Blank Days - 003

ブラック家

――Sirius――



 ロンドン、イズリントン区にあるグリモールド・プレイス12番地は陰気で暗く、世界で1番居心地の悪い家だった。唯一いいところと言えば、キングズ・クロス駅まで徒歩20分という好立地な点だが、 そんなもので居心地がよくなる訳ではない。

 当たり前だが、ここには僕の味方は誰もいない。全員がホグワーツのスリザリン寮の出身で、純血思想だからだ。当然、この屋敷で働く屋敷しもべ妖精ハウス・エルフも主人に忠実で、反抗ばかり繰り返す僕に優しさの欠片もない。

 つい先日始まったばかりの夏休みが1年の中で最も最低な期間だということは、言うまでもないだろう。楽しみであるハナの家に忍び込む計画は実行するのがまだ先だし、家でやることといえば、かの素晴らしいお父上とお母上と喧嘩をすることくらいだ。レギュラスという弟がいるが、あいつは僕と関わり合いになろうとはしない。

「自分の生まれを呪うよ」

 高貴なる由緒正しいブラック家――イギリスの魔法族の中で最も大きく、そして最も古い純血の家系の1つだ。聖28一族という大変不名誉な純血一族の一覧の1番最初にその名を連ねる我が家は、「純血よ、永遠なれ」という狂った家訓で知られている。驚くことに、一族のほとんどが、自分達が事実上、イギリス魔法界の王族だと信じて疑わない奴らばかりだ。我が家系は少々自信過剰らしい。

 僕はこの家の考えが嫌いだった。闇の魔術に傾倒し、スリザリンの思想を恵愛する家系が、どうにも受け入れられなかった。どうして自分がブラック家の思想に染まらなかったのか、自分のことながらに不思議だが、陰気で暗い我が家より、窓の外に広がるマグルの世界の方が幼い自分には輝いて見えたからなのかもしれない。それに、同じ人間なのに、どうしてマグルをそんなに毛嫌いする必要があるのかが分からなかったのだ。

 そんな僕がホグワーツの入学をどれだけ待ち望んだか、誰にも分からないだろう。この家から離れて自由に出来る日々がどれだけ尊いものか、誰にも分かるはずがない。出来るならずっとホグワーツにいたいが、そう言っていられないのが夏休みだ。

「早くジェームズ達と会う日にならないかな」
 
 自室に貼られたグリフィンドールの寮旗や、ビキニ姿のマグルの女性やオートバイのポスターを見つめながら僕は、ぽつりと呟いた。2ヶ月もこの家に缶詰になる気はないから、例年泊まりと称してジェームズの家に逃げ込むのが常だったが、ジェームズの家に行くまでが待ち遠しくてたまらなかった。

 もしハナも僕達と一緒に過ごすことが出来たのなら、僕は毎日でもメアリルボーンにある彼女の家に逃げ込んだことだろう。彼女の家はこことは全く違って明るく清潔感に溢れていて、何より温かみがあった。見たことがないマグルのものがたくさんあって――とにかく素晴らしかった。

 そしたらきっと夏休み中も退屈しなかったはずだ。オートバイをどこで手に入れたらいいのかを教えてもらったり、他にもマグルの不思議なものについて教えてもらえただろう。電車の乗り方だって、ジェームズより先に覚えられたかもしれない。

 今からでも1人でハナの家に行ってみようか。

 退屈のあまりそんなことを考えて、僕はフラリと立ち上がって部屋を出た。ここからメアリルボーンまで歩いたらどれくらい時間がかかるだろうか。電車なら早いだろうがハナの案内なしには乗れる気がしない。

 あれこれ考えながら暗い廊下を玄関ホールに向かって歩いていると、廊下の向こうから僕に関心がないことで有名な弟のレギュラスが歩いて来るのが見えた。けれど僕に関心のないレギュラスのことだ。きっとすれ違ってもお互い無言だろう。しかし、

「レイブンクローの幽霊――でしたっけ」

 今日は無言ではなかった。レギュラスが僕の真横を通り過ぎたかと思うと、そう言って立ち止まったのだ。予想外の単語に驚いて振り返ると、レギュラスは冷たい表情でこちらを見ている。

「ヘーゼルアイの綺麗な人ですね。1年生の時、図書室で貴方が彼女と話をしているのを見掛けましたよ」

 その言葉に僕は凍りついた。いつもなら何かしら言い返すが、今日に限って言葉が出てこなかった。

 確かに僕はレギュラスが1年生の時、つまり、僕が2年生の時図書室でハナと会った。あの時僕は初めて、ハナが違う世界から夢を介して僕達の前に現れているのだと言うことを聞かされたのだ。レギュラスは僕達の話をどこまで聞いていたのだろうか。

「彼女、何者ですか?」

 冷や汗が背筋を伝って流れ落ちた。