The symbol of courage - 002

1. メアリルボーンの目覚め



 あれから数日間、私はまるで廃人のようだった。
 何も考えられず、食べ物も碌に喉を通らず、ただ泣いて日々を過ごすだけの存在に成り果てていた。それでもいよいよお腹が空いてきて、限界が近付いてくると、次第にこのままではいけない、と考えるようになった。空腹とは時に偉大だ。それは私に戦わなくてはならないということを気付かせてくれたのだから。

 久し振りのご飯は胃への負担を考えて、具をとろとろに煮込んだ薄味のスープにした。それを食べながらまた少し泣いてしまったけれど、私は自分の運命と戦う決意をしたのだ。泣いてなんかいられないと、涙を拭って飲み干した。

 ジェームズとシリウス、そして、リーマスは、メアリルボーンの自宅の至るところに、痕跡を残していた。引っこ抜かれたテレビの配線やクローゼットはもちろん、浴室には前々から置いてあったフェイクグリーンの観葉植物に加えて、奇妙な魔法道具がぶら下がっていた。そこにも羊皮紙が添えられていて、「Cast a spell. "Stella Lux"」と書いてあった。どうやら「Stella Lux」という呪文を唱えて使う物らしいけれど、今のところ使えていない。私に杖がないからだ。

 リビングのテーブルの上に置いてあった古ぼけた羊皮紙の束が入った木箱の中には、小さなものから大きなもの、分厚い束になって封筒に入っているものまでさまざまあった。見てみると一番上には「ハイド・パークでヴォルデモートと戦闘があった。ここがなければ、僕もリリーも逃げ延びることが出来なかっただろう」と走り書きのメモがあった。ジェームズだ。

 ここでも私は泣きそうなった。彼らはここに訪れるたびに私に手紙を残し、この木箱に入れていたのだろう。木箱をひっくり返して底から順番に読んでいくと、手紙には私がどうしているかの心配や、リリー・エバンズとの馴れ初めを綴った自伝小説――それくらい厚みがあった――や、ブラック家がどんなに素晴らしいかという論文など、さまざま書かれていた。

 私の家に厳重な保護魔法を掛けていることも書かれていた。マグル避けはもちろんのこと、彼らのオリジナルのスリザリン避けの魔法も掛けられているらしい。スリザリン避けは現役のスリザリン生はもちろん、卒業生も感知するらしい。

 リビングの壁に掛けてあるのは時計かと思いきや時計ではなく、来訪者探知機という来訪者を知らせるアイテムだということも書かれていた。敷地内に誰かがやって来ると「シリウス・ブラック! 本物! 安全!」などと中から出てきた鳩が叫ぶのだそうだ。偽物の時は「シリウス・ブラック! 偽者! 危険!」と言うらしい。誰がなりすましているかまで分からないのが難点らしいが、これを売り出せば一儲け出来るぞ、とも書かれてあった。

 ハリーが生まれた報告もあった。「君と初めて会った時の夢を見た日の朝、リリーから子どもの名前はハリーはどうかしら、と提案されたんだ。その時僕は、君が誰と僕を間違えたのかようやく分かったんだ」と書いてあった。「ハリーと早く会わせたい」とも書かれていた。

 シリウスが「例の雑誌についていた写真を部屋の目立つところに貼ってやった」という手紙も発見したし、遂に家出をした話や、ジェームズの家にお世話になっていた話、一人暮らしを始めた話もあった。「オートバイを手に入れた!」と興奮しているのが伝わるものもあった。

 リーマスは比較的丁寧な手紙が多かった。その時々の魔法界の情勢を綴って、私にどんな風な状況になっているのか教えてくれていた。いつの時代に私が現れても大丈夫なようにと残してくれていたのだろう。そんなリーマスだけれど、時々思い出したかのように「君とこの家で話したあの日が懐かしい」と書いていた。

 そんなたくさんの手紙の中で、1枚だけ大きくて真っ新な何も書かれていない羊皮紙を見つけた。見た瞬間、これは忍びの地図というものではないだろうかと思った。友人が話しているのを聞いたことがあるし、なんならどうやって中を見るかも知っている。杖を手に入れたら見てみようと、私はそれを大事に仕舞った。

 さて、私はここまで私によくしてくれた唯一無二の友人達の恩に報いなければならない。それにヴォルデモートの魔法によって私がこの世界に来てしまったというのなら、私はいずれヴォルデモートと対峙しなければならないだろう。そのために私がまず出来ることは、ダンブルドアに会うことだ。

 ダンブルドアにどうやって会えばいいのか、具体的には分からなかったけれど、一先ず漏れ鍋へ行ってみようと私は立ち上がった。漏れ鍋がロンドンの魔法界の入口のようなものだし、ダンブルドアにアポイントを取る術が見つかるかもしれない。

 よし! と私は決意も新たに立ち上がった。以前ジェームズと会ったチャリング・クロス通りへ向かおうと鞄を持ったところで、突然壁に掛けてある来訪者探知機の中から鳩が飛び出して来た。

「アルバス・ダンブルドア! 本物! 安全!」

 それは、1991年7月20日の午後のことだった。