Phantoms of the past - 122

17. 閉じられた秘密の部屋

――Harry――



 部屋から飛び出すと、苦痛に満ちたドビーの悲鳴が遠退きつつあった。ハリーはたった今思いついたばかりの計画が果たして上手くいくだろうかと思いながら、急いで靴を脱ぎ、ドロドロに汚れた靴下の片方を脱ぎ、日記をその中に詰めた。そう、ただ日記を返すだけではなかったのだ。

 振り返ったが、ハナは追って来なかった。マルフォイ氏がやってくる直前、ダンブルドアと2人で話があると言っていたので部屋に残ったのだろう。ハナがダンブルドアとどんな話をするのか気になったが、ハリーは急いで暗い廊下を走り、マルフォイ氏を追い掛けた。

「マルフォイさん」

 ちょうど階段の上でハリーはマルフォイ氏に追いついた。マルフォイ氏はちょうど階段を下りているところで、呼び止められると訝りながらも振り返った。その足元では、ドビーが怯えながら縮こまっている。

「僕、貴方に差し上げるものがあります」

 ハリーは急いで走って来たので息を弾ませながらもそう言うと、先程のプンプンに臭う靴下をマルフォイ氏の手に押し付けた。

「なんだ――?」

 ドロドロに汚れた靴下を押し付けられたマルフォイ氏は顔をしかめつつも、その中に何かが入っていることに気付くと、引きちぎるようにして剥ぎ取り、中身を取り出した。そして、それが日記だと分かると怒り狂ったように靴下を投げ捨て、日記の残骸から視線を移し、ハリーを睨みつけた。

「君もそのうち親と同じに不幸な目に遭うぞ。ハリー・ポッター」

 マルフォイ氏の口調は柔らかだったが、憎しみが込められているようだった。

「連中もお節介の愚か者だった」

 そうして捨て台詞を吐くと、マルフォイ氏は立ち去ろうとして、ドビーを呼びつけた。しかし、ドビーは動こうとはしなかった。何かを大事そうに握り締め、まるでそれがとても貴重な宝物であるかのように見つめている。ハリーはドビーが握り締めているものを見て、思わずニッコリするのを我慢した。初めからドビーにそれが渡るよう仕組んだのだと思われないように、だ。

 そう、ドビーが握り締めていたのはハリーのドロドロに汚れた靴下だったのだ。マルフォイ氏が先程投げ捨てたものを足元にいたドビーがキャッチしていたのだ。

「ご主人様がドビーめに靴下を片方くださった」

 ドビーは驚嘆して言った。

「ご主人様が、これをドビーにくださった」

 信じられないというような口調でそう言いながらドビーがマルフォイ氏に靴下を見せると、マルフォイ氏は先程怒りに任せて投げ捨てた靴下が一体どこに向かったのか、初めて知ることとなった。もちろん、それが屋敷しもべ妖精ハウス・エルフにとって、どんな意味を示すのかも、マルフォイ氏はすぐに理解した。

「ご主人様が投げて寄越した。ドビーが受け取った。だからドビーは――ドビーは自由だ!」

 マルフォイ氏は一瞬凍りついたようになったが、すぐにハリーを睨みつけると「小僧め、よくも私の召使いを!」と叫ぶと飛びかかって来た。しかし、マルフォイ氏の手はハリーには届かなかった。

「ハリー・ポッターに手を出すな!」

 ドビーがハリーの前に立ち塞がり、マルフォイ氏を吹き飛ばしたのだ。マルフォイ氏は後ろ向きに吹っ飛び、階段を一度に3段ずつ音を立てて転げ落ち、下の踊り場に惨めに倒れ込んだ。そうして、倒れ込んだマルフォイ氏はすぐさま反撃しようと杖を引っ張り出そうとしたが、ドビーが長い人差し指を脅すようにマルフォイ氏に向けると、ピタリと動きを止めた。

「ハリー・ポッターに指1本でも触れてみろ。早く立ち去れ」

 ドビーはこれまでマルフォイ氏に怯えていたのが嘘のように激しい口調で言った。そんなドビーの様子に分が悪いと思ったのかもしれない。マルフォイ氏は忌々しそうに2人を見ながらもマントを翻すと急いで立ち去って行った。ハリーの咄嗟の思いつきは見事に成功したのだ。

「ハリー・ポッターがドビーを自由にしてくださった!」

 マルフォイ氏がいなくなると、ハリーを振り返ってドビーは言った。近くの窓から月の光が射し込んで、そんなドビーの球のような両眼に映っているのがハリーには見えた。

「ドビー、せめてこれぐらいしか、してあげられないけど」

 上手くいって良かったと思いながらハリーはにっこりした。ずっとマルフォイ家に奴隷のように働かされ暴行を受けているドビーがハリーは気の毒でならなかったのだ。

「ただ、もう僕の命を救おうなんて、二度としないって、約束してくれよ」

 ハリーが言うと、ドビーは顔を綻ばせて頷いた。これでもうハリーを助けようとして、危うく殺しかけるということはないだろう――ホッとしながらドビーを眺めていると、ドビーは貰った靴下の片方を震える手で履こうとしているところだった。そういえば――。

「ドビー、1つだけ聞きたいことがあるんだ」

 不意に思い出したことがあり、ハリーは訊ねた。

「君は、“名前を呼んではいけないあの人”は今度のことには一切関係ないって言ったね。覚えてる? それなら――」

 そう、ドビーが言っていたことを思い出したのだ。あれは夏休みの時、ドビーが一番最初にハリーに会いに来た日のことだ。ヴォルデモートが何か企んでいるんじゃないかとハリーが訊ねたら、ドビーは「“名前を呼んではいけないあの人” ではございません」と確かに答えたのだ。でも、今回の犯人は学生時代のヴォルデモートだった。あれは一体どういうことだったのだろう? すると、ドビーはそんなことは明白だとばかりに答えた。

「あれはヒントだったのでございます。ドビーは貴方にヒントを差し上げました。闇の帝王は、名前を変える前でしたら、その名前を自由に呼んでかまわなかったわけですからね。おわかりでしょう?」

 話を聞くなり、ハリーはガックリと肩を落とした。そんな遠回しなヒントが分かるはずがない。もっと分かりやすく伝えてくれれば、もう少し早く問題が解決したかもしれないのに――とはいえ、マルフォイ家に仕えていた当時はあれが精一杯だったのだろう。ハリーはそう思い直した。

「じゃ、僕、行かなくちゃ。宴会があるし、友達のハーマイオニーも、もう目覚めてるはずだし……」

 もうこれでドビーに訊ねることはなにもないはずだ。ハリーがそう思いつつ別れの言葉を切り出すと、ドビーはハリーの腰の辺りに腕を回してギュッとハグをした。

「ハリー・ポッターは、ドビーが考えていたよりずーっと偉大でした」

 啜り泣きながらが言って、ハリーから離れると、ドビーは去って行った。

「さようなら、ハリー・ポッター! それから、くれぐれもハナ・ミズマチにはお気をつけて! 今回は味方でしたが、彼女はアズカバンの囚人の娘かもしれないのですから――」

 僅かな疑念を残して。