暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 思慮分別

「あ、ほんとに無いんですね」

まじまじと、手を伸ばさないのが不思議なくらい真剣な顔で自分の頭頂部を見つめている時緒を、青年は特段邪険にもしなかった。その代わりすぐに帽子を被りなおし、「だから言っただろう」と同じく真面目な顔で言う。

「見せてくれて有り難うございます」
「別に構わん」

ぺこん、と小さく頭を下げる時緒。対して青年はにこりともせず、淡々とした声で答える。その声には、表情と同じく際だった感情は乗らない。ただ事実として、支障が無いから帽子を取った。彼にとってはそれだけなのだろう。
実直と言うか、真面目というか。時緒の他愛ない願いなど無碍にしたところで差し障りはないだろうに、あっさりと聞いてくれたのは彼自身の性格か、それとも獄卒とは皆このような感じなのか。

「前者ですよねえ、きっと」
「?」

不思議そうに首を傾げる青年は、その仕草のせいか少し幼く見えた。何だかちょっと可愛らしいなと、きっと時緒などよりずっと永く生きているだろう彼に対して、些か失礼なことを考えてしまう。

「あ、此処です。此処の7階」
「でかいな」
「そうですか? あー……でも、マンションとしては大きい方かもですねえ」

ころころと、口の中に残っている芋飴を転がしつつ笑う。1人は公立校のセーラー服を纏った女子高生、もう1人はカーキ色の軍服を着、日本刀を手に持った青年。
明らかに異色の組み合わせであり、青年に至っては銃刀法違反で職務質問すら受けかねないが、何故か彼女たちに必要以上の注目を浴びせる者はいない。
否、『何故か』の理由は明白である。2人組の1人である青年をその場から消してしまえば、そこにはにこにこと機嫌の良さそうな、少々挙動不審な女子高生が1人残るだけ。そして青年の姿は、実際のところ今この場では時緒にしか見えていないのだ。

「じゃああの。すぐに戻りますので、また1時間後に。……許可が下りれば、ですけど」
「ああ、分かった」

しっかりと頷いた青年に微笑んだ時緒は、買い物袋を抱えなおしてマンションに入る。
それを見送った青年は、もう一度マンションを何気なく見上げ――視線をそのままに、左手で持っていた刀で、トン、と地面を軽く叩く。

「……」

ぐにゃり。春先の空気には不自然な陽炎が、そこから不意に立ち上る。よく見れば自然現象の陽炎とは何か異なるのだが、しかし常人の目にはそれの何処がおかしいのかは勿論、陽炎が立ち上っているのも映らない。
青年は無感動にそれを見やると、軍靴を履いた足で一歩、陽炎をまたぐように踏み出す。
すると青年の姿は溶けるように消え去り、後には何一つ残ることはなかった。



――遡ること、15分前。

「イラズの森に、ですか?」

店の奥の奥、毛羽立った畳が敷き詰められた、本で溢れた小部屋。時緒と青年はそこに正座し、渋茶をすすっていた。ちなみにお茶請けは、時緒が和紙の袋に入れて持ち歩いているのと同じ、芋飴である。
……こう書くと時緒の持ち物のようだが、時緒の持つ芋飴は元々全てこの店のものである。地獄堂の老人が作っているのかは不明だが、この店にはこの飴がいつも山盛り皿に盛られていて、恐怖に震える子供達の唯一と言っていい癒やしとなっていた。

「ああ。上司の仕事の引き継ぎで、監査に来た」
「かんさ……ですか。あの森の」
「そうだ。今日から規程の期間中、内部を見て回る。掃討任務ではないが、必要があれば怪異や妖怪共の退治も行う予定だ」
「なるほど。でもそれはあの、大変そうですねえ」

「お疲れ様です」と、この先の彼の苦労を慮って頭を垂れる。あの森は厄介だ。子供達の遊び場になっている場所ならさておき、深みであればベテランの術師だって好んで近づいたりはしない。しかし青年は、「まだ任務前だから疲れてないが」とにべもなく言い放った。気を悪くした様子も無いから、多分本気で言っているのだろう。……真面目というか、これは天然っぽい気がする。

「でも、じゃあどうして此処に?」

見回るだけなら、別にこんな場所(薬屋)に来る必要も無い気がする。まあ此処は薬屋と言ってもかなり特殊だが、それでも文字通り『異界』の存在である彼に必要なものがあるのだろうか。
時緒の疑問に対し、「上司に勧められた」と青年はやはりあっさりと返した。

「此処で何かしら助力を請うた方が、任務が円滑に進むと聞いた。強制ではなかったようだが」
「ああ……それは分かるかも。ねえおじいちゃん、何かそういう便利アイテムないの?」

あまり当人(地獄堂のオヤジ)を前にしてする会話でもないだろうが、青年はおろか時緒も大して気にしていないのは、此処が地獄堂だからなのか何なのか。
実際問題、老人は「ひひひ!」と愉快そうに笑っただけだった。そうしてひとしきり笑い終えると、そっぽを向けていた身体をこちらに向けて、時緒の手でもぽきりと折れてしまいそうな指を爪を、時緒に向かって指し示す。

「お前がおるじゃろ、時緒」
「へ」
「この町で今、お前ほどあの森に詳しい者もおるまい」
「え……。え?」

まさかまさかの選択肢である。先程とは違う意味で目を瞠った時緒の隣で、青年も流石に虚を突かれたのか驚愕の表情を浮かべる。意表を突いたことがまた愉快だったのか、「ヒヒヒヒヒ!」と老人がまた大きく笑った。

「時緒お前、未だにあそこに入っとるな。知らんとでも思うたか」
「あうっ……」

予想外の方向からジャブを食らってしまった。時緒は酷く決まり悪そうに、くしゃりと顔を歪めて笑う。対して老人の方は笑みを引っ込め、感情の読めない、けれども正直決して好ましい様子の見受けられない声と面差しでこう続けた。

「全てを救うことは出来ん。救う必要の無い者もおる。何度も儂は言うたな。……お前も、分かってはおる筈だろうに」
「……うん」

最後に付け加えられた言の葉の響きには、普段は何処か冷笑的な老人らしからぬ、何か気遣うようなものが籠められていた。それを感じ取ってなお、否、感じ取ったからこそ、時緒は苦く笑いながら、それでも決して首を縦に振らない。

「うつけ者め」
「……うん」

「ごめんね、おじいちゃん」と、微笑む時緒は泣きそうだった。老人は面倒くさそうにフンと鼻を鳴らし、いつの間にか老人の膝に移っていた黒猫もまた同じく鼻を鳴らした。

「獄卒よ」
「なんだ」
「こやつを連れて行くが良い。こやつはとうの昔に異界へと足を入れておる。口も堅い。足手まといにもならんだろう。扱いの分からぬ霊具を持つより楽だろうて」
「駄目だ」

きっぱり。音にするならそんな感じで、青年はすげなく老人の言葉を拒否した。

「お前達にも事情があるようだが、俺達にも規律がある。生者は基本的に巻き込めない」
「『基本的に』であれば例外は許されよう。心配せんでも、こやつならば怪異に心を奪われる心配は無い。それに放っておけば、こやつは目的のため、何度でも1人で森に入る」

怪異に生者を巻き込むことも、お前達の本意ではなかろうて。
老人の言葉には何処かからかうような響きが籠められていた。膝の上で猫が笑う。ひひひ、と不気味なそれは、今は少々ミスマッチなBGMだ。

「あ、あの……」

そんな無茶言わなくても、と時緒が会話に割り込むよりも、青年が難しい顔で口を開く方が早かった。

「……分かった。だが俺1人で判断して良い問題じゃない。上司に確認を取らせてくれ」
「ひひひ……即答せんか。肋角よりよほど真面目だの。まあ良かろうて」

唯でさえ細い目を更に細くした老人の手が、不思議なくらい澄んだ水晶玉をきゅっきゅと磨く。ガラコが小さく欠伸をして、老人の膝で丸くなった。

「ならばもう行くが良い。時緒、その袋は家に置いていけよ」
「あっ」

ついと視線を流した先には、すっかり存在が忘れられていた買い物袋。中からは、肉じゃがにしようと思っていたジャガイモとタマネギとベーコンが、何処か恨めしげに覗いていた。

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