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「まぁ、そういうことだ」(簡単に言ってくれる)
「此処は地獄だ」という発言を聞いて、まさか額縁通り、というか「文字通りの意味」に取る人間はあまりいないと思われる。辛い環境、苦しい状況を『地獄』とたとえるのは古今東西においてメジャーな表現方法であるし、どつぼに嵌まってしまうことを「奈落に落ちた」なんて言うこともある。嵌まる、という点に関して補足すると、英語圏には「the woman like hell」で『物凄くイイ女』なんて表現もあるらしい。地獄のように底なしの魅力を持つ、抗いがたい女性、ということだろうか。

「此処は地獄です」

そんなことはさておき。例えば突然貴方がそんな風に言われて、「あ、そうなんですか」と素直に納得出来るかと言われれば、多分そうではないだろう。「どういう意味だ」とか「何故そうなんだ」と発言者を問い詰めるなり、周囲の状況を伺おうとするだろう。文字通りの『地獄』だとは思わなくても、否、思わないからこそ、何故そこが『地獄』と呼ばれているのか、『地獄』と呼ばれる程に凄まじい何かとは何なのかを知ろうとするだろう。
しかし、それもまた時と場合による。

「本当に本当に本っっ当に、地獄なんですね……」

高い天井、そこにつり下げられた大きな照明、大きな窓に幾本もの太い柱。その柱や壁には美しく豪奢な、何処か古代中華の宮を思わせる装飾が施されており、床はもうぴかぴかに磨き上げられている。
これだけなら、何処かの重要文化財に指定された建物だとか、或いは凝ったテーマパークの施設だと思うことが出来る。
が、そうも言ってはいられない。分厚い書類の束……だけでなく、金棒だとか鎖つきの鉄球だとかを担いで、周囲をあくせくと歩き回る者達。そのほぼ全員の頭には、1本から3本程度の突起物が生えていて、更にそのうちの半分以上が結構強めのパーマ頭をしている。ついでに全員身につけているのは着物で、牙のような犬歯が目立つ者も多い。

――鬼。

虎の皮の服を着ていないだとか、肌の色が人間と変わらないだとか、そういうイメージとの些細な違いを除けば、まさしく『鬼』と称して差し支えのない外見。そして極めつけは、

「嫌だぁああああ! 地獄なんて行きたくないいいいいい!!」

と、叫びながらも首根っこを掴まれ、ずるずると鬼に引き摺られている……多分、人間。右前の経帷子に、三角形の頭巾をつけた、そのままの格好で「うらめしやー」と言っても別に違和感がなさそうな格好をした彼の頭に、角はない。泣きわめきながら手足をばたつかせる彼は、先程聞こえた『判決』を下された亡者なのだろう。

「此処もう地獄だぞ」
「自業自得だ。諦めろ」

そんな彼を引き摺る鬼と、見張りのためか金棒を構えたまま歩いているもう1人の鬼の反応はドライなものだ。もう明らかにこういった処理がルーチンワークと化している者らしい、何の感情ものらない目をしている。疲れてるんだろうなあ、などと暢気な事を考えてしまう。

「大体お前、自分の罪状ちゃんと聞いてたのか? 同情の余地なんか無いぞ」
「う、うるせえ!! 俺の事情も考えろよ!!」
「考えた上での判決だ。それでも罪は罪。許されざる者には罰を!」
「それ別の作品んんんっっ!!」

絶叫する亡者の声が遠ざかっていく。それを何とも言えない顔で見送っていたなまえは、「入りますよ」という側に立っていた青年の声で我に返った。

「こ、この先に閻魔大王が……」
「『この先にラスボスが』みたいなノリで言わないでください。別に戦いませんし」
「知ってますけど……でも閻魔大王でしょ? 凄い怖いイメージしかないし」

不可抗力とはいえ、生きながら地獄に落ちるという(これだけ書くとなまえ自身がまるで大罪人のようだが違う。断じて違う)被害を受けたなまえであるが、そんな理由でまさかの『閻魔大王』へのお目通りが叶うというのが恐ろしい。というか、物々しい。
しかしその閻魔大王の第一補佐官だという鬼灯は涼しい顔。寧ろ恐々としているなまえを何処かで面白がっている節が有り、「しゃきっとしなさい!」と結構強めの力で背中を引っぱたいてきた始末である。

「あいた!」
「心配しなくても、大王は罪人以外には普通のゆるいおっさんですよ。ゆるすぎて好い加減にしろと思いたくなるくらい仕事もサボりますしね」
「……」

それは逆に別の意味で不安になるのだが。

「失礼します。ただいま戻りました」
「ひい……!」

ちょ、せめて深呼吸くらいさせてくれ……! という、なまえの心の叫びは届かなかった。或いは、届いてはいたが無碍にされた。容赦なく観音開きの巨大な扉を開け放ったその先で、巨大な人影がひらりと手を振ったのが見えた。

「あ、鬼灯君? おかえりー」

優しそうな声。そしてゆるい口調。予想していたものとは全く違う方向性の出迎えに、なまえはかくんと顎を落とした。

「随分遅いから心配しちゃったよ。何かトラブルでもあった?」
「ええ、まあ少し」
「まあ君のことだから無事だろうとは思ってたけどね。あれ、そっちの子は?」
「そのトラブル、というか被害者です。今から説明しますので……」
「?」
「まずその後ろ手に隠し持ったポテチを出しなさい! アホ大王!!」
「あべし!?」

裁判中に間食しない!! 思いっきり振りかぶり、彼の手から放たれた金棒が大王の頭にめり込んだ。ごめすっっ、という何とも妙な効果音がいっそコミカルですらあったが、巨大な金属の塊を頭に食らった大王は、鼻血を噴いて卒倒する。

「ぎゃああああ!!」

霊感持ちで、普段から多少の幽霊は見慣れているなまえも、これには叫んだ。まさしく絶叫である。しかし叫ぶのはなまえだけで、周囲の鬼達は「あーまたか」みたいな感じで殆ど気にもとめない。

「え、これ私がおかしい!? これ常識!? これが地獄の常識!?」
「そうですよ。頑張って慣れてください」
「無理です!」
「ちょっと嘘教えないでよ鬼灯君! 違うからね。この部下がひたすらドSでバイオレンスなだけだから! 鬼灯君が変なんだか」
「ぎゃああああ生き返ったぁぁぁあああああ!!」

だくだくと鼻と頭から血を流して立ち上がる巨漢に、さらなる悲鳴があがる。あまり見たくないが、髪の毛に埋もれた、丁度金棒がぶち当たったあたりがぶよぶよしている気がする。見たくない。心底見たくない。
真っ青な顔で飛び退くなまえは反射的にその場から走り去ろうとしたが、「落ち着いてください」という鬼灯の声とともに、首根っこをぐいと掴まれて尻餅をついた。

「いたあ!?」
「閻魔大王は元々亡者ですから死にません。良いから深呼吸して落ち着きなさい」
「は、はひ……」

早くも呂律が回らないほど疲弊したなまえであるが、目の前の鬼が怖いので取り敢えず深呼吸はする。何度も息を吸って吐いていると多少は落ち着いてくるもので、なまえは最後に深く息を吐いて、ぐったりとその場にしゃがみ込んだ。

「じ、地獄怖い……」
「当然です。地獄なんですから」

あくまでも冷徹な鬼灯の声に、物凄い説得力を感じる。地獄。そう、此処は地獄なのである。文学的な比喩表現でも何でも無く、此処は悪いことをして死んだ人間が落ちる、正真正銘の地獄(日本仕様)なのである。

「それで鬼灯君。その子は?」

なまえがぐったりしているうちに、復活したらしい閻魔大王が尋ねた。鬼灯が実に簡潔に状況の説明をしてくれている間に、なまえはそっと顔を上げて『閻魔大王』を覗き見た。

――でっかい。

その一言に尽きる。巨漢という言葉も似合いすぎる巨漢。鬼灯も身長が高くてがっしりしているが、それよりずっと大きい。あと、やんわりとした言葉にするなら『ふくよか』である。髭はもじゃもじゃ。絵物語に出てくるような、何となくイメージ通りの格好をしているが、目尻の辺りが垂れ下がっていて、愛嬌のある顔立ちをしている。あと、何となくイメージしていた『赤ら顔』ではない。

「そっかあ、それは大変だったんだねえ」

稀な話だけど、そうやって落ちて来ちゃう人はいるんだよ。鬼灯君が見つけてくれて良かった良かった。
にこにこと笑う閻魔大王は、本当に閻魔大王なのかと問いたくなるくらい優しげだ。鬼灯の言っていた意味が何となく分かる。なまえは少し拍子抜けしつつも、「すいません」と小さく頭を下げた。

「まあ、元の場所に帰るにもちょっと色々手続きがいるからね。暫くは此処(閻魔庁)に滞在すると良いよ。客間は沢山あるしね」
「あ、有り難うございます……」
「いいよいいよ。鬼灯君がお世話になったんでしょ? だったら恩返ししないとね」
「……閻魔大王めっちゃ良い人やんけ」

想像していた『鬼のような』イメージなど全くそぐわない。温和で少し緩すぎるくらい緩い老人ではないか。思わず独りごちたなまえである。しかし独り言の割には大きな声だったので、閻魔大王にも横の鬼灯にもばっちり聞こえてしまった。

「え? そうかなあ?」

と、素直な讃辞に照れる大王の頬を

「調子に乗るなサボり魔大王」
「いたたたたた!」

と、鬼灯が金棒(いつの間に拾ったのだろうか)でぐりぐり圧迫し出す。

「良いじゃん少しくらい! 大体君がワシに厳しすぎるんでしょ!?」
「普段から真面目にやってれば私だって自重しますよ! 多分! 出来るだけ!!」
「最後の二言が余計すぎる! それにどーせしないでしょ自重なんか!!」

何か喧嘩が始まってしまった。かと思えば、割と早い段階でまたも鬼灯の金棒が閃き、閻魔大王が椅子から転げ落ちる。……取り敢えずこの2人、鬼灯の立場の方が圧倒的に強いらしいということは、なまえにも何となく分かった次第である。

「あら鬼灯様、お戻りになったのね」

飛び散る血飛沫に顔色を悪くするなまえの耳に、何処か艶っぽい女性の声が届いた。それは鬼灯も同じだったようで、閻魔大王への折檻(?)を止め、くるりと身体ごとそちらを向いた。

「お香さん」
「丁度よかったわ。衆合地獄でこの間あった……あら鬼灯様、そちらは?」

長い睫毛で縁取られた瞳がなまえを見る。それを受けた鬼灯が先程閻魔大王にしたよりも簡潔な説明をすると、「あら」と女性は自らの頬に手を当てた。

「それは大変ねェ。……びっくりされたでしょう?」
「あっ、えと。だ、大丈夫、です」

にこり、と微笑む表情は妖艶にて優美。女のなまえも思わずどぎまぎしてしまう艶やかさだ。日頃こういう『色っぽさ』とは無縁な分、何だか酷く照れてしまう。

「丁度よかった。お香さん、手の空いたときで結構ですので、彼女の必要品を買い出すのを手伝って頂けませんか? 私には若い女性の好みは分かりませんので」
「ええ、勿論。ええと、なまえちゃんだったわね」
「あ、ハイ」
「あたしは此処の獄卒で香っていうの。お香って呼んで頂戴?」

柔らかく微笑むお香と名乗った獄卒の、その美しいこと。
艶やかな着物に歯の長い下駄。癖毛らしい青い髪はとても綺麗だ。きちんと施された化粧は決して『厚化粧』ではないが、勿論薄くもない。目尻の紅色がとても色っぽく、マスカラのついた長い睫毛も、決して下品ではない。着飾り方に嫌味や態とらしさが全くないのだ。こういう女性はとても珍しいと、なまえは勝手に思っている。

「よっ、よろしくお願いします……!」

差し出された手を恐る恐る握る。普通の手で、普通の体温だった。爪にも綺麗にマニキュアが塗られていて、艶々と光っている。

「じゃあ、後で服や日用品を買いに行きましょう。仕事が終わってからになるから、ちょっとお待たせしちゃうけど」

その間に必要なものをリストアップしておいてね。そう言って微笑むお香はとても優しい。閻魔大王とはまた種類の違う柔和な微笑みだ。

「有り難うございます……」

嗚呼、良かった。なまえは心の中で酷く安堵する。いきなりやって来させられた地獄というシチュエーションに、久々に会ったものの相変わらず嗜虐趣味の凄まじい鬼神。ついでに、優しいけれどやられっぱなしでハラハラさせてくる閻魔大王。周囲にいるのは鬼ばかり。
そんな状況下で、綺麗で優しく親切な女性というのはとても嬉しい。決して同性愛趣味ではないが、砂漠の中でオアシスを見つけたような気持ちだ。嫌味なところの全く感じられない物言いも素敵である。なまえはいっぺんでお香という女性に好感を持った。悩みに悩んだ挙げ句に強いて難点をいうなら、2匹の蛇の形をした帯が、少々個性的で怖いくらいだろう。

――ん?

「なまえちゃんにはどんな着物が似合うかしらねえ」と笑うお香の、その背後。左右に頭を出した巨大な蛇2匹。鱗の艶までリアルなそれが、ふとその口から舌を出したような気がした。

「……」
「なまえちゃん?」

気のせいか。いやでも確かに。思わずまじまじと蛇を見つめるなまえに、お香が不思議そうに首を傾げた。……あ、また舌出した。

「あの、お香さん」

その蛇って。なまえが皆まで言うより先に、「ああ、この子達?」と朗らかに、大層朗らかにお香は微笑む。

「可愛いでしょ? それにとっても賢いのよ」

ほら、とお香の撫でる手に擦り寄った蛇の飾り……では、ない。お香の手と丁度同じくらいの大きさをした頭を動かした1匹が、すい、と身体を動かす。なまえの方へ。そしてその、縦に割れた瞳孔をなまえの方に向けると、そのまま泳ぐように頭を近づけて。

――ぺろり。

「……!!?」
「あら、気に入られたのねェ」

ころころとお香が笑う。先程と同じ、嫌味も邪気もない微笑みだ。だから100%本心だと分かる。分かってしまうから、辛い。

「……可愛い蛇ですね」
「あら! なまえちゃんったら分かってくれるのね、嬉しいわあ」
「あはははは」

もう、何も言うまい。余計なことは考えるまい。
なまえは自らに強く言い聞かせ、そして酷く遠い目をした。

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