Blank Days - 004
レイブンクローの幽霊・前編
――Regulus――
その人は11月の柔らかな陽射しが差し込む図書室の一画に、気が付いたら座っていた。色素の薄い黒髪が光が当たると茶色く透けて、珍しいヘーゼルの瞳は時折金色に煌めいている。こんなに美しい女生徒がホグワーツにいたのか、と少し離れた書棚に立っていた僕は思わず手を止めた。あんなに目立つ容姿なら噂くらいは聞いたことがありそうなものだが、入学してからこの3ヶ月弱の間、彼女に関する噂を聞いたことがなかった。レイブンクローの青に彼女の瞳が良く映えている。
「君は突然現れるんだな」
どれほどの時間、彼女の姿を見ていたのだろうか。気付けば、彼女の向かいの席に見知った顔の男子生徒が現れて、僕は現実に引き戻された。グリフィンドールを示す赤と金に彩られた制服、黒髪に灰色の瞳――。
「あら、ミスター・ブラック」
僕の兄、シリウス・ブラックがそこにいた。
彼女はテーブルの上に置いてある羊皮紙から視線を上げると、向かいの席に腰掛けた兄ににこやかに挨拶した。それから、誰かを探すように周りをキョロキョロと見渡す。そんな彼女に兄が「今日はジェームズはいないよ」と言った。猫撫で声で媚を売ろうとする女生徒達が到底聞くことが出来ないだろう、軽快な口調だった。
「いつも2人一緒なイメージだったから」
意外そうに言う彼女に、兄はジェームズ・ポッターがクィディッチの練習なのだと告げた。今年からポッターがグリフィンドール・チームの選手に選ばれたことは、ホグワーツの中では周知の事実だった。選ばれたその日にポッター本人が大広間で大騒ぎしていたからだ。
しかし、どうやら彼女はそれを知らなかったらしい。それどころかクィディッチすらよく知らないといったふうに「クィディッチ? あのかっこいいスポーツね。ミスター・ポッターはシーカーだったかしら?」と訊ねた。僕ですら、ポッターがチェイサーであることを知っているのに、だ。
そんな彼女に兄はチェイサーだと訂正しつつ、「レイブンクローの幽霊は知らなくても当然か」と言って笑った。彼女もおかしそうに、ふふふ、と笑みを溢しながら、
「ええ、そう。私、神出鬼没の幽霊だから」
と悪戯っ子のような顔を兄に向けた。
初めは、それがただの冗談なのだと思った。彼女は明らかにゴーストではなかったからだ。ゴーストは目視出来るが、通常灰色がかった銀色の姿をしていて、透けて見えるからだ。彼女はきちんと色があるし、透けてもいない。けれど、
「本当にお前、幽霊なんじゃないのか?」
と兄は訊ねた。
「この間会ってから僕も気にして探してみたけど、全く見かけなかった。かと思えば今日はここにいる」
僕はその兄の言葉に眉根を寄せた。こんなに親しげに話していたのに、兄は彼女を全く見かけなかったと話だからだ。これは一体どういうことなのだろうか。話をもっとよく聞こうとこっそりと2人に忍び寄ったその時、
「実は私、普段は違う世界にいるの」
彼女は有り得ない言葉を口にした。兄が「はあ?」と素っ頓狂な声を上げている。けれども彼女の表情は至極真面目だ。
「向こうの世界での私はもう大人で、仕事もしているんだけれど、夜、眠りにつくとここに来ることが出来るの」
どう見ても10代の幼い姿で彼女は言う。
けれども、彼女がもし、本当に世界を行き来出来るのなら、それは
しかし、僕がそんな考えに没頭している間に、彼女はいつの間にか兄の目の前から姿を消してしまっていたのだった。
*
あれから3年の月日が経った。
彼女の存在について調べに調べたが、結局世界を行き来する魔法というものがあるのかすら分からず、彼女の姿も2度と見掛けることはなかった。けれど、気を付けて兄やポッターの会話を聞いていると時々、彼女について話していることがあったから、彼らは会っているようだった。
けれど、僕も3年間ずっと彼女について調べていられるほど暇ではない。日々の宿題や学年末にやってくる試験、それに来年の5年生にはO.W.L試験がある。兄以上の成績を両親に求められている僕が、彼女に費やせる時間はないに等しかった。
しかし、僕は意外な人物から彼女の話を聞くことになる。
「リリー、僕は確かに見たんだ。あのレイブンクローの女子がポッターやブラック、ルーピンと共に校長室に行ったあと、彼女だけが出て来なかった。退学になったんだ。あのヘーゼルアイの女生徒は――」
セブルス・スネイプだった。
人気のない廊下に差し掛かった時にそんな話し声が聞こえて来て、僕は咄嗟に近くにあった空き教室に音を立てずに滑り込んだ。レイブンクローでヘーゼルアイの女子といえば、彼女しかいないとすぐにピンと来たからだ。ドアの隙間からそっと様子を窺う。
「セブ、彼女について詮索するのは辞めて」
話している相手はグリフィンドールのリリー・エバンズだった。エバンズは怒りと軽蔑を含んだ声音で、セブルス・スネイプを叱責している。
「ポッターもブラックもルーピンも、あの日の夜、みんな落ち込んでいたわ。セブ、貴方だって大広間でそれを見たはずよ。悲しそうにしていた彼らを見て、何故そんな風に人のプライベートを詮索出来るのか、私は不思議だわ」
「リリー、君はポッターを庇うのか」
「庇っているんじゃないわ。事実を言っているのよ。彼らは
「これ以上私を幻滅させないで」と言い放って、リリー・エバンズはその場を去って行った。取り残されたセブルス・スネイプは肩を落として、明らかに落ち込んだ様子でその場を去って行く。
「彼女がダンブルドアに会った……?」
僕は再び好奇心が掻き立てられるのを感じた。何故彼女が取り乱して泣いていたのか、何故ダンブルドアに会う必要があったのか、彼女は何者かのか、気になって仕方がなかった。廊下に誰もいないことを確認すると空き教室から飛び出して、スリザリンの談話室へと急ぐ。もしかすると卒業生なら彼女について知っている人がいるかもしれないと思い至ったのだ。
卒業生、ルシウス・マルフォイに――。