The ghost of Ravenclaw - 005

1. オッタリー・セント・キャッチポールの夏



 メアリルボーンの自宅へ辿り着くとリビングは真っ暗で、家の中はしんとしていた。どうやらリーマスはまだ戻って来ていないらしい――リビングを出て2階にある自室へ荷物を置きに向かいながら、私は夢から覚めたような感覚が抜けきれずにいた。誰もいない家に帰ってくるのが久し振りだったからかもしれない。

 けれども、ディゴリー家での2日間は本当に夢だったのかもしれない。違う世界からヴォルデモートに召喚された女が見てはいけない夢のような空間が、あの家には詰まっているような気がした。何も知らずにジェームズ達と過ごしていたころのような空間が、そこにはあったのだ。ディゴリー夫妻は私のことを大歓迎してくれて、その1人息子であるセドリックはいつでも私を慈しんでくれて、言葉にしなくても彼が私を好いてくれていることはよく分かった。

 もし私が本当に13歳で、ごく普通の女の子だったのなら、この優しさをただただ享受して生きていけたのかもしれない。でも、私はごく普通の女の子ではない。こんな風に優しさや好意に舞い上がっていい人間ではない。助けられたかもしれない友達を、私はいつまで経っても夢だ夢だと現実逃避していたせいで見殺しにしてしまった人間なのだ。そんな私がセドリックの気持ちに応える権利なんてあるはずがない。でも、それでも甘えてしまうのは、私が弱いからだろうか。

 いけない――私は急に心の中を蝕み始めた負の感情を頭を振って振り解いた。ディゴリー家とこの家の落差が激しくて、少し気が滅入ってしまったのかもしれない。リーマスさえ帰って来てくれれば、こんな感情どこかへ消えていくだろう。それに私にはウジウジしている暇はないのだ。リーマスを説得してD.A.D.Aの教師に就任して貰い、脱獄して来るシリウスを助けるという大仕事が待っている。

「頑張るのよ」

 パチン! と両手で頬を叩き気を取り直すと、私は自室に荷物を置いてから夕食作りに取り掛かった。リーマスは満月の次の日、大抵具合が悪そうなので今夜は胃に優しいスープがいいだろう。それとも、スープパスタのようなものがいいだろうか。食べられそうなら、冷凍保存してあるベーコンのブロックを厚く切って焼いてもいいかもしれない。

「ただいま、ハナ」
「おかえりなさい、リーマス」

 リーマスはあともう少しで夕食の支度が終わるかというころにロキと共に帰って来た。帰ってくるなりロキは私の元に飛んできて指を甘噛みして挨拶すると、スーッと2階の私の部屋にある鳥籠へ飛んで行き見えなくなった。一晩中起きていて疲れてしまったのかもしれない。

 ロキと同じようにリーマスも疲れた様子ではあったけれど、それほど傷は増えていないような気がする。ホッとしながら「スープパスタにしたの。食べられる?」と訊ねると、「ありがとう。昨日から何も食べてないんだ」と言った。どうやら食欲はありそうだ。

「ベーコンは食べられる? ブロックが冷凍庫に入ってるの」
「ああ、それも貰うよ」

 夕食が完成すると、2人で向かい合って食べた。食べ始めて早々にリーマスは「私にも楽しいニュースが必要だ」と主張して、私がディゴリー家でどんな風に過ごしたのか根掘り葉掘り聞き出そうとした。しかし、私とセドリックの間に特に何も進展がなかったことを聞くと「彼は紳士的過ぎるんじゃないか」となぜか残念そうに言った。そもそも私はセドリックの気持ちに気付いただけで、決して伝えられてはいないことをリーマスは失念しているらしい。

「ジェームズなんて、リリーへの気持ちを自覚してからは情熱的なんてものじゃなかった。気を引こうと必死で、5年生の時の1年間はアピールしまくっていたものだよ」
「ジェームズが情熱的なことは、自伝小説並みの分厚い羊皮紙を読んでよーく知ってるわ」
「あれはジェームズの超大作だな。どのレポートより真面目に取り組んでいた」

 レポートより真面目に取り組んでいるジェームズの様子が想像出来て、私はクスクス笑った。来年の今ごろには、ジェームズがリリーとの馴れ初めを綴った超大作の手紙をハリーに渡せるだろう。その時、考え得る最善の状況で渡せたらいいと思う。私はそのために頑張るのだ。

「ハナ」

 私が決意を新たにしていると、不意にリーマスが真面目な顔をしてこちらを見た。どうやら真剣な話が始まるらしい。カタン、とカトラリーを置くリーマスを見て私は思った。私は背筋を正すと、リーマスと同じようにカトラリーを置いた。もしかしたら、D.A.D.Aの教師の話をやっぱり断りたいとかいう――、

「君が私をD.A.D.Aの教師に推薦した話だけれど、ダンブルドアの話次第では受けてもいいんじゃないかと思ってる」

 ――話ではなくて、私は突然のことに一瞬ポカンと口を開けた。夏休みが始まってからのリーマスの言動を鑑みるに、てっきり「D.A.D.Aの教師の話はきっぱり断ろうと思う」と言われるものだとばかり思っていたのだ。しかし、私の耳に間違いがなければ、リーマスは確かに「受けてもいい」と言ったはずだ。あんなに拒絶していたリーマスが、だ。

「昨日と今日でよく考えてみたんだ」

 私の反応を見て苦笑いしながら、リーマスが続けた。

「もちろん、狼人間が教師なんて保護者に知られたら大騒ぎだ――誰も狼人間なんかに自分の子どもを教えて欲しいとは思わないだろう。しかし、私は君の選択を信じなければと思ったんだ。何か理由があって、ダンブルドアに私のことを推薦したはずだ、と」

 もしかしたら、今日、リーマスの帰りがいつもより遅くなったのは、このことを考えていたからかもしれない。けれども、私が考えている以上に長い間差別に苦しんできたリーマスがこの決断をするには、どれだけの勇気が必要だっただろうか。本来であれば、私を信じるという理由だけで決断出来ないほど、リーマスにとっては大きな問題だったはずだ。それでも、彼は考えて、考えて考え抜いて――私を信じると言ってくれた。

 元々私はリーマスが狼人間だろうと教師になるのに何の問題もないと思っていた。シリウスが脱獄すれば、この話を引き受けざるを得ないことも分かっていた。だからこそ、ダンブルドア先生にリーマスは必ず引き受けると豪語したのだ。

 でも、リーマスにとって大問題であることは重々承知していた。彼の気持ちを無視して、無理を言っていることも分かっていた。理由を言わずにこんなことを強いることを申し訳ないとも思っていた。それでも彼は、こんな私を信じると言った。それがどれほど嬉しいことか、これは誰にも分からないだろう。

「リーマス――ああ――本当にありがとう」
「まだ完全に受けるとは決めていない。ダンブルドアの話次第だ。私が狼人間である事実は変えられないからね。そこをクリア出来なければ、受けられない。いいね?」
「ええ、ええ、十分よ。ありがとう!」

 引き受けると決めた今でもリーマスは怖いはずだ。それでも私を信じてくれた気持ちに、私は最大限応えなければならない。何度もお礼を言いながら、私はそつ思った。私は、リーマスが失ったと思っている親友を取り戻すために、全力を尽くさなければならない。

「来週、ダンブルドア先生としっかり話し合いましょう」
「ああ、そうだね。そうしよう」

 そうして来年の今ごろ、理由を話さなかったことをリーマスに怒られよう。今度はシリウスも含めた3人の夕食の席で。