Phantoms of the past - 114
16. スリザリンの真の継承者
――Harry――
トム・マールヴォロ・リドルは、ヴォルデモートがとうに捨ててしまった名前だった。極一部の親しい人物の前だけではあるが、学生時代には既にその名前を使っていたらしい。母親のことを魔女だというだけで捨ててしまったマグルの父親のことをリドルは心底憎んでいて、そんな父親の名と姓を名乗り続けるのが嫌だったのだ。
「――だから、僕は自分の名前を自分でつけた」
リドルは言った。
「ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになるその日が!」
ハリーは脳が停止してしまったような感覚に捉われた。この孤児の少年がやがて大人になり、ハリーの両親を、そして多くの魔法使いを殺したのだ。しかし、ヴォルデモートは世界一偉大な魔法使いになっただろうか? ハリーは麻痺したようになりながらも、リドルを見つめて考えた。いや、世界一偉大ではない。
「違うな」
しばらくして、ハリーはようやく口を開いた。静かな声には、万感の憎しみが込められているかのようだった。
「君は世界一偉大な魔法使いじゃない。君をがっかりさせて気の毒だけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言っている。君が強大だった時でさえ、ホグワーツを乗っ取ることはおろか、手出しさえ出来なかった。ダンブルドアは、君が在学中は君のことをお見通しだったし、君がどこに隠れていようと、未だに君はダンブルドアを恐れている」
息を荒げながらハリーが言うと、今まで微笑みながら話していたリドルの顔が醜悪なものになった。端正な顔を歪め、歯を剥き出しにして叫ぶ。
「ダンブルドアは僕の記憶に過ぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」
「ダンブルドアは、君の思ってるほど、遠くに行ってないぞ!」
ハリーも負けじと言い返した。
リドルを脅すために咄嗟に思いついた言葉だった。実際にはダンブルドアがどこにいるのかもハリーには分からない。けれども、言葉通り、そう遠くに行っていなければいいと思っていた。
すると、どこからともなく音楽が聞こえてきて、ハリーもリドルも辺りを見渡した。一体どこから聞こえてくるのだろうか。どこか妖しい、背筋がぞくぞくとするような、この世のものとは思えない旋律である。しかも、その音楽は段々と近付いてくるようにハリーには思えた。
やがて、旋律が高まると、すぐそばの柱の頂上から炎が燃え上がったのがハリーには分かった。見れば、白鳥ほどの大きさの真紅の鳥が、その不思議な旋律を響かせながらドーム型の天井の方からやって来ていた。孔雀の羽のように長い金色の尾羽を輝かせ、まばゆい金色の爪にボロボロの包みをつかんでいる。見たこともない美しい鳥だ。
その鳥はハリーの方に真っ直ぐに飛んでくると、運んできたボロをハリーの足元に落とし、ハリーの肩に止まった。長く鋭い金色の嘴に 、真っ黒な丸い目をしている。鳥は歌うのをやめ、ハリーの頬にじっとその暖かな体を寄せて、しっかりとリドルを見据えていた。まるで威嚇しているかのようである。
「不死鳥だな……」
リドルは鋭い目つきで鳥を睨み返しながら言った。ハリーはこんなに美しい鳥を一度も見たことがなかったけれど、不死鳥というのには心当たりがあった。ダンブルドアのペットが不死鳥だったからだ。「フォークス?」とハリーが静かに訊ねると、鳥は「そうだ」と言わんばかりに金色の爪がハリーの肩を優しくぎゅっと掴んだ。やっぱり、ダンブルドアの鳥だったのだ。
なら、そんなダンブルドアの鳥が持ってきたものはなんだろう?ハリーはフォークスが足元に落としたボロに視線を落とした。
「そして、それは――それは古い“組分け帽子”だ」
同じくボロに視線を移したリドルがバカにしたように言った。そして、確かにその通りだった。継ぎ接ぎだらけでほつれた薄汚い帽子は、ハリーの足元でピクリとも動かない。
「ダンブルドアが味方に送ってきたのはそんなものか!」
リドルは甲高い声で笑った。その笑い声が部屋に反響し、まるで何人ものリドルが笑っているかのようだった。
「歌い鳥に古帽子じゃないか! ハリー・ポッター、さぞかし心強いだろう? もう安心だと思うか?」
ハリーはそのリドルの質問に答えなかった。フォークスや組分け帽子が何の役に立つのか、ハリー自身にもわからなかったが、1つだけ確かなことがあった。それは、ハリーは独りぼっちではない、ということだ。それに比べ、相手はどうだろう? 独りぼっちじゃないか。ハリーはリドルの笑いが止まるのを待つうちに沸々と勇気が湧いてくるのが分かった。
「ハリー、本題に入ろうか」
リドルはダンブルドアのことを持ち出されたことで損ねていた機嫌を取り戻したようだった。昂然と笑みを浮かべながら、再び話し始めた。
「2回も――君の過去に、僕にとっては未来にだが――僕達は出会った。そして2回とも僕は君を殺し損ねた。君はどうやって生き残った? すべて聞かせてもらおうか――長く話せば、君はそれだけ長く生きていられることになる」
ハリーは素早く考えを巡らしながら、勝つ見込みを計算した。リドルは杖を持っている。ハリーにはフォークスと組分け帽子があるが、どちらも決闘の役に立つとは思えない。完全にハリーが不利だった。しかも、こうしている間にもジニーの命は益々磨り減っていく……。
そうして考えている間に、リドルの輪郭が最初の頃よりもしっかりとしてきたことにハリーは気付いた。――僕とリドルの一騎打ちになるなら、一刻も早い方がいい――。
「君が僕を襲った時、どうして君が力を失ったのか、誰にも分からない」
考えたのち、ハリーは唐突に話し始めた。
「僕自身も分からない。でも、なぜ君が僕を殺せなかったか、僕には分かる。母が、僕を庇って死んだからだ。母は普通の、マグル生まれだ。君が僕を殺すのを、母が食い止めたんだ。僕は本当の君を見たぞ。去年のことだ。落ちぶれた残骸だ。辛うじて生きている。君の力のなれの果てだ。君は逃げ隠れしている! 醜い! 汚らわしい!」
怒りを抑えつけながらわなわな震えてハリーが叫ぶと、リドルの顔が歪んだ。それから無理矢理、ぞっとするような笑顔を取り繕った。
「そうか。母親が君を救うために死んだ。なるほど。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。分かったぞ――結局君自身には特別なものは何もないわけだ。実は何かあるのかと思っていたんだ。ハリー・ポッター。何しろ僕達には不思議に似たところがある。君も気付いただろう。2人とも混血で、孤児で、マグルに育てられた。偉大なるスリザリン様ご自身以来、ホグワーツに入学した生徒の中で、蛇語を話せるのはたった2人だけだろう 。見た目もどこか似ている……。しかし、僕の手から逃れられたのは、結局幸運だったからに過ぎないのか。それだけ分かれば十分だ」
ハリーは、リドルが杖を振り上げ攻撃してくるだろうと身構えた。しかし、リドルは杖を振り上げなかった。醜悪な笑みを深くすると、言う。
「さて、ハリー。少し揉んでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、有名なハリー・ポッターと、ダンブルドアがくださった精一杯の武器とを、お手合わせ願おうか」
リドルはバカにしたようにフォークスと組分け帽子を一瞥すると、その場を離れた。ハリーは恐怖で足の感覚がなくなっていくのを感じながら、そんなリドルを見つめた。リドルは一対の高い柱の間で立ち止まり、大きな石像の顔を見上げた。そして、横に大きく口を開くと、シューシューという音が漏れた。蛇語だった。
「スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ」
ハリーは向きを変えて石像を見上げた。すると、巨大な石の顔が動き、その口が段々広がっていき、遂には大きな黒い穴になった。何かがその穴の奥で
恐怖に震えながらハリーは秘密の部屋の暗い壁にぶつかるまで、後退りした。バジリスクと目を合わせないよう、固く目を閉じた時、ずっと肩に乗っていたフォークスが飛び立ち、翼が頬に当たるのを感じた。ハリーは「僕を独りにしないで!」と叫びたかったが、既のところで堪えた。不死鳥に勝ち目はないと思ったからだ。
何か巨大なものが部屋の石の床に落ちた振動が伝わってくるのが、目を閉じていても分かった。巨大な蛇が石像の口から出てきて、とぐろを解いているのが感覚で分かった。
「あいつを殺せ」
リドルが再び低いシューッという声を出すと、バジリスクがハリーの方へと動き出した。埃っぽい床の上をズルズルと滑りながら進む音が聞こえ、ハリーはしっかりと目を閉じたまま手を伸ばして手探りで逃げようとした。しかし、一歩踏み出した足の先が何かに躓き、ハリーは体勢を崩した。石の床で顔を打ったせいか、口の中で血の味がする。その時だった。
「ハリー!!」
何百という鳥の羽音と共に、秘密の部屋にハナの声が響き渡ったのだった。