Phantoms of the past - 050

6. 襲われたミセス・ノリス



 賑やかな大広間から一歩外に出ると、玄関ホールは閑散としていた。けれども、誰もいない玄関ホールには大広間から漏れ聞こえる声が響き渡っていて、閑散としているわりには騒がしい。私はどうにかあの声を聞こうと玄関ホールで耳を澄ませてみたけれど、そんな話し声に掻き消されているのか、あの声は全く聞こえなかった。

 もしかしたら、同室の子達の言うように疲れていて男の子達がふざけていたのを私が聞き間違えたのかもしれない。そうであることを願いつつもゆっくりと玄関ホールを進みながら耳を澄ませていると、地下からバタバタと階段を駆け上がってくる音が聞こえて私は立ち止まった。「こっちだ!」と誰かの声が聞こえる。あれは――

「ハリー!」

 玄関ホールに飛び出してきたのはハリーだった。驚いて声を掛けると、ハリーもビックリしたようにこちらを見た。ハリーのあとから現れたロンとハーマイオニーもまさか玄関ホールに私がいるとは思っていなかったのか、驚いたようにこちらを見ている。絶命日パーティーは終わったのだろうか。私が何か訊ねようと口を開くと、

「ハナ、声が聞こえなかった!?」

 それよりも先にハリーがこちらに駆け寄りながら訊ねてきて、私は閉口した。ハリーは今、「声」と言わなかっただろうか。まさか。

「冷たい残忍な声なんだけど――駄目だ、ここじゃ大広間の声が響いて聞こえない――上だ!」

 慌てた様子でハリーはそう言うと、私が何か答える前に矢のように階段を駆け上がり始めた。そんなハリーのあとを追いながら、私はあの声が聞き間違いではなかったのだと初めて分かった。ハリーもあの声を聞いていたのだ。もしかしたら、先月私が聞いた声もハリーは聞いていたかもしれない。あの時間、ハリーは罰則を受けていて起きていたからだ。

「ハリー、貴方もあの声を聞いたのね!」
「そうなんだ。さっき声が聞こえてきて、上に向かってるようだった。僕、ハナならもしかしてってずっと思ってたんだ。先月も同じ声を聞いて――僕、君に話すのをうっかり忘れてて」
「私も先月も聞いたの。でも、あの時は気のせいかと思っていたの。幻聴か空耳だと――」

 私達は勢いよく階段を上がると2階までやって来た。ロンとハーマイオニーがそんな私達のあとに続いたが、2人は私とハリーが何の話をしているのかさっぱり分かっていないようだった。ロンがゼーハー言いながら「ハリー、ハナ、一体僕達何を……」と言っている。その時、

「……血の臭いがする……血の臭いがするぞ!」

 遠く上の階から声が聞こえて来て、私とハリーは背筋が凍る思いがした。声の主が何かとんでもないことをしでかそうとしていると私もハリーもすぐに検討がついた。

「誰かを殺すつもりだ!」

 困惑しているロンとハーマイオニーに説明する間も無く私達は再び階段を上り、3階へとやって来た。普段から運動をしている私とハリーとは違ってロンとハーマイオニーは息も絶え絶えだったけれど、それでも声の在処を探すために3階を駆け回る私とハリーのあとを2人はしっかりついて来てくれた。

 そうして3回を隈なく見て回り、最後の廊下に出た時、私達はようやく立ち止まった。向こうの壁に何かが光っているように見えたからだ。あれは、マートルのいる女子トイレの目の前である。

「見て。あれ、何かしら――」

 私達はそっとその壁に近付いた。すると、数歩ほど近付いたところで、それが文字だということに気付いた。文字は1つが30センチほどもあり、女子トイレの向かい側にある壁の窓と窓の間にデカデカと塗りつけられている。ペンキだろうか――それが松明の灯りに照らされて鈍く光っている。よくよく見てみれば、何やら文章になっていた。

 秘密の部屋は開かれたり
 継承者の敵よ、気をつけよ


 文章を読み上げた瞬間、私は息を呑んだ。「秘密の部屋」という文字が一際鈍く嫌な光を放っているように見えてならなかった。しかも、何度読み返してみても部屋は既に開かれた、とある。

 ダンブルドア先生はこの間、歴代の校長先生達が探したけれど部屋は見つけられなかった、と話していた。けれど、私の推察通り部屋は確かにあったのだ。部屋の開き方を知っている人物もどこかに存在して、ホグワーツの中で何かしでかそうと暗躍している。その人物は一体誰なのだろうか。ヴォルデモート? ルシウス・マルフォイ? それとも、ドラコ・マルフォイ? それに、あの声の正体も気になる。どうして、私とハリーにしか聞こえないのだろう――。

「なんだろう――下にぶら下がっているのは」

 全員が文字に気を取られている中、ロンがそう言って何かを指差して、私は考えるのを中断してそちらを見た。ロンの指差す方を辿って行けば――今までどうして気付かなかったのか――松明の下の辺りに何やら黒い影のようなものがぶら下がっているのがハッキリと分かった。

 誰が何を言うでもなく、まず初めにハリーが一歩前に踏み出した。じりじりと黒い影に近付いていこうとした途端、ハリーは何かに滑って危うく転びそうになった。壁の文字ばかりに気を取られて気付かなかったけれど、床には大きな水溜りが出来ていたのだ。

 気を取り直して今度は転ばないように慎重に私達は黒い影に近付いていった。そして、それが何か分かった途端、私達は仰反るようにしてそこから飛びのいた。そこにぶら下がっていたのが管理人のフィルチさんの愛猫である、ミセス・ノリスだと分かったからだ。

 ミセス・ノリスは松明の腕木の下に尻尾を絡ませてぶら下がっていた。誰がそうしたのかは分からないけれど、彼女は目を見開いたまま、石のように硬直している。金縛りの呪文を掛けられたのかそれとも違う呪いを掛けられたのかはこの暗がりでは判断できなかったが、それがおぞましい光景だということには変わりなかった。

「ここを離れよう」

 誰も彼もが無言でその場に立ち尽くしていた中、突然、ロンがそう口を開いた。きっと、ここを見られると私達が犯人だと勘違いされてしまうと思ったのだろう。ハリーは「助けてあげるべきじゃないかな……」と話したが、ロンは「見られない方がいい」と言って譲らなかった。

 しかし、その判断は既に遅かった。私達が行動を起こすより先に、生徒達の話し声が廊下に響いてきたからだ。私達が立っている廊下の両側から、階段を上ってくる何百という足音や満腹で楽しげなさざめきがが聞こえてくる。パーティーが終わったのだ。

 次の瞬間、私達のいる廊下に大勢の生徒達がわっと現れた。生徒達はあんなに騒がしかったのに、先頭を歩く子達がそこにぽつんと立ち尽くしている私達4人と松明にぶら下がっているミセス・ノリスを見つけた途端、しんと静まり返った。一体何が起こっているのかと後ろの生徒達が押し合いへし合いしている。

 その時、沈黙を破って誰かが叫んだ。

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前達の番だぞ、“穢れた血”め!」

 ドラコ・マルフォイだった。彼はぶら下がっいる猫を見てニヤッと笑っている。地下にある寮に向かうべきである彼が何故か3階の廊下で――。