2. アズカバンの脱獄囚



 シリウスと再び別れてから私は、もう一度家の中に髪の毛が残ったりしていないかを入念に確認をした。もしシリウスを家の中に入れ、あまつさえ逃亡の手助けをしたことがリーマスにバレでもしたら一体どうなってしまうのか――予測出来ないことが起こることが私には怖かった。そのことでもし、リーマスの人生を台無しにしてしまったら? もし、シリウスの無実が証明出来なかったら? そう考えると、私には、私が知っている通りに未来が進み、チャンスが訪れるのをただ待つしか選択肢がなかった。

 『アズカバンの囚人』で私が知っていることは、シリウスが脱獄すること、そして、これからの1年間ピーターを捕まえようとあれこれ動くこと、それから、最終的にピーターを追い詰めることだ。幸運なことに私はどのタイミングでシリウスがピーターを捕まえるのか予め知っていた。3年生最後の満月の夜だ。私はそれまで確実に準備をし、待たなければならない。

 ただ、その間の細かな出来事が私は曖昧だった。それもそのはずだ。私は例の友人から話を聞かされていただけで、『アズカバンの囚人』に関しては、映画を観たことも小説を読んだこともないのだから。3年生最後の満月の日にピーターを追い詰められると覚えていただけでも、よしとしなければならない。

 家の中にシリウスの匂いが残っているかどうかは分からなかったので、夕食はカレーにすることにした。本当は時間をかけて煮込んだ方が美味しく仕上がるのだけれど、仕方がない。帰ってきたリーマスに「違う男の匂いがする」なんて言われてしまうよりはマシというものである。そうして、リーマスの帰りを待ちながら、カレーを煮込んでいた時だった。

「リーマス・ルーピン! 本物! 安全!」

 リビングで来訪者探知機の鳩が叫んで、リーマスの帰宅を知らせた。時刻を確認すればもう夜の7時である。今日は随分と遅い帰りだったが、忙しかったのだろうか。そう考えながら火を止め、リーマスを出迎えようとキッチンを出ると、来訪者探知機の鳩がもう一度飛び出してきた。

「アルバス・ダンブルドア! 本物! 安全!」

 ダンブルドア先生の突然の訪問に、私は驚いて一瞬固まったが、すぐにピンときた。ダンブルドア先生の元に魔法省からシリウスが脱獄したと連絡が入ったのだ。帰りが遅かったのはそのせいだったのだろう――私は深く深呼吸して今日起こった出来事を悟られないようにしながら玄関へと向かった。この家はマグルの住宅街にあるから、リーマスはいつも家の中で姿をくらまし、そして姿を現していたけれど、ダンブルドア先生が一緒なら、玄関に現れたに違いない。

「おかえりなさい、リーマス。それから、ダンブルドア先生、いらっしゃいませ」

 僅かに緊張しながら玄関扉を開くと、日中シリウスがパッドフットの姿で倒れていた玄関ポーチにリーマスとダンブルドア先生が立っていた。シリウスが掃除呪文を掛けてくれているからなんの変哲もない綺麗さっぱり掃除されたばかりの玄関ポーチである。

「ハナ、君に話がある。もう分かってるね?」

 いつもならにこやかに「ただいま、ハナ」と言ってくれるリーマスの表情が強張っているのが、はっきりと見て取れた。その隣に立つダンブルドア先生もいつになく真剣な表情で私をじーっと見つめていた。こういう時、閉心術を習得したにもかかわらず心を読まれている気分になるから不思議だ。

「シリウスがアズカバンを脱獄したのね……?」
「ああ――やはり君は知っていたんだね。ホグワーツの教師に推薦したのもこのためだったという訳だ。なぜ私に話さなかったのか問い質したい気分だが、こればかりは君の判断が正しかったと言わざるを得ない。不満だがね」
「何があったの……?」
「中で話そう。さあ、ダンブルドア先生、どうぞ」
「おお、ありがとう。立ったままではこの老体にはちとキツイのでな――」

 何か速報がある時に限り、日刊予言者新聞は夕刊を発行するけれど、今日それがなかったということは魔法省は正式に発表する前にホグワーツへ連絡を取ったのだろう。それはシリウスが今後ハリーを殺そうとするだろうという推察によるところが大きいとは思うが、シリウスのかつての親友であるリーマスを怪しんだ可能性も捨てきれない。かつての親友が脱獄の手助けをした、と考えるのは真っ当な推理だ。それが当たっているかどうかは別にして、だけど。

「今日、魔法省魔法法執行部闇祓い局の局長であるルーファス・スクリムジョールとその部下であるキングズリー・シャックルボルトがホグワーツへやって来た」

 リビングに通し、向かい合って座ると、ダンブルドア先生が口を開いた。そんなダンブルドア先生の隣には深刻な表情でリーマスが座っている。

「スクリムジョールの話では、24日に魔法大臣であるコーネリウス・ファッジの視察があり、その時までは確かにシリウス・ブラックは独房の中にいたそうじゃ。しかし、28日の朝になると忽然と姿を消していたと話しておる。君は詳しいことは知っておるかね?」
「いいえ。私が知っていたのはシリウスが脱獄するということだけでした。それで私は日刊予言者新聞の定期購読を始めたんです。脱獄したら発表されるだろうと――でも、魔法省は未だに発表していません。なぜ、発表しないのでしょうか?」
「魔法省はシリウス・ブラックが脱獄したことを認めたくなかったのじゃ。アズカバンのどこかに隠れているのではないか、もしくは近海で死んでいるのではないかと捜索を続けていたらしい」

 シリウスが話していた通り、愚かにも魔法省はアズカバンの壁の隙間にシリウスが隠れているのではないかと探していたわけだ。しかし、結局シリウスはどこにも見つからず、逃げ果せたと認めざるを得ないところまで来てしまったのだろう。

 ダンブルドア先生の話によると、シリウスは脱獄前に「あいつはホグワーツにいる」としきりに呟いていたそうだ。そこでシリウスの捜索を任されている闇祓い局は、シリウスがハリーの命を狙いホグワーツに潜んでいるのではないかと考え、脱獄が正式発表される前に警告と称してホグワーツに訪れたのだという。しかも、魔法省はただ警告に訪れたわけではなかった。

「ルーファス・スクリムジョールは私が脱獄の手助けをしたと考えているようだった。私は彼らの信用を得るために真実薬を飲まなければならなかった」
「真実薬ですって?」
「簡単な質問に少し答えただけさ。脱獄の手助けをしたか、脱獄について何か知っていることはないか、脱獄することを知っていたか――これだけだ。スクリムジョールはまだ質問したそうにしていたが、ダンブルドア先生が間に入ってくださった」
「重要なのは脱獄の手助けをしていないことじゃ。それさえ分かれば十分じゃと思うてな」
「ええ、私もそう思います」
「しかし、君がリーマスに洗いざらい話していたとしたら、彼はアズカバンに投獄されかねなかったじゃろう」

 リーマスが真実薬を飲まされることまで考えが及んでいなかったけれど、私がした選択が正しかったのだと分かるとひどくホッとするのと同時に恐ろしくもあった。もし、シリウスが脱獄するという事実だけでも話してしまっていたら、どうなっていだろう。脱獄することを知っていたかと訊ねられたリーマスは真実薬の影響で「知っていた」と話さざるを得なかったはずだ。そうすれば、リーマスの人生は確実に滅茶苦茶になっていた。私の選択が周りの人の人生をこうも大きく左右してしまうのだ。これが恐ろしくないはずがない。それに今回はバレなくて良かったもののシリウスが動物もどきアニメーガスだとバレたらどうなっていたか――ダンブルドア先生が間に入ってくれて本当に良かったと私は心から安堵した。

 しかし、私はもっと念入りにもっと周到に準備をしなければならない。本当に一度も失敗は許されないのだ。1年目は運良くハリーも私も巻き込まれたセドリックも助かった。2年目も運が良かった。運良くバジリスクを倒せ、記憶のリドルを消し去り、ジニーを助けることが出来、ハリーもフォークスのお陰で無事だったし、私も殺されずに済んだ。3年目は運に縋っていてはダメなのだ。絶対にダメなのだ――私はダンブルドア先生とリーマスの話を聞きながら、僅かに震えている手をぎゅっと握り締めた。