Phantoms of the past - 117

16. スリザリンの真の継承者



 帽子の中から出てきた眩いほど輝く銀色のつるぎの柄には、鶏の卵ほどの大きさもあるルビーが輝いていた。ダンブルドア先生はやはり、意味があって組分け帽子をハリーに寄越したのだ。ハリーなら、あのつるぎを取り出せるときっとダンブルドア先生は信じていた――。

「小童を殺せ! 小童はすぐ後ろだ! 臭いだ――嗅ぎ出せ!」

 リドルは醜悪な顔で叫びながら、バジリスクに命令をしていた。ハリーに気を取られているからだろうか。私の喉元に突き付けていた杖の力が少しだけ緩んだように感じた。今なら、抜け出せるかもしれない。私はもがいてリドルから抜け出そうと試みたが、振動が背中を踏みつけているリドルの足に伝わったのだろう。リドルが私の背中をギリギリと踏みつけ、再び喉元に杖を押しつけた。

「逃すとでも思ったか? 見ろ、今にバジリスクがハリーを喰らうぞ」

 ハリーはすっくと立ってつるぎを構えながら、戦おうとしているところだった。バジリスクはそんなハリーを襲おうと柱に胴体を叩き付けながら後ろを振り返り、ハリーに向き直った。そして、鎌首をもたげると、ハリーを飲み込もうと大きく口を開いた。バジリスクの両眼から流れる血がボタボタとハリーに降り注いでいる。

 バジリスクが闇雲にハリーに襲い掛かると、ハリーは間一髪でそれをかわし、バジリスクは勢い良く壁に激突した。しかし、また巨体を捻ると臭いを嗅ぎ分け、再びハリーに襲い掛かった。今度は、バジリスクの舌先がハリーの脇腹を掠めていった。

 そして、バジリスクが三度目の攻撃に移ろうとすると、ハリーはつるぎを高々と掲げた。攻撃してくるところを狙って斬りつけるつもりなのだ。目の見えないバジリスクはそのことに気付かなかったのだろう。つるぎごとハリーを飲み込もうとして、逆にその口蓋にズブリとつるぎが刺さった。どす黒い血がドクドクとハリーの腕を伝って流れている。

 しかし、傷付けられたのはバジリスクだけではなかった。バジリスクは口蓋に受けた傷が致命傷となり、そのまま痙攣しながら横様に倒れたが、最期の悪あがきなのか、あろうことか牙を1本ハリーの腕に突き刺して倒れたのだ。バジリスクの口から引き抜いたハリーの腕に牙が深々と刺さり、私は叫んだ。

「ハリー!」

 慌ててもがいてリドルから抜け出そうすると、今度は呆気なく、リドルは私を解放した。杖は2本とも自分が持っているし、ハリーもいずれは毒で死ぬことになるだろうから、最後のお別れでもさせてやろう、ということなのかもしれない。

 転がるようにしてハリーに駆け寄ると、ハリーは毒が回ってきているのか、壁にもたれて崩れ落ちているところだった。これ以上毒をハリーの体内に入れてはいけない――私は慌ててハリーの腕に刺さったままになっていた牙を引っ掴むと引き抜くと、その場に捨てた。

「ハナ、君の魔法は凄かったよ」

 ハリーがもつれる舌で呟いた。

「君の鳥がバジリスクの片目を潰したんだ……それからもう片方の目はフォークスが……」

 ハリーのローブは見る見るうちに血で染めり始めていた。毒の場合、どう対処するのがいいのだろう――ベゾアール石を丸呑みさせればもしかしたら効くかもしれないけれど、ここにはベゾアール石もなければ、呼び寄せる杖すらない。杖なしでベゾアール石を呼び寄せられるだろうか。それとも、他に何かいい方法はないだろうか。毒からハリーを助けられる方法が――。

 私が混乱する頭で考えていると、自分がいるとばかりに真紅の影がスッとハリーの傍らに降り立った。ダンブルドア先生の不死鳥のフォークスだ。フォークスは私を見つめてパチパチと瞬きをすると、ハリーの腕に自らの頭を預けた。そこはつい先ほどまでバジリスクの牙が刺さっていた場所だ。フォークスの目には涙が溜まっている。

 ハッとして、私はまじまじとフォークスを見た。確か不死鳥の涙には癒しの力がある――それは、ベゾアール石を呼び寄せるより、ずっと確実な方法だった。フォークスはそれを実践して大丈夫だと教えてくれようとしていたのだ。しかも、ハリーだけでなく、リドルすらそのことに気付いていないようだった。振り返れば、リドルは先程の醜悪な表情から一変し、笑みを浮かべながらこちらに歩み寄ってくる。バジリスクの毒が確実にハリーを殺してくれると思っているのだろう。

「ハリー・ポッター、君は死んだ」

 リドルがハリーの傍らに立ち、見下ろしながら言った。

「死んだ。ダンブルドアの鳥にさえそれがわかるらしい。鳥が何をしているか、見えるかい? 泣いているよ」

 リドルはやはり、フォークスの涙にどんな効果があるのか失念しているようだった。私とハリーが自分より弱いからと油断しているのかもしれない。監督生で首席で魔術優等賞まで貰っていた生徒が、知らないはずがないからだ。ということは、リドルはいずれフォークスの癒しの涙に気付くだろう。しかし、この油断している隙に杖を取り戻せば、癒しの涙に気付かれても反撃する機会があればるかもしれない。私はじっとリドルの手元を見た。その手には私の杖とハリーの杖が2本とも握られている。

「ハリー・ポッター、僕はここに座って、君の臨終を見物させてもらおう。ハナ、君も最期の別れをするといい。ゆっくりやってくれ。僕は急ぎはしない。ハリーが死んだら次は君の番だ――」

 私はリドルの言葉を聞きながらも、その手元から目を離さなかった。握られている2本の杖をしっかり見つめて、意識を集中させようとした。アクシオ!――私は心の中で叫んだ。しかし、杖はピクリともしない。それはそうだ。私は実はほんの数回しか杖なし呪文を成功させていないのだから。使いこなすには、まだまだ難しい。

「これで有名なハリー・ポッターもおしまいだ。愚かにも挑戦した闇の帝王についに敗北して。もうすぐ“穢れた血”の恋しい母親の元に戻れるよ、ハリー……。君の命を12年延ばしただけだった母親に……。しかし、ヴォルデモート卿は結局君の息の根を止めた。そうなることは、君も分かっていたはずだ 」

 私はリドルをぶん殴りたい気持ちをなんとか抑え込んで再び心の中で呼び寄せ呪文を叫んだ。しかし、2回目も成功しなかった。ならばもう一度――アクシオ!

「鳥め、どけ!」

 リドルがフォークスの癒しの涙に気付くのと、リドルの手元にある杖が動き出すのはほぼ同時だった。ハリーからフォークスを引き離そうとリドルが杖を向けた途端、2本持っていたうちの1本である私の杖がその手から飛び出したのだ。リドルは一瞬呆気に取られた表情で、自分の手元を見た。しかし、杖はもう私の手の中に収まっている。そして、

「エクスペリアームス!」

 私が声の限り叫ぶと、バーン! と激しい音と共にリドルが後方に吹き飛んだ。リドルが握っていたもう1本のハリー杖がその手から飛び出し、くるくると弧を描いてしっかりと私の手に収まった。フォークスは未だにハリーの腕に頭を預け、癒しの涙を流していたけれど、音に驚いたのか、高々と舞い上がっている。しかし、ハリーはもう大丈夫だろう。見れば、先程よりしっかりとした様子でリドルに杖を向けている私を見ていた。

「いいことを教えてあげましょうか、トム」

 甘ったるい猫撫で声で私は言った。

「貴方はいつでも私達のことをバカにしすぎて、いつでもちょっとだけ失敗するのよ」

 壁にぶつかったリドルは小さく呻き声を上げながら起き上がった。すると、先程舞い上がっていたフォークスが再びハリーの元に戻って来た。フォークスはハリーのそばをスーッと飛び去ると、膝の上にポトリと何かを落とした。リドルの日記だ。

 一瞬、その場にいた誰もが日記を見つめて固まった。しかし、ほんの僅かののち、ハリーは動き出した。そして、そばに転がっていたバジリスクの牙を拾い上げると、日記の真ん中にズブリと突き立てた。まるで初めからそうするつもりだったかのように。

 恐ろしい悲鳴が、秘密の部屋に響き渡った。耳をつんざくような声が部屋の壁に反射して、何人もの人が悲鳴を上げているように聞こえた。バジリスクの牙が刺さった日記帳からはインクが激流のようにほとばしり、ハリーの手の上を流れ、床を浸している。リドルは身を捩り、悶え、悲鳴を上げながらのたうち回って、そして――消えた。

 スリザリンの真の継承者はようやく、私達の前から姿を消したのだった。