The ghost of Ravenclaw - 010

2. アズカバンの脱獄囚



 木曜日のダイアゴン横丁は、日曜日に訪れた時に比べたら混んではいなかった。私はそんな平日の昼下がりのダイアゴン横丁を見知らぬ男性と共に歩く。きっちりと整えられた栗色の髪に明るいブルーの瞳の30代ほどだと思われるハンサムだ。白いシャツにブルーのデニムというシンプルな装いが、彼のその端正な容姿を引き立てているような気がするから不思議だ。

「彼にして正解だったわ」

 隣を歩く男性を見上げて私はニッコリと笑った。そんなハンサムはこちらを見て、見覚えのある笑い方で口許をニヤッと持ち上げた。

「君があのまま私達と過ごせたのなら、マローダーズ・クイーンとしてその名を轟かせただろうな」
「それってなんだか、私が貴方達を侍らせてるみたいじゃない?」
「いいじゃないか。君にはその素質がある」

 この見知らぬハンサムは、元々、近所にあるベイカー・ストリート駅を歩いていたマグルだった。リーマスがホグワーツへ行っている間にこっそり出掛けた時に見つけたマグルで、人混みに紛れて跡をつけ、髪の毛を引っこ抜いてきたのだ。そう、以前少しだけ話していた「こっそり入手して巾着袋に隠し持っていたある物」とはそのマグルの髪の毛だったのだ。

 そして、あの泥のような魔法薬はポリジュース薬である。去年、ハーマイオニーが主導となって作ったもので、私が手伝う代わりに1人分貰ったものだ。あの時、私がポリジュース薬を欲しがったのは、これを想定していたからだったのだ。なぜなら、アズカバンを脱獄してくるシリウスは杖を持たないからだ。彼が完璧に逃亡するには杖が必要となる。

 つまり、今現在私の隣を歩くこの見知らぬハンサムの中身はポリジュース薬を飲んだシリウスという訳だ。仮の名前はバレン・シュバルツである。これはどちらもドイツ語で、バレンというのが肉球、シュバルツは黒を意味している。

 なぜ仮の名前を決めたのかと言えば、呼ぶ時に困るというのもあるけれど、オリバンダーが杖を買う時に名前を訊くからだ。なのでどうしても仮の名前が必要だった、というわけだ。まだ魔法省が脱獄を公表していないとはいえ、まさかシリウス・ブラックと名乗る訳にはいかないだろう。

「マローダーズと言えば、ムーニーはどうしてる? まさか、連絡を取っていないわけではないだろう?」

 クネクネとしたダイアゴン横丁の通りをオリバンダーの店へと向かって歩きながら、思い出したかのようにシリウス、基、バレンが小声で訊ねた。そう言えば、リーマスのことを話すのをすっかり失念してしまっていた。

「ムーニーは一緒に暮らしてるわ。休暇の間だけだけれど。ダンブルドア先生の代わりに私の保護者になってくれているの。それから、来年度からD.A.D.Aの教師よ」
「そりゃあ、いい。ムーニーがワームテールのことを知っているなら、尚更追い詰めやすい……」
「いいえ、彼には何も話していないの。彼は貴方が裏切り者だと未だに思っているわ」
「ちょっと待ってくれ――何で本当のことを話してくれなかった? 君が言ってくれたらムーニーは信じただろう」
「ええ、そうね。信じてくれたと思うわ。でも、彼がどんな差別を受けて今まで生きてきたか考えると私はとてもじゃないけど言えなかった……。失敗すると、人生を滅茶苦茶にしてしまうのよ。魔法省は狼人間の主張なんて聞いてやくれないわ」

 私がそう言うと、バレンも思うところがあったのだろう。「確かに君の言う通りだ」と納得した。

 話すべきことは他にもたくさんあったが、のんびりと話している暇はあまりなかった。本に書いてあることが確かなら、ポリジュース薬の効き目はきっかり1時間だからだ。足早に通りを歩き、目的のオリバンダーの店へと向かう。本当は薬問屋へ行ってポリジュース薬の材料を揃えたいのだけれど、その時間はないだろう。今度リーマスがいない時に揃えなければ。

「ここは何も変わらないな」

 ようやくオリバンダーの店へ到着したかと思うと、もうポリジュース薬を飲んでから20分が経過していた。久し振りに訪れることとなったバレンは感慨深げに店先を眺めていたけれど、私は申し訳ないと思いつつその背中を押して店内へと入った。扉が開くのと同時に店の奥の方でチリンチリンとベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 オリバンダーはちょうどカウンターの中にいた。何千と積み上げられている杖の箱の上に、更に新しい杖を積み上げているところで、来店を知らせるベルが鳴ると、作業の手を止めてこちらを見た。

「こんにちは、オリバンダーさん」

 途端にソワソワし出したバレンの足をこっそり踏み付けながら私はにこやかに言った。

「おお、ミズマチさん。貴方の杖はよく覚えておる。サンザシの木にセストラルの尾毛びもう、28センチ、強力だが扱いにくい……。杖の調子はどうかね?」
「ええ、ばっちりです」
「それは良かった――それで、今日はどんなご用件で?」
「今日はこちらの男性の杖が欲しいんです」

 私がそう言って、隣に立つバレンを紹介すると、オリバンダーさんは2年前に私が杖を買った時と同じようにバレンの名前を訊ね、杖腕がどちらかを聞き、巻尺でありとあらゆる場所の長さを測り――これが意味があるものなのかは未だに謎だ――いくつかの杖を選んでくれた。

 しかし、バレンの杖選びはとても難航した。5分経っても10分経っても15分経っても決まらず、私とバレンは選んでいる間にポリジュース薬の効果が切れるのではないかとヒヤヒヤして、何度も顔を見合わせた。

 ようやく杖が決まったのは来店してから25分後、ポリジュース薬を飲んでから45分が経過したころだった。シリウスの杖は35センチと長く、持ち手のところに象形文字のようなルーン文字のような紋様が刻まれているものだった。オリバンダーさんは杖の細かな説明をしたがっていたけれど、どうにも時間がなく、私もバレンも慌てて支払いを済ませて店を飛び出した。

「おい、ハナ! この杖が何の素材で出来てるか聞いたか?」

 ダイアゴン横丁の通りを大急ぎで走りながらバレンが訊ねた。

「試した杖が多過ぎて覚えていないわ!」
「だろうな! 私もだよ!」

 そうして時間ギリギリで漏れ鍋に戻り、家に辿り着いたころには、私もシリウスもまるで悪戯を成功させた子どものようにハイタッチしたのだった。