▼ HELL
それは比喩でも何でも無く、本当に耳も目も閉ざしたくなるような地獄絵だった。
どす、という鈍い音や、ぐちゃ、べちゃという腐った果実の潰れるような音が断続的に聞こえてくる。そのたびに赤黒い噴水が上がり、びちゃびちゃと周囲を汚していく。
「……ろ」
たまに跳ね上がる汚れた塊は肉塊か、臓物か。白く見えるのはきっと骨だろう。何度も何度も打ち下ろされるそれに折れて、拉げて、歪んで、千切れていく。原型を失って久しいそれが元々人の形をしていたなんて、一体誰が想像出来るだろう。
「……めろ」
いつの間にか雨が降ってきていた。日が沈んで久しい空にかかった分厚い雲から、大粒の雨がばらばらと落ちてきている。しかしそれなりな量と勢いの水をもってしても、噎せ返るような血の臭いはなかなか消えない。体中に浴びせられる雨水を吸って、髪や服が少しずつ重くなっていく。
「やめろ」
か細い声。嗚呼、これは本当に自分の声だろうか。頭の片隅に追いやられた、けれど笑ってしまうくらい冷静な自分が、我が身の有様を嘆いている。身体は動かない。視線も外せない。目を伏せることも震えを止めることも出来ない。金縛りにあったかのような身体は重く、気怠い。
「やめろ」
雨にかき消されそうなほど小さな声は、届かない。向けられた背中に。国防色の軍服に包まれた、その大きな背に。
少し前に自分を負ぶってくれたときは、酷く逞しく心強かったそれが――何故だろう、今はひどく、ひどく遠い。
「やめろ……!」
べちゃ、べちゃ、ぐちゃ、ぼき。怖気だつような音は止まない。背を向けたままの男は今、一体どんな顔をしているのだろう。どんな顔で――もはや抵抗も出来ない肉塊に、斧を振り下ろし続けているのだろう。
「やめてくれ、――木舌さん……!」
ぴたり。
か細く掠れた声で、何とか名を呼ぶ。するとまるでDVDの一時停止でも押したかのように、勢いよく振り下ろされようとしていた斧が止まった。数秒の沈黙。
「もう……やめてくれ……」
肩越しにちらりと視線を感じた。緑色の瞳が、暗がりの中でもこちらを見ているのがはっきり分かる。ずぶ濡れのまま、ぞっとするような視線を感じながら、駄目押しとばかりに首を横に振った。
沈黙――斧はまだ、振り上げられたまま。
「手遅れなんだ」
まるでへどろでもへばりついているかのように、声が出しにくくてならない。いつもはきちんと必要な時に回ってくれる舌が、痺れてしまったかのように動かない。けれど、黙ったままではいられない。
「もう、いい」
自分は今、どんな顔をしているのだろう。それすらも分からない。だが、そんなこと今はどうだっていい。これ以上、彼を汚させる訳にはいかない。
「もう――死んでるんだ」
まるでその言葉を待っていたかのように、ざあざあと雨脚が強まった。