The symbol of courage - 001

1. メアリルボーンの目覚め



 メアリルボーンの自宅で私は目覚めた。
 私はまるで今までのことが全て夢だったかのように、2階にある寝室のベッドの上にいた。外では鳥のさえずりが聞こえ、閉ざされたカーテンの隙間からは明るい太陽の日差しが差し込んでいた。ベッド脇に置いてある時計を見るとちょうど8時になろうかというころだった。

 あれは夢だったのだろうか。だったら、とんでもない夢を見てしまった、と寝起きのぼんやりとした頭で思った。夢から出られなくなったり、ヴォルデモートがどうのとかダンブルドアから話されたり。現実とはまるでかけ離れた夢だったのに、やけにリアルな夢だったように思う。お陰で恐怖がまだ脳裏にこびりついている。

 さあ、今朝は祖父母の墓参りに行かないといけない。夢の中でも行ったのにまた行くことになるとはなんだか妙な気分だと思いながら、支度を始めようと起き上がった。喉がカラカラだったので、顔を洗う前に先に水でも飲もうと階下に降りる。

 キッチンに行くにはリビングを通らなければならないので、リビングのドアを開けると、そこはどういうわけか昨日の状態とは一変していた。壁には見たこともない奇妙な時計が付いているし、テーブルの上にはたくさんの古ぼけた羊皮紙の束が入った木箱が置いてある。暖炉の上には取り付けた覚えのない飾り棚が設置されていて、写真立てが4つ置かれてあり、どの写真の中の人物も私に向かって手を振っていた。

「なに、これ……」

 一体自分の身に何が起こっているのか分からなかった。今日が何月何日か知ろうと慌ててテレビをつけようとしたが、テレビは全く反応しなかった。よくよく見てみれば、配線のコードが抜けていて、そこには「戻し方が分からなくなったんだ! ごめん!」という丸眼鏡のマーク入りのメモ書きが添えられていた。

 私は呆然とそのメモを見つめた。黄ばんだ羊皮紙に書かれたそのメモ書きは随分と時が経っているのか、インクの文字も色褪せているように見える。まさか、今までの夢は本当に夢ではなかった? ダンブルドアの話は全部真実で、だとしたら、私は――。

 私は顔を上げるとリビングを飛び出した。寝室に戻り、財布を引っ掴むと着の身着のまま家を出た。一番近くの店に駆け込み、目立つところに置いてあったタイムズ紙を購入する。

「おつかいかい、お嬢ちゃん。偉いね」

 店員の男性がそう声を掛けてきたのにも答えず、私は急いで店を出ると店先で新聞を開いた。新聞の内容には微塵も興味がなかった。私が興味があったのは、日付のところだ。

「1991年7月13日――」

 やっぱりあれは夢ではなかったと気付いたと同時に、私は大きな喪失感に包まれた。ヴォルデモートの魔法が成功したということはつまりそういうこと・・・・・・だからだ。

 ここがどちらの世界かなんて、確認せずとも分かった。遂に私は『ハリー・ポッター』の世界から出られなくなってしまったのだ。いや、そんなことは、失ったものの大きさに比べたら大して問題ではないのかもしれない。

 私は新聞に持った手をダラリと垂れ下げたまま、とぼとぼと来た道を戻り、メアリルボーンのバルカム通り27番地の自宅を目指した。なんてことだろう。私が夢だ夢だと呑気に過ごしていたばっかりに、私はもう二度と向こうの友人には会えないし、こちらで出来た唯一無二の友達も失ってしまったのだ。

 そう言えば、シリウスはどうなったのだろう。一度忠告まがいのことを言ったけれど、あんなの覚えていないかもしれない。1991年が具体的に本でいうところのどの辺りなのかは分からないけれど、本の通りなら彼は今頃監獄の中なのだろうか。

 メアリルボーンの自宅の前に辿り着くと、郵便局員の男性が隣の家のポストに手紙を入れているところだった。もしかしたら私のところにも配達があるかもしれない。違う世界にやって来たのにどうしてそう思ったのか――ついでに受け取ろうと、沈む気持ちになんとか気付かぬフリをしながら郵便局員に声を掛けた。

「あの、27番地宛の手紙はありますか?」
「27番地だって? どこの27番地だい?」
「バルカム通りの27番地です」
「大人を揶揄からかっちゃいけないよ、お嬢ちゃん。バルカム通りに27番地はないじゃないか」

 ポカンとしたまま私は郵便局員を見上げた。目の前に確かに27番地があるのに彼は何を言っているのだろう。そう思うのと同時にこういう現象について、知っている気がした。マグル避けの呪文だ。あの3人のうちの誰かが、もしくは3人共が私の家に魔法を掛けたに違いない。きっとそうだ。

「仕事の邪魔をしてごめんなさい」

 気を取り直して郵便局員に謝ると、郵便局員は訝りながらもその場をあとにした。私は郵便局員の姿が見えなくなるまで待ってから、家の中へと入った。

 家に戻ると私は、リビングのテーブルの上に新聞を置き、そのままキッチンへと向かった。落ち着こうと水を一杯飲み、それから先に顔を洗おうと洗面所へと向かう。きっとひどい顔をしているに違いない。

 洗面所の鏡を見るとそこには10代前半のあどけない顔をした私がいた。身長も低くて小柄で、当然胸だってぺちゃんこだし、服はワンピースタイプのネグリジェだった。魔法の影響なのか、それとも2021年から1900年代にやって来た影響なのか、私はとっても幼かった。世界は違うとはいえ、絶対に影響がないとは言えない。

 とりあえずネグリジェから着替えなければと、2階の寝室に行き何か着るものがないかとクローゼットの扉を開けるとそこには私が着れそうな子ども服がたくさん置いてあった。クローゼットの真ん中にはまたメモが張り付けてある。



 我らが知己、レイブンクローの幽霊に捧ぐ



 私は遂にボロボロ泣きながらその場にしゃがみ込んだ。彼らは私が居なくなってからもこの家にやってきては、私のためにあれこれと用意してくれていたのだ。それなのに、私は彼らを守れなかった。

「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

 きっと私はダンブルドアに会って、それから真実を確認しなければならない。けれど、彼らがあれからどうなってしまったのか、この目で確認する勇気は、どれだけ泣いても芽生えそうになかった。