Phantoms of the past - 108

15. 攫われたジニー

――Harry――



 ハリーはロックハートの背中に杖を突きつけ、追い立てるようにして部屋を出た。すっかり暗くなった廊下を進み、一番近い階段を下りると、例の文字が闇の中に光る3階の廊下に辿り着いた。あとほんの数メートルも歩けば、嘆きのマートルのトイレだ。

 嘆きのマートルのトイレに辿り着くと、まず先にロックハートを入らせた。ロックハートはブルブル震えていたが、ハリーはちっとも同情する気にはなれなかった。それどころか、ジニーを見捨てようとした突然の報いだ、とすら思った。

 ロックハートのあとからハリーとロンが入ると、先程ロックハートの部屋に向かう途中に見た鷲だか鷹だかが、窓の外からこちらを覗き込んでいるのがハリーには分かった。小型だけれど、スッとしていて凛々しく美しい姿をしていて、暗がりの中でも瞳の色がハナと同じヘーゼル色をしているのが分かった。鳥はハリーの方を見てパチパチと瞬きをしたかと思うと、嘴を下の方に向けた。まるで、そこを見ろ、と言っているかのようだ。

「アラ、あんただったの。今度は何の用?」

 鳥が教えてくれた窓の下までやってくると、そこにはマートルの姿があった。マートルは一番奥の個室にあるトイレのタンクの上に座っていて、今日は誰もマートルを揶揄からかう人がいないからだろうか――いつもより機嫌が良さそうだった。ハリーは再び鳥を見た。どうして、マートルに質問をしたかったことが分かったんだろう? ハリーは疑問に思いつつもマートルに質問をした。

「君が死んだ時の様子を聞きたいんだ」

 そう、これはとても重要な質問だった。なにせ、ハリーとロンは嘆きのマートルのトイレに秘密の部屋へ繋がる入口が隠されていることまでは分かったが、具体的にトイレの中のどこに入口があるのかは分からなかったからだ。だから、死に際の様子を聞いて、具体的な場所を知る必要があった。

「オォォォゥ、怖かったわ」

 ハリーが質問をすると、マートルは途端に顔を輝かせた。まるで、こんなに素晴らしい質問は今までされたことがない、という感じである。

「まさにここだったの。この個室で死んだのよ」

 マートルが情感たっぷりに話し始めた。

「よく覚えてるわ。オリーブ・ホーンビーが私のメガネのことを揶揄からかったものだから、ここに隠れたの。鍵を掛けて泣いていたら、誰かが入ってきたわ。何か変なことを言ってた。外国語だったと思うわ。とにかく嫌だったのは、喋ってるのが男子だったってこと。だから“出ていけ、男子トイレを使え”って言うつもりで、鍵を開けて、そして――死んだの」

 最後の一言をなぜだか誇らしげに胸を張って、マートルは言った。しかし、どうやって亡くなったのか、何が原因で亡くなったのかはあまり覚えいないらしい。マートルが覚えていたことと言えば、大きな黄色い目玉を2つ見たことと、そのあと身体が金縛りにあったみたいになったことくらいだった。その後、ふーっと浮いて気が付いたらトイレに戻ってきていたらしい。オリーブ・ホーンビーに取り憑いてやると決めていたんだそうだ。

「その目玉、正確に言うとどの辺りで見たの?」

 ハリーが訊ねると、マートルは手洗い台の辺りを指差した。ハリーとロンはすぐさま手洗い台に近寄り、隈無く調べ始めたが、ロックハートはその間も顔を凍り付かせて後ろの方に下がったままだった。

 手洗い台は普通のものと変わらないように見えた。しかし、内側、外側、下のパイプと隅々まで見ていくうちに、ハリーはとうとう蛇口の1つに引っ掻いたような跡を見つけた。なんと、その掘り込みは蛇の形になっているではないか。

「その蛇口、壊れっぱなしよ」

 ハリーが蛇口を捻るとマートルが言った。

「私が生きていたころからずーっと壊れてるの。ハナも去年、修復呪文で直そうとしたけれど直らなかった」
「ハナが?」
「あの子、なんで直らないのか不思議そうだったわ」

 ハリーはマートルの言葉を聞いて、再びジーッと蛇口に彫られた蛇を眺めた。ここが入口に違いない。けど、ハナは蛇口がただ壊れているだけだと思って修復呪文を掛けた――つまり、

「ロン、やっぱりハナはスリザリンの継承者じゃなかったんだよ。だって、使い方を知ってるなら修復呪文を使うはずがない。そうだろ?」

 ハリーがロンを見てそう言うと、ロンは罰が悪そうな顔をして「僕、君が言うみたいに最後までハナを信じるべきだったんだ……」と呟いた。ハナに直接聞かれたわけではないが、ロンは談話室でもそうだったように、ハナを疑ってみたものの、どこかでずっと後ろめたさを感じていたのだろう。

「でも、どうしてハナは僕達にジニーのことを教えてくれなかったんだろう? 何かに気付いていたなら、教えてくれたっていいのに」
「分からないけど、ハナはジニーのために黙っていたんだと思う。何か理由があったんだよ」
「ハナって僕達が思ってるよりずっと色んなことを考えてるもんな……。でも、この入口どうやって開けるんだろう? ハリー、何か言ってみろよ。何かを蛇語で」

 ロンがそう言って、ハリーはハナのことから蛇の彫り物へと思考を戻した。蛇語で喋ると開く、というのは単純だが一番可能性のある方法だった。しかし、当然ここには本物の蛇はいない。今まで意識して蛇語を話したことなんてなかったのに、今ここで出来るだろうか? ハリーはなんとか蛇の彫り物を本物であると想像しながら、口を開いた。

「開け」

 ロンの顔を見ると、首を横に振っている。

「普通の言葉だよ」

 ハリーはもう一度じーっと蛇の彫り物を見た。今度こそそれが本物の蛇だと思い込もうとした。首を動かしてみると、蝋燭の明かりで彫り物の蛇が動いているように見えた。

「開け」

 もう一度口を開くと、きちんと声に出したはずの言葉は何も聞こえてこなかった。代わりに奇妙なシューシューという音が口から出たかと思うと、ほんの僅かののち、蛇口が眩い白い光を放ち始めた。そして蛇口がくるくると回ったかと思うと、手洗い台は下へと沈んでいった。

 その様子をハリーもロンも息を呑んで見つめた。下へ沈んだ手洗い台は見る見るうちに消え去り、そこから太いパイプの入口が姿を現したのだ。パイプは大人1人が余裕で滑り込める大きさだ――それを見た瞬間、ハリーには何をすべきかが分かった。

「僕はここを降りていく」

 ハリーははっきりとした口調で言った。
 秘密の部屋の入口が見つかった以上、ここで引き下がる訳にはいかなかった。だって、ジニーはまだ生きているかもしれないのだ。ほんの僅かでもその可能性があるのなら、行かずにはいられなかった。行かなければ。

「僕も行く」

 ロンが言った。
 しかし、たった1人だけ――生きている人間の中で1人だけ、という意味だが――この場から去ろうとしている人物がいた。ロックハートだ。彼は「さて、私はほとんど必要ないようですね」とトイレから出て行こうとしていたが、ハリーとロンは逃さなかった。2人してロックハートに向かって杖を向けると、強い口調で言った。

「先に降りるんだ」

 ほんの数十分前にロンに杖を捨てられ丸腰だったロックハートは、これに従うしかなかった。顔面蒼白になりながらパイプの入口に近付くと「ねえ、君達、これが何の役に立つと言うんだね?」と弱々しい声で言ったが、ハリーもロンも答えなかった。それでもロックハートは「本当に何の役にも――」と自分が行っても仕方がないと訴え掛けようとしていた。けれども、ハリーが杖で背中を突き、ロンが手で押すととうとうパイプの中に滑り落ちた。

 ロックハートが見えなくなると、窓の外で様子を見ていた鳥が嘴でコンコンと窓を突き始めた。今度はまるで中へ入れてくれとせがんでいるようである。ハリーは一瞬だけ鳥の方を見たが、

「ごめんね、今は君に構っている暇はないんだ」

 と言うとロンと共にパイプの中へと飛び込んだのだった。