Phantoms of the past - 052

6. 襲われたミセス・ノリス

――Harry――



 ハリーがあの声を聞いたのは、会場である地下牢を出て玄関ホールへ出る階段へ向かって歩き始めた時だった。突然、ロックハートの部屋で罰則中に聞いたのと同じ、冷たい、残忍な声が聞こえてきたのだ。けれども、あの時と同じで周りには誰もいない。ハリーは声の在処を見つけようと石の壁にすがって、全身を耳にして声を聞いた。そして、仄暗い灯りに照らされた通路の隅から隅まで、目を細めてじっと見回した。

「ハリー、一体何を……?」

 突然黙り込んで石壁にすがって辺りを見渡し始めたハリーに、ロンとハーマイオニーは戸惑ったように訊ねた。

「またあの声なんだ――ちょっと黙ってて――」

 ハリーは手短に説明すると、再び耳を澄ませた。すると、「……腹が減ったぞ……こんなに長ーい間……」とどこからともなく聞こえてきて、ハリーは「ほら、聞こえる!」と急き込んで言った。そんなハリーの言葉に、ロンとハーマイオニーはハリーを見つめたままその場に凍りついたようになった。

「……殺してやる……殺す時が来た……」

 ロンとハーマイオニーにはどうやら聞こえていないようだった。しかし、ゆっくりと事情を説明している暇はなかった。声が移動していたのだ。まるで上へ遠ざかっていくかのように、声は次第に幽かになっていく。恐怖と興奮が入り混じった気持ちで、ハリーは地下の暗い天井を見上げた。どうやって上のほうへ移動できるんだろう? 石の天井でさえ何の障害にもならないゴーストのようなものなのだろうか?

「こっちだ」

 ハリーはそう叫ぶと階段を駆け上がって明るく広々とした玄関ホールに出た。ハロウィーン・パーティのペチャクチャというお喋りが大広間から閑散とした玄関ホールまで響いている。すると、

「ハリー!」

 誰もいないと思っていたはずの玄関ホールに1人だけぽつんと立っている人物を見つけてハリーは驚いた。なんと、そこにハナが立っていたのだ。何故ハナが一人で玄関ホールに立っていたのかは分からなかったが、ハリーはもしかしたら、と思った。もしかしたら、ハナならあの声が聞こえたかもしれない。

「ハナ、声が聞こえなかった!?」

 しかし、ハナに訊ねてみたものの玄関ホールは大広間から聞こえるお喋りの声があまりにもうるさくてあの声が全く聞こえなかった。ハナとゆっくり話している時間はあまりない――ハリーはハナの返答を待たずに2階へと上がる階段を駆け上がり始めた。あとからハナとロン、ハーマイオニーが追いかけてくる。

「ハリー、貴方もあの声を聞いたのね!」

 階段を駆け上がりながらハナが言った。ハリーの予想通り、ハナもあの声が聞こえていたのだ。1人で玄関ホールに立っていたのは、パーティー中にあの声が聞こえたからに違いない。

「そうなんだ。さっき声が聞こえてきて、上に向かってるようだった。僕、ハナならもしかしてってずっと思ってたんだ。先月も同じ声を聞いて――僕、君に話すのをうっかり忘れてて」
「私も先月も聞いたの。でも、あの時は気のせいかと思っていたの。幻聴か空耳だと――」

 ハリーとハナが2階に辿り着いた頃には、声は更に上へと移動をしていた。しかも誰かを殺そうとしている。ハリーとハナは大急ぎで3階まで駆け上がると、今度はそこをくまなく飛び回り始めた。あとからついてくるロンとハーマイオニーはゼーハーいっていたが、驚くことにハナは息切れ1つせずにハリーについてきた。

 そうして3階を隅々まで見て回り、最後の廊下へとやってきたところで、ハリーとハナはようやく立ち止まった。少し離れた先にある壁に何かが光っているように見えたからだ。4人でそっと近づいてみると、すぐにそれが何かが分かった。真っ赤な文字だ。

 秘密の部屋は開かれたり
 継承者の敵よ、気をつけよ


 その文字は窓と窓の間に30センチほどの大きさでデカデカと塗りつけられていた。先程この廊下へやって来た時に光って見えたのは、これが松明の灯りに照らされていたからだったのだ。

 ハリーもハナもロンもハーマイオニーも、誰もが息を呑んでその文字を見つめた。秘密の部屋というのはなんだろう? 継承者の敵というのは? ハナやハーマイオニーなら分かるだろうか――何か訊ねてみようとかとハリーが隣に立つハナを見てみると、彼女は誰よりも蒼白な顔で壁に書かれてある文字を見つめていた。

「なんだろう――下にぶら下がっているのは」

 誰もが文字に気を取られている中、ロンが何かに気付いて壁の上の方を指差した。見てみると、松明の下の辺りに何やら黒い影のようなものがぶら下がっている。

 ――あれは、一体なんだろう?

 ハリーは黒い影を近くで見ようとじりじりと近付き始めたが、動き出してすぐ、危うく転びそうになった。壁の文字ばかりに気を取られて気付かなかったけれど、床には大きな水溜りが出来ていたのだ。

 気を取り直して今度は転ばないように慎重にハリー達は黒い影に近付いていった。そして、それが何なのか分かった途端、4人は後ろに飛びのいた。そこにぶら下がっていたのが管理人のフィルチの愛猫である、ミセス・ノリスだったからだ。松明の腕木に尻尾を絡ませててぶら下がっているミセス・ノリスは目をカッと見開いたまま硬直してピクリとも動かない。

「ここを離れよう」

 誰もが無言で立ち尽くしていると、やおら、ロンが口を開いた。戸惑いつつもハリーが「助けてあげるべきなんじゃないかな……」と言うも、ロンは断固として譲らなかった。「ここにいるところを見られないほうがいい」と言う。

 しかし、既に遅かった。ハリー達が動き出すよりも先に廊下の向こうから大きなざわめきが聞こえ始めたのだ。どうやら、パーティーが終わってしまったらしい。4人が立っている廊下の両側から、階段を上がってくる何百という足音や満腹で楽しげなさざめきが聞こえたかと思うと、次の瞬間、生徒達がわっと廊下に現れた。

 お喋りに夢中だった生徒達は、立ち尽くす4人とそこにぶら下がっているミセス・ノリスを見つけた途端、しんと静まり返り、今度は先頭にいた生徒達からどんどん沈黙が広がって行った。生徒達は何が起こったのかよく見ようと押し合いへし合いしている。

 その時、静けさを破って誰かが叫んだ。

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前達の番だぞ、“穢れた血”め!」

 ドラコ・マルフォイだった。
 人垣を押し退けて最前列にやってきたマルフォイは、冷たい目に生気をみなぎらせ、いつもは血の気のない頬に赤みがさし、ぶら下がったままピクリともしないミセス・ノリスを見てニヤッと笑った。