Phantoms of the past - 053

6. 襲われたミセス・ノリス



 考えなければならないことが、まるで津波のように頭の中に押し寄せてきて、私は「穢れた血」と罵ったマルフォイに対して反論することも忘れてその場に立ち尽くした。私とハリーにしか聞こえない声に、壁に大きく書かれた文字、襲われたミセス・ノリス、パーティー後、地下にあるスリザリン寮に帰るべきはずのマルフォイが3階にやってきた謎――そして何より秘密の部屋が既に開かれたという事実が頭の中でぐるぐると回っていた。

 去年よりもっと恐ろしいことが、ホグワーツで始まろうとしている感覚が、足元からじわじわと身体を侵食しているような気がした。私は秘密の部屋が開かれることも、今年もホグワーツで恐ろしいことが起こることも予め知っていたけれど、それ以外は何も知らない。その知らない、という事実が何より恐ろしく思えた。

 はたして、私は正しく行動することが出来るだろうか。この先々に起こる出来事が何も分からないのに、確実に正しい選択だけを選ぶことなんて出来るのだろうか。でも、私はそれをしなければならない。だって、もうあんな想いしたくない。私は私の大切な人をこれ以上失いたくない。私は――

「なんだ、なんだ? 何事だ?」

 ミセス・ノリスの飼い主である管理人のアーガス・フィルチが生徒達を掻き分けながらやって来て、私は現実に引き戻された。きっと、近くを歩いていてマルフォイの大声を聞いたに違いない。フィルチさんは生徒達をかき分けながらこちらにやって来ると、私達を見て、それから松明の腕木にぶら下がっているミセス・ノリスを見た。

「私の猫だ! 私の猫だ!」

 途端にフィルチさんは恐怖で顔を覆いながら、金切り声で叫んだ。そして、「ミセス・ノリスに何が起こったというんだ?」と言いながらもう一度私達に視線を戻すと、ハリーを睨み付けて叫んだ。

「お前だな!」

 なぜかハリーが犯人だと決めつけているような口調だった。フィルチさんは怒りで我を忘れて「あの子を殺したのはお前だ! 私がお前を殺してやる!」と喚き散らしている。「違う。ハリーじゃないわ!」と私がすかさず私が答えたが、彼は「絶対にこいつだ!」と言って聞き入れて貰えなかった。大事な愛猫をこんな風にされては、冷静に話を聞くなんて無理なのかもしれない。

「アーガス!」

 どうしたらいいとかと困り果てていると、この騒ぎを聞きつけたのだろう――ダンブルドア先生が他の先生達と共に現れた。生徒の群れを掻き分けて私達の前までやってくると、ダンブルドア先生は私にサッと目配せをして頷いたあと、真っ直ぐにミセス・ノリスの元へ近付き、彼女を松明の腕木から外した。

「アーガス、一緒に来なさい。ミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー、ミス・グレンジャー、ミス・ミズマチ。君達もおいで」

 ダンブルドア先生にそう呼び掛けられて、私達はようやくこの場を離れることとなった。向かうのはここのすぐ上にあるロックハート先生の部屋である。ダンブルドア先生が私達に呼び掛けたあと、「校長先生、わたくしの部屋が一番近いです――すぐ上です――どうぞご自由に――」とすぐさま進み出たからだ。

 ロックハート先生の部屋へ向かったのは私達4人とフィルチさん、ダンブルドア先生、マクゴナガル先生、スネイプ先生、それにこの部屋の主であるロックハート先生の9人だった。ダンブルドア先生は部屋――ロックハート先生の写真だらけだ――の中に入ると、話を始める前に机の上にそっとミセス・ノリスを置いて彼女を調べ始めた。

 ダンブルドア先生は折れ曲がった鼻先がほとんどミセス・ノリスにくっつきそうになりながら隈なく調べ、指でそっと突いたり、ブツブツと何かを言いながら杖で軽く叩いたりした。きっと全身金縛りの呪文にあった時のように動かないミセス・ノリスを呪文で元に戻そうとしたのだろう。けれども、ミセス・ノリスはダンブルドア先生がいくら調べても動き出すことはなかった。死んでいるのだろうか――。

 ダンブルドア先生がミセス・ノリスを調べている間、私とハリー、ロン、ハーマイオニーは肩を寄せ合って部屋の隅の暗がりにある椅子に座り込んでいた。ハーマイオニーはあまりの恐ろしい出来事に私の腕を掴んで離さず、ぎゅっと抱きついていたし、ロンも恐怖で顔が強張り、ハリーも青い顔をしていた。

 一緒にやってきた先生達はというと、マクゴナガル先生はダンブルドア先生と一緒になってミセス・ノリスを調べていたが、スネイプ先生はその場に突っ立ったまま何やら奇妙な顔をしていた。ニヤリ笑いを我慢しているような、そんな顔である。こういうところが、スネイプ先生を敵か味方か分からなくさせているように思う。去年はクィディッチの試合の時とか、ハリーを助けてくれたけれど……。

「猫を殺したのは、呪いに違いありません。――たぶん“異形変身拷問”の呪いでしょう。何度も見たことがありますよ。私がその場に居合わせなかったのは、まことに残念。猫を救う、ぴったりの反対呪文を知っていましたのに……」

 ロックハート先生はいうと話題に出すのも腹立たしいが、たった1人、意気揚々と講釈をたれていた。すぐそばでは愛猫を傷つけられ泣いているフィルチさんがいるのに、ロックハート先生は気遣う素振りも見せない。まだ笑いを堪えている顔をしたスネイプ先生の方が黙っているのでマシというものだ。

「――そう、非常によく似た事件がウグドゥグで起こったことがありました。次々と襲われる事件でしたね。私の自伝に――」

 あまりにも空気の読めない発言の数々に堪えかねて、私はこっそり杖を取り出すとロックハート先生に向けて無言で杖を振った。すると、自伝の話に話が移ろうとしたところで、ロックハート先生は口をパクパクさせたまま喋らなくなった。無言呪文で「シレンシオ」を掛けたのだ。私の腕に抱きついていたハーマイオニーだけがそれを見ていたが、他の誰も私がしたことを見てはいなかった。

 ただ、私がしたということは先生達にはバレているようだった。けれども、ダンブルドア先生は知らないフリをしていたし、スネイプ先生もサッとこちらを見るだけで何も言わなかった。マクゴナガル先生なんて驚きつつもこちらを見て「良くやった」とでも言うように頷いていた。

 それから少しして、ようやくダンブルドア先生がミセス・ノリスから鼻先を離した。泣きじゃくっているフィルチさんに優しく声を掛ける。

「アーガス、猫は死んでおらんよ」
「死んでない? それじゃ、どうしてこんなに――こんなに固まって、冷たくなって?」
「石になっただけじゃ」

 ダンブルドア先生が確信を持ってそう告げるとロックハート先生は「やっぱり! 私もそう思いました!」と言いだけに口をパクパクさせたが、声は出なかった。ここにいる誰も、私が掛けた魔法を解く気はないようだった。ダンブルドア先生は続ける。

「ただし、どうしてそうなったのか、わしには答えられん……」

 フィルチさんはここでもハリーがやった、とでも言うように「あいつに聞いてくれ!」とハリーを見たが、ダンブルドア先生は「2年生がこんなこと出来るはずがない」ときっぱりと言い切った。ダンブルドア先生は私達が犯人ではないことを信じてくれたのだ。しかし、フィルチさんはダンブルドア先生が言い切ってもハリーがやったのだと言い張った。

「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう! あいつは見たんだ――私の事務室で――あいつは知ってるんだ。私が……私が……」

 どうやら、私の知らないところでハリーとフィルチさんの間に何かがあったらしい。フィルチさんの事務所でハリーが何か見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。フィルチさんは顔を真っ赤にして苦しげに顔を歪ませ、言葉を詰まらせながら叫んだ。

「私ができ損ないの“スクイブ”だって知ってるんだ!」