The beginning - 007

2. メアリルボーンの白昼夢



「マーリンの髭!」

 いつもより時間が掛かってしまったが、ようやく私は我が家に辿り着いた。彼らは私の家がマグルの街にあるということは理解していたようだが、まさか私の家がマグルの家だとは思っていなかったらしい。彼らは初めて入る純粋なマグルの家に興味津々で、リビングに通すとあちらこちらを眺め回していた。それより、またジェームズが「マーリンの髭!」って言ってるけど、本当に何なんだろう? マーリンの髭って何か特別なの?

「君、マグルの出身だったんだね」

 テレビに釘付けのジェームズが言った。

「出身というよりは私の世界には魔法がないのよ。ああ、ジェームズそこは触らないで!」
「ごめんごめん。それで、魔法がないって?」

 テレビの配線を引っこ抜こうとしていたジェームズを慌てて止めて、無理矢理ソファーに座らせた。彼らを帰す頃には家の中の家電の1つや2つ、壊れていることを覚悟しなければならないかもしれない。いや、夢だからこっちで壊れても大丈夫なんだけれど。

「うーん、多分。魔法族の人が上手く隠れて生活しているだけなのかもしれないけど。少なくとも私は魔法の使えないマグルよ」
「でも、君はこっちでは魔女だろ?」

 話を聞いていたシリウスが訝しげな表情で言った。彼はキョロキョロはしつつも、リーマスと共に割と大人しくソファーに座っている。

「私……分からない」

 買ってきたお菓子や飲み物をテーブルの上に出しながら、私は言った。私はこっちの世界ではホグワーツの制服を着ていて、ホグワーツの中を歩いて、ホグワーツ特急にも乗ったけど、魔法は使ったことがないし、現実世界では普通の人間だ。魔法使いのフリをしているただのマグルの可能性だって十分有り得る。私がそう思っている事を3人に話すと、

「ホグワーツが見えるなら、少なくともマグルではないって証拠だよ」

 と、リーマスが言った。

「そうなの……?」
「ホグワーツにはマグル避けの呪文が掛けられている。普通のマグルが見ればホグワーツは廃墟に見えるはずなんだ」
「そうそう。それに、漏れ鍋だってマグルには分からないようになってる――あ、これ美味いぞ、ジェームズ!」
「君って僕達が知らないようなことを知ってるかと思いきや、当たり前のことを知らなかったり不思議だね。神出鬼没だし――本当だ! 美味しい!」
「君達はもう少し真面目にハナの話を聞いてあげた方がいいと思うよ」

 話半分でお菓子に夢中になっているジェームズとシリウスにリーマスが呆れ返った様子で言った。それに私はクスクス笑いながら、「いいの――それより、グラスが必要よね。取ってくるわ」と言って、一度キッチンへと向かった。ジェームズとシリウスはスーパーで買った炭酸飲料が飲みたいみたいなので、グラスだけ持って行けばいいだろうけど、リーマスは紅茶の方がいいかもしれない。電気ケトルでお湯を沸かして、温かい紅茶を淹れることした。

「はい、飲み物は自由に飲んで。リーマスは何を飲む? 一応紅茶も淹れてきたの」
「じゃあ、紅茶を頂こうかな。ありがとう、ハナ」
「どういたしまして」

 それから私達はたくさんの話をした。彼らはスリザリンにスニベルス――本名はセブルス・スネイプだとリーマスが教えてくれた――という嫌なやつがいるという話や、その幼馴染のリリー・エバンズは可愛いけれどお小言が多いという話、これまでに見つけた隠し通路の話をしてくれたし、私は両親や祖父母が亡くなっているという自分の身の上話――この家が私の持ち家だと話すとシリウスが羨ましがった――やここに来るまでに乗った飛行機の話――どうやってあれが魔法なしで飛んでいるか――をしたりした。

 お昼はピザを頼んで、4人で分けて食べた。というと何だかあっさりした感じだけれど、実際は電話をするのにあれこれ質問攻めが起こり、ピザを注文するのも一苦労だった、と一言付け加えておこうと思う。電話がない魔法界ってどうやって連絡を取り合っているんだろう。全部ふくろう?

 おかしなことに今回はいくら時間が経っても夢から覚めなかった。けれど、もしかしたら私は疲れきってぐっすり眠ってしまっているのかもしれない、と気にしないことにした。

 午後3時くらいになって、私達は再び漏れ鍋へと戻る事になった。余ったお菓子や飲み物をお土産に渡すと、3人はとっても喜んでくれた。

「ハナの家はキングズ・クロス駅にも割と近いからいいなぁ」

 漏れ鍋への道すがら、ジェームズが言った。

「あら、いつでもうちを利用していいのよ」
「でも、ハナはいないじゃないか」
「呪文があるでしょう。鍵を開ける」
「僕達が魔法を使えないこと知らないのか?」
「未成年は校外で魔法が使えないんだよ」
「え? そうなの? じゃあ、使えるようになったら」
「3年後じゃないか。長いなー」

 ワイワイガヤガヤ。尽きることなく話をする3人の少し後ろを歩きながら、私は彼らの背中を眺めていた。私はあと何回、こんな楽しい夢を見ることが出来るのだろうか。夢見る度に段々彼らは成長していくから、次の夢ではホグワーツを卒業している、ということも有り得る。もしかしたら、ジェームズが殺される夜の夢を見てしまうかも。そうしたら、私は――

「シリウス」

 私は思わずシリウスの腕を掴んだ。シリウスがびっくりしたようにこちらを見て、「どうした?」と訊ねる。

「何か重大なことを決める時、自分自身以外を信じたらダメよ」
「何だよ、それ。変なやつだな」

 シリウスは何を言われているのか分からず、不思議そうにそう返事をしながら笑っていた。もう一度念を押そうかと思ったけれど、「2人共どうしたんだい?」とジェームズが訊ねてきて、それ以上シリウスに何か言うことは出来なかった。

「じゃあな、ハナ」
「また近いうちに会えたらいいね、ハナ」
「ハナ、僕ともまた是非会おう」
「ええ、また今度!」

 行きとは違い、帰りはとてもスムーズに漏れ鍋へと辿り着いた。漏れ鍋でフリーモントさんやリーマスのご両親――ライアルさんとホープさんというらしい――と挨拶したり、ジェームズママのユーフェミアさんを紹介して貰ったりもした。誰もがとっても素敵な方達だった。

 フリーモントさんが記念に写真を撮ってくれるというので、私達は漏れ鍋の隅の方で並んで写真も撮った。4人で撮ったり、2人ずつで撮ったりと何枚か撮影して貰った。魔法界の写真は動くらしいので、現像されたものを見るのがとっても楽しみだ。次に会う時に現像された写真を貰えたらいいなぁ。

 それからようやく帰宅の途に着いたのだけれど、歩きすぎてクタクタだった私は、タクシーを拾って家へと帰ることにした。もうそろそろ夢も終わる頃だろう、なんて思う。

 けれども、自宅に戻ってきてもまだ夢は終わっていなかった。一体いつ目覚めるんだと思いながらも、たくさん歩いて疲れていた私は、軽くシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。夢ってこんなに疲れるものだっけ……と思いながら、いつの間にか私はウトウトと眠りについていた。


 *


 ようやく現実世界で目が覚めたと思った時、驚くことに夕方だった。確かにそれだけ眠っていれば、あれだけ長い夢を見るはずだ、と納得しながらリビングに行くと目の前に広がる光景にゾッとした。リビングのテーブルにはグラスが2つと紅茶のカップが2つ置いてあったからだ。そんなはずはないとキッチンを見れば、夢の中で頼んだはずのピザの空き箱が置いてある。

「どうして……?」

 まだ私は夢から覚めていないのだろうか。慌てて洗面所に駆け込んで鏡を見ると、そこには10代前半ほどの幼い容姿をした自分がいた。私はまだ、夢から覚めてはいなかったのだ。

 恐ろしくなって、私は自室へ駆け込んだ。ベッドに飛び込み、布団を頭から被って早く目覚めろと念じながら眠りにつこうと必死だった。眠ったら、現実世界で目覚められるかもしれないと思ったのだ。

 ――名前を教えろ。名前を教えるんだ。

 なかなか眠れない中、頭に響いてきたのは、どこか奇妙で不気味な、高い男の声だった。