The beginning - 009

3. 名前を言ってはいけない例のあの人



 友人が魔法界の中で一番偉大な魔法使いはダンブルドアだと話していた。『賢者の石』の映画しか観たことがない私だって、そのことは理解出来た。そして、今日初めて対面してみて、改めて実感した。彼はとても偉大な魔法使いだ、と。

「先生、彼女が以前話していたハナです」

 こんなに全身で偉大だと感じる相手に巡り会ったことがない私は、完全に萎縮して何も喋れないでいた。どういう風に話を切り出したらいいのか迷っていた、というのもある。そんな私の代わりにジェームズが話を切り出してくれた。校長室の事務机の背もたれの高い椅子に腰掛けていたダンブルドアは一言「うむ」と頷くと、

「君達の話していたレイブンクローの幽霊じゃな」

 と確信めいた口調で言った。ジェームズとシリウスはダンブルドアにも「レイブンクローの幽霊」と私のことを話していたらしい。ダンブルドアに私の話をしたのは前に聞いていて知ってはいたけれど、まさかそれを話していたとは思わなかった。あ、いけない。自己紹介くらい自分でしなくちゃ。自己紹介。頑張れ、自分!

「ハナ・ミズマチといいます。あの、突然押し掛けてすみません」
「構わんよ。わしはアルバス・ダンブルドア。このホグワーツ魔法魔術学校の校長をしておる」

 ダンブルドアは私が緊張していることを察したのか、優しい口調で挨拶してくれた。萎縮して緊張しっぱなしだった私はそのことにほんの少しだけホッとして僅かに肩の力が抜けるのが分かった。良かった、ちゃんと話すことが出来そう。

「先生、今日やって来たのは、彼女について問題が起こったからなんです」
「どんな問題かね?」
「彼女は夢を介して違う世界からこの世界にやってきているらしいのですが、それが今日会ったら夢――つまり、この世界から出られない、と」

 きっと私ではこんなに上手く伝えられなかっただろうと思うほど、ジェームズは要点だけを上手く話した。私だったらその倍くらいは話さないと説明出来なかったかもしれない。流石、成績は優秀なだけはある。卒業する時は首席だっけ。友人からそう聞いたことがある。

「これは君達が思っている以上に由々しき事態じゃ」

 ダンブルドアは少しだけ考え込んだあと、そう口を開いた。私達は互いに驚き戸惑った表情で顔を見合わせたが、誰も一言も話さなかった。私達の誰もがダンブルドアが続きを話すのを待っていた。

「ミス・ミズマチ、君には実に奇妙且つ繊細で、禍々しい魔法が掛けられておる」
「禍々しい魔法……?」
「そうじゃ。ほとんどの魔法使いがそれをやろうとは思わんじゃろう。その魔法を成功させるには、多くの犠牲が必要だからじゃ」
「先生、その魔法って具体的には何の魔法なんですか?」

 勇気あるシリウスが訊ねた。

「異界から人を呼ぶ魔法じゃよ、ミスター・ブラック。さて、君達は多くの犠牲をいとわず、それを成し遂げようとする者は誰だと思うかね?」
「……名前を言ってはいけない例のあの人、ですか」
「ヴォルデモートじゃよ、ミスター・ルーピン。名を恐れてはならぬ」

 私以外の誰もが闇の帝王――ヴォルデモートの名前を聞いた瞬間、ビクリと震えた。初めて映画を見た時、何でここまで名前を恐れるのだろうと不思議で仕方なかったが、それだけの恐怖を彼は魔法界に植え付けたのだろうと思う。ヴォルデモートは悪行の限りを尽くし、多くの人を惨殺したのだ。名前を聞くのも恐ろしいと多くの人々が思っても仕方のないことだろう。現に私もカタカタと震えていた。

「君達は何故ヴォルデモートがミス・ミズマチを異なる世界から呼び寄せようとしているのか、不思議に思うじゃろう。わし自身も今この時代を生きる・・・・・・・・・ヴォルデモートがその魔法を必要としているとは思わぬ」

 だったら何故ヴォルデモートは私なんかを呼び寄せようとしているのだろうか。友人のように『ハリー・ポッター』のことなら何でも知ってます! っていうなら、使い勝手もあるだろうけれど、ただ英語が喋れるってだけのごく普通の日本人でしかない。しかも、この時代のヴォルデモートが私を必要としていないのなら、尚更呼び寄せる必要などないように思える。

「もしかすると先々の未来であやつは力を失うのではないかとわしは考えておる。そうして力を取り戻すため、より強力な存在となるため、未知なる力を得ようとしているのではないか、と」
「でも、だったら何故、ハナは未来ではなく、この時代に現れたんですか?」
「それについてはミス・ミズマチに詳しく聞きたいと思うておるのじゃが、話してくれるかね?」

 「はい、ダンブルドア先生」と返事を返すと私はこれまでに起こったことを1つずつダンブルドアに話して聞かせた。ある日突然夢を見るようになり、ジェームズと出会ったこと。私の世界にはこの世界について書かれた本があり、私は友人の影響でこの時代のこと――特に悪戯仕掛け人達のこと――に少し詳しかったこと。現実世界だと思って過ごしていたら、突然街中でジェームズと会い、夢と現実の境目が曖昧になったこと。寝て起きても夢から出れず、もう一度眠ったらホグワーツの廊下に立っていたこと。とにかく全部を話した。

 話しながら、私が今まで夢だと思っていた世界は、ホグワーツ特急の中でジェームズやシリウスが言っていた通り「現実」なのだと実感せざるを得なかった。眠ることで私は世界を行き来していたのだ。しかも、ヴォルデモートの忌まわしい魔法によって。なんてことだろう。私はただ楽しい夢だと、そう思っていたのに。

「なるほど。不完全な魔法が君の記憶と結びついてしまったのかもしれぬ。この世界から出られなくなったのは、魔法が完成に近付いている証拠じゃ」
「ダンブルドア先生、何故私だったんでしょうか……?」
「それは残念なことに偶然としか言えぬ。ヴォルデモートは相手を誰かは選べなんだ。しかし、わしは君に魔力が宿っておるからじゃと考えておる。君はヴォルデモートの忌まわしい魔法に偶然にも応え得る魔力があったのじゃ」
「私は、元の世界に帰れますか……?」

 私の問いにダンブルドアは陰鬱とした表情で首を横に振った。私は向こうにはもう家族は誰もいないし、恋人だっていないけれど、それでも友人はいる。仕事に行かなくなったら、職場の人達にだってとっても迷惑を掛けてしまう。もう帰れないだなんて、あんまりではないだろうか。しかも、偶然選ばれたという理由で、だ。

「魔法は君の名前を以ってして完成する」
「名前――私、誰かが名前を教えろって言っている声を聞きました。ここで目覚める直前のことです」
「ヴォルデモートが君の名を知ろうとしているのじゃろう。その声に応えたが最後。君は今よりずっと先の未来に飛ばされてしまうじゃろう。ヴォルデモートが君を必要としている時代まで。夢を見るたびに時が進んでいるのも、完成に近付いているからじゃろう」
「なら、応えなければハナはずっとこのまま僕達と一緒に居られるってことですか?」
「いいや、それは叶わぬ。このままなら、ミス・ミズマチは時の狭間に取り残されてしまうじゃろう」

 暗に覚悟を決めろと言われているような気がした。ダンブルドアはつい今しがた実はこれが夢ではなくて現実だと理解し始めた私に、ヴォルデモートと戦う決意をしろと言っているのだ。さもなければ、取り残されてしまう、と。

 でも、そう簡単に分かりましたと返事が出来るはずがなかった。覚悟を決めて今よりずっと先の未来に向かったら、きっとそこにはジェームズはいないのだ。ヴォルデモートが弱るということは、つまり、そういうこと・・・・・・なのだ。私は、彼の未来を守ることは許されないのだろうか。ヴォルデモートを倒すために、私をずっと気に掛けてくれた友達を差し出せ、と?

「い、嫌です」

 涙声で私は言った。私はどうにかここに残って、ジェームズとシリウスを守りたいとそう続けようとした。しかし、

 ――名前を手に入れたぞ。

 あの不気味な高い声が聞こえて、私はハッとした。この声がヴォルデモートの声なのだと今ならはっきりと理解出来た。けれど、名前を手に入れたというのはどういうことなのだろう。ヴォルデモートは私を監視出来るわけじゃない。だって、今まで何人にも自己紹介してきたけれど、ヴォルデモートは私の名前を知らなかった。ここに来る前に聞こえたあの声にも私は返事をしていない。なら何故、名前を手に入れられたのだろう。一体どうやって?

「せ、先生……ダンブルドア先生、今声が。名前を手に入れたと、声が」

 ガタガタと震えながら私は訴えた。ジェームズやシリウス、リーマスが蒼白な顔でそんな私を見ている。どうにか震えを止めようと、自分で自分を抱き締めようとすると、私の身体は霧に包まれようとしている所だった。3人が「ハナ!」と私の名を叫んだ。

 しかし、それに応える時間は残されていなかった。もう時間がないのだ。私は一刻も早くダンブルドアに伝えなければいけない。このままだと私はむざむざとジェームズを見殺しにしてしまう。けれど、

「私、貴方にお伝えしたいことがあるんです。とっても、大事な。私――」

 大事なことを伝え終える前に、私の視界はブラックアウトした。


 第1章「The beginning / はじまり」完