Phantoms of the past - 036
4. 空飛ぶフォード・アングリア
――Harry――
長旅で故障し、ブレーキが効かなくなっていた中古のフォード・アングリアはホグワーツの校庭に植えられている大きな木に激突したあと、ようやく地面に着地――というよりかは落下――した。ハリーは衝突と着地の衝撃でフロントガラスに額をぶつけてしまったが、車の状態に比べれば遥かにマシだと言えた。
車は事故の衝撃でボンネットがひしゃげただけでなく、元々噴き出していた蒸気が更に噴き出し、ひどいことになっていた。むしろ、こんな状態でフロントガラスに額をぶつけただけで済んだのは奇跡としか言いようがなかった。ぶつけたところにゴルフボール大の瘤が出来ていたが、大した怪我ではないだろう。ヘドウィグもギャーギャー鳴いて暴れていたが、どうやら無事のようだった。
しかし、ひしゃげた車以外にも事故の影響を免れなかったものがあった――ロンの杖である。運転席からロンの絶望的な呻き声が聞こえてきたのでハリーが見てみると、ロンの杖がほとんど真っ二つに折れていたのだ。木と衝突する直前、杖を取り出したのが良くなかったのかもしれない。
杖は、折れた先が裂けた木片に辛うじてぶら下がっている状態だった。ハリーは「学校に行けばきっと直してくれるよ」とロンを励まそうと口を開いたが、更なる不幸が2人に襲いかかった。何者かがハリーの座っている助手席側に強烈なパンチをお見舞いしたのだ。
その何者かは、なんとたった今ぶつかったばかりの木の枝だった。車がぶつかってきたことに腹を立てたのだろうか。太い枝が車ごとハリーとロンをペシャンコにしようとまるで闘牛の牛のように暴れ回っているのだ。
捻れた枝はドアにパンチをし、小枝の拳は雨あられと窓にブローを浴びせ、巨大ハンマーのような太い大枝は、狂暴に屋根を打ちつけた。暴れ回る木のせいで外にも出られず、挙げ句の果てにはあちこちが凹み、ハリーとロンはもう駄目だ、と思った。すると――
ブロロロロロロ……
長旅で壊れてしまったエンジンが最後の力を振り絞って動き出した。もしかすると、もうこんな目に遭うのは懲り懲りだ、と思ったのかもしれない。何故なら車は操作していないにもかかわらず、ハリーが「バックだ!」と叫んだだけで動いたし、木から逃げ切るとハリーとロンをその場に吐き出し暗闇へ逃げてしまったからだ。
「パパに殺されちゃうよ!」とロンが叫んでも車は戻って来なかった。ボコボコになり、煙をシューシュー吐き、テールランプを怒ったようにギラつかせながら、遂に見えなくなってしまった。
「僕達って信じられないぐらいついてないぜ」
屈んでペットのネズミのスキャバーズを拾い上げながら、ロンが言った。ハリーもそのロンの言葉には完全に同意だった。最初は良かった空の旅も何時間も雲を見ていると飽き飽きして退屈だったし、おまけにこの仕打ちだ――ハナとハーマイオニーは今頃温かな大広間でジニーの組分け儀式を見ているころかもしれないと思うと、余計に最高の到着とは言えなかった。
本当だったら、今頃自分も大広間にいたのに――傷だらけのうえ、クタクタでお腹もぺこぺこになりながら、ハリーとロンはトランクを引きずって城の正面の樫の扉を目指した。途中、明るく輝く窓から大広間の様子を窺うと、ハリーの考えていた通り、既に組分けの儀式は始まってしまっていた。薄茶色の髪の男の子が組分けを受けるところだ。
ハリーが教職員のテーブルを見ると中央にはダンブルドアが座っていた。その数席先には淡い水色のローブを着たギルデロイ・ロックハートの姿もあるし、端の席でグビグビ飲んでいるハグリッドの姿もある。空席は今教職員テーブルの前で新入生の名前を呼んでいる副校長であり、グリフィンドールの寮監のマクゴナガル先生の席――いや、違う。
「ちょっと待って……教職員テーブルの席が1つ空いてる……スネイプは?」
空席はもう1つあったのだ。スネイプの席だ。セブルス・スネイプはあのマルフォイが所属するスリザリンの寮監で、ホグワーツでは魔法薬学を教えているが自寮の生徒以外には厳しいことで知られていた。特にハリーには意地悪で、ハリーはそんかスネイプが嫌いだつたし、ロンや他のみんなもスネイプのことは嫌いだった。
そんなスネイプの席が空席になっているというニュースは、たった今ひどい仕打ちを受けたばかりのハリーとロンには嬉しい知らせとなった。「もしかして病気じゃないのか!」とか「もしかしたら辞めたのかもしれない」だとか空席の理由を話し合っているうちに、お互い段々気分が明るくなってくるのが分かった。ひどいことばかりじゃなかったぞ――。
しかし、世の中そう上手くはいかなかった。何故ならスネイプはハリーとロンのすぐ後ろに立っていたからだ。脂っこい黒い髪を肩まで伸ばし、痩せた体、土気色の顔に鉤鼻のスネイプは、その口元に嫌な笑みを浮かべていた。スネイプ曰く、「その人は、君達2人が学校の汽車に乗っていなかった理由をお伺いしようかと、お待ち申し上げているかもしれないですな」らしい。空席だったのは自分達が原因だったのだ。
ハリーとロンは「信じられないくらいついてない」出来事がまだ待ち構えていることにガックリと肩を落としながら、「ついてきたまえ」と言うスネイプのあとについて行った。もはや顔を見合わせる勇気すら出なかった。2人はいい匂いが漂う玄関ホールを横切り、薄暗い地下牢へと進み、スネイプの研究室に入った。
スネイプの研究室は地下牢へ続く廊下のように薄暗く、そして暖炉がついていなくて寒かった。しかも薄暗がりの壁の棚の上には、大きなガラス容器が並べられ、今のハリーには名前を知りたくもないような、気色の悪いものがいろいろ浮いていて気味も悪い。こんな所でスネイプと向き合うだなんて、最低な気分だった。
「なるほど」
ハリーとロンの目の前に立ったスネイプが口を開いた。
「有名なハリー・ポッターと、忠実なご学友のウィーズリーは、あの汽車ではご不満だった。どーんとご到着になりたい。2人は、それがお望みだったわけか?」
何故ハリーとロンが汽車に乗っていないことがスネイプにバレているのか、2人にはさっぱり分からなかったが、少なくとも汽車に乗っていなかったのは、スネイプの言うように「どーんとご到着になりたい」からではなかった。ハリーとロンはすかさずキングズ・クロス駅の柵が通れなくなったからだと話そうと口を開いたが、スネイプは全てを話す前に「黙れ!」と2人を一喝してしまった。そして、
「あの車は、どう片付けた?」
スネイプは冷たい声でそう訊ねた。なんとスネイプはハリーとロンが汽車に乗っていなかったことだけではなく、車でここまでやって来たことも知っていたのだ。スネイプは人の心を読めるのだろうか――ハリーは一瞬そう考えたが、すぐにそれは違うことが分かった。何故なら、もっと悪いことに日刊予言者新聞の夕刊に空飛ぶフォード・アングリアの記事が載ってしまっていたのだ。
「お前達は見られていた」
スネイプが広げて見せた新聞記事には「空飛ぶフォード・アングリア、訝るマグル」の見出しが大きく載っていた。