Phantoms of the past - 107

15. 攫われたジニー

――Harry――



 その日は、ハリーの生涯でも最悪の日となった。
 ハリーはロン、フレッド、ジョージ達と談話室の片隅に腰掛けていたが、みんな押し黙ったまま一言も話さなかった。それはハリー達だけではなく、他のグリフィンドール生も同じで、いつも賑やかな談話室はしんと静まり返っている。パーシーはウィーズリーおじさんとおばさんにふくろう便を送ったあと、自分の部屋に閉じこもって、この場にはいなかった。

 ハリーが午後の時間をこんなに長く感じたのは初めてのことだった。ペチュニアおばさんからあらゆる雑用を言い渡された時だって、こんなに長くは感じなかった。そんな空気に耐えられなくなったのか、少しずつ寝室へと上がる人が増えてきて、やがて日没近くになると、フレッドとジョージも寝室へ上がって行った。

「ジニーは何か知っていたんだよ、ハリー」

 職員室から戻ってきて以来、初めてロンが口を開いた。今までずっと考えていたのだろう。今朝ジニーが話そうとしていたのは、パーシーのバカバカしい何かの話などではなく、秘密の部屋に関することだったのではないか、と話した。その目は真っ赤で、話しながらロンは何度も目を擦っていた。

 更にロンは「ハナはジニーが何かを知ってしまったことに気付いていたかもしれない」と話したが、医務室の時のようにハナこそがスリザリンの継承者だとは口にはしなかった。どこかでまだ疑っているような素振りはあるものの、流石にジニーを連れ去るなんて行為をハナがするとは思えなかったのだろう。ロンはハナが継承者かもしれないという考えと、それは間違いだったという考えの間で揺れ動いているみたいだった。

 ロンだって、心の底からハナを犯人だと決めつけたいわけではなかったのだ。ハリーはどこかホッとしつつも、気分は相変わらず沈んだままだった。談話室の窓の外を見れば、もう夕陽が沈んでいる――このまま何も出来ないまま終わるのだろうか?――ハリーは思った。何か出来ることがあればいいのに。そしたら、なんだってやる。その時だった。

「そうだ! ロックハートに会いに行くべきじゃないかな?」

 突然ロンが叫んで、ハリーは驚いて窓の外から視線を戻した。あの職員室の状況を見て、どうしてロックハートに会いに行くべきなんて思ったのだろう。ロックハートの様子では秘密の部屋の入口も知らなければ、怪物が何かも分かっていないはずだ。でも、

「僕達の知っていることを教えてやるんだ。ロックハートはなんとかして“秘密の部屋”に入ろうとしているんだ。それがどこにあるか、僕達の考えを話して、バジリスクがそこにいるって、教えてあげよう」

 ハリーには他にいい案が何も思いつかなかった。結局職員室では知っていることを話す余裕もなかったし、いくらロックハートでも生徒を助けようとしてくれるはずだ。それに今はとにかく何かがしたかった。

 そうと決まればすぐにでもロックハートの所へ行かなければならない。ハリーとロンは立ち上がり、談話室を横切って肖像画の出入口に向かったが、2人を止めるグリフィンドール生は誰もいなかった。みんなすっかり落ち込んでいたし、ウィーズリー兄弟が不憫で声を掛けられなかったのだ。

 ハリーとロンは廊下に出ると、ロックハートの部屋に向かって歩き出した。先程まで空を真っ赤に染めていた夕陽はすっかり沈み、辺りが闇に包まれ始めている。遠くに鷲――それとも鷹だろうか――空を旋回しているシルエットが窓の外暗くなり始めた空にくっきりと浮かび上がっていた。そもそも鷲と鷹はどう違うのだろう。ハリーはそんな疑問を抱いたが、今考えることではないと前を向いて先を急いだ。

 やがて、ロックハートの部屋に辿り着くと何やら取り込み中のようだった。カリカリ、ゴツンゴツンに加えて慌ただしい足音が聞こえている。しかし、ハリーがドアをノックするとそれらの音はピタリと止まり、急に静かになった。それからほんの少しだけ扉が開き、細い隙間からロックハートの目がハリーとロンを覗き込んだ。

「あぁ……ポッター君……ウィーズリー君……」

 ロックハートは、訪問者がハリーとロンだと分かるとまたほんの少し扉を開き、今度は顔の半分くらいが見えるようになった。しかし、その顔は非常に迷惑そうで、「話がある」というハリーに「少々取り込み中」だとか「今はあまり都合が」と言葉を濁していたが、どうしても話したいという2人の空気に気圧されたのだろう――渋々という感じで扉を大きく開け、2人を部屋の中へと招き入れた。

 ロックハートの部屋に入ると、驚くことに中のものはほとんどすべて片付けられていた。床には大きなトランクが2個開いたまま置かれていて、片方には色とりどりのローブが、もう片方には本が、ごちゃ混ぜに詰め込まれていた。壁いっぱいに飾られていた写真は、今や机の上にいくつか置かれた箱に押し込まれている。

「どこかへいらっしゃるのですか?」

 ハリーは訝りながら訊ねた。するとロックハートは、扉の裏側から等身大の自分のポスターを剥ぎ取って丸めながら「うー、あー、そう」と答えた。逃げるつもりなのだ、とハリーにもロンにも分かった。流石のロックハートでも生徒を助けようと頑張っているだろうという自分達の考えが甘かったのだ。

「僕の妹はどうなるんですか?」

 ロンが愕然として言った。

「そう、そのことだが――まったく気の毒なことだ」

 ロックハートはとうとうハリーとロンを見るのをやめたらしい。2人を見ないようにしながら、引き出しをグイッと開け、中のものをひっくり返してバッグの中に入れている。

「誰よりも私が一番残念に思っている――」

 まったくそうは思っていない口振りでロックハートが言って、ハリーは思わず「闇の魔術に対する防衛術の先生じゃありませんか!」と叫んだ。

「こんな時にここから出ていけないでしょう! これだけの闇の魔術がここで起こっているというのに!」
「いや、しかしですね……私がこの仕事を引き受けた時は……職務内容には何も……こんなことは予想だに……」
「先生、逃げ出すって仰るんですか?」

 信じられないものを見るような目でハリーもロンもロックハートを見た。あんなに本を出して、マーリン勲章まで貰った人物が「職務内容にない」という理由で逃げ出すなんてことがあるのだろうか。秘密の部屋の入口を知っているというのが嘘でも、ジニーを救おうとしてくれると思っていたのに。

「本に書いてあるように、あんなにいろいろなことをなさった先生が――逃げる?」
「本は誤解を招く」
「ご自分が書かれたのに!」

 怒りのあまりハリ ーが大声で叫ぶと、ロックハートは「まあまあ坊や」と言いながら顔を顰めてハリーを見た。それから「ちょっと考えればわかることだ」と言って、人の手柄を自分のものにしたことを白状し出した。ロックハート曰く、自分の本があんなに売れるのは、ロックハートが全部やったからだと読者が勘違いするからだそうだ。もしアルメニアの醜い魔法戦士が狼人間から村を救っても、その人の本は半分も売れなかっただろう、と言うのだ。本人が表紙を飾ったら、とても見られたものじゃない、と。

 ロックハートが言うには、まずそういう手柄を上げた人物を探し出し、どうやってその仕事を成し遂げたのかを聞き出すのだそうだ。それから忘却術を掛ければ、本人はそのことをすっかり忘れ、手柄はロックハートのものになる――ロックハートが唯一得意な魔法が忘却術だったのだ。

「さてと。これで全部でしょう」

 部屋のものを全て詰め終わると、トランクの鍵を掛けながらロックハートが言った。しかし、

「――いや、1つだけ残っている」

 と言うと、徐ろに杖を取り出し、ハリーとロンに向けた。ロックハートの秘密を知ってしまった2人の記憶を消そうと言うのだ。ハリーは咄嗟に杖に手を掛けて大声で叫んだ。

「エスクペリアームス!」

 間一髪だった。ロックハートが杖を振り上げる直前にハリーが呪文を唱えると、ロックハートは後ろに吹っ飛び、トランクの上に倒れ込んだ。ロックハートの手からは杖が飛び出し、弧を描いてこちらに飛んでくる。それをすぐさまロンがキャッチすると、遠慮なく 窓の外に放り投げた。

「スネイプ先生にこの術を教えさせたのが、間違いでしたね」

 ハリーは杖先をロックハートに向けたまま、激しい口調で言った。忘却術を掛ける直前の威勢の良さはどこへ行ったのか、杖を取り上げられたロックハートは倒れ込んだまま弱々しい表情でハリーを見上げている。

「私に何をしろと言うのかね? “秘密の部屋”がどこにあるのかも知らない。私には何も出来ない」

 ハリーはロックハートに向けている杖先をクイッと上に向け、立つように促しながら言った。

「運のいい人だ。僕達はその在処を知っていると思う。中に何がいるのかも。さあ、行こう」