暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 急転直下

前門の虎後門の狼ならぬ、前門の怪異スポット後門の結界。

「やられたなあ」

のんびりとした口調で呟いた時緒は、やれやれと背後を振り返って肩を竦めた。
彼女のほんの1歩分後ろには、暗く淀んだ力によって形成された結界らしいものが構成されている。それはドーム状になり、この建物と周りの数メートルをすっぽりと覆い隠しているようだ。結界というよりも、最早別の空間を作っていると言った方が正しい。
明らかに術の類を知らない霊には難しい芸当であることを考えると、恐らくこれを創ったのは菫子ではないだろう。恐らくはもっと別の、例えば妖や魔物などの類。
一体何が目的なのか分からないが、これに何も知らない人が巻き込まれなかったのは良かったに違いない。時緒は軽く微苦笑を浮かべた。

「しょうがないか」

有り体に言えば閉じ込められたわけだが、今更この程度でどうこうなるような柔な精神はしていない。それよりも2時間で切り上げられる見込みが薄くなってしまったので、後から裕介の手を煩わせることの方が気がかりでならない。あとは、確実に終わった後についてくるお説教だろうか。

「菫子さん……は、いないよね。やっぱり」

あの高笑いを最後に、菫子の姿は煙のように消え去ってしまった。周囲を探っても気配はなく、近くにいる様子は無い。当たり前と言えば当たり前だが、『嵌められた』感じが半端ではない。まあ、半分以上自業自得ではあるけれども。

「んー……」

ぐるりと周囲を見回すが、ぱっと見た限り窓や扉は全て閉まっているようだ。が、恐らく鍵はかかっていないだろう。試しに一番近くの出入り口に手をかけてみると、それはやはり錆びた音を立てつつも意外と簡単に開いた。むわり、と埃臭い匂いが鼻をつく。

「えーと」

例によって自らの髪を7、8本引き抜き、息を吹きかける。たちまち先ほどのようにモンシロチョウに似た小さな蝶に姿を変えたそれらが四方八方に散っていくのを見送ってから、時緒もやっと建物の中に身体を滑り込ませた。

「暗いなあ」

建て直し予定の建物だ。恐らく今、電気は通っていないだろう。時緒は再度鞄の中に手をやり、今度は火の呪符を取り出す。

「カン」

短く真言を唱えれば、呪符に小さな灯がともる。紙で出来ている筈の札は決して焼け焦げもせず、それを指で挟んで持つ時緒の手を熱さで苦しめることもない。普通の火よりも余程明々としたそれは、3メートルほど先までは問題無く見通せる程度に周囲を照らしてくれた。
かつ、かつ、とヒールの音が規則的に響く。よくこれで木に登れたな、と感心されてしまいそうな5センチのそれを危なげなく履きこなし、時緒はゆるりと視線だけで周囲を伺う。空気が淀んでいるのは、何も換気不足だけのせいではない。
元々、学校というのは殊更良いものも悪いものも集まりやすい場所だ。故に混沌としやすく、『七不思議』を初めとする怪談も集まりやすい。噂は勿論ガセや作り話であることも多いが、時に事実を語っていることもある。この大学にも件の『白いエンジェル様』とやらがあったようだが、これは果たしてどちらだろうか。

『クスクス……クスクス……』
『あはは、あははは……!』
『ふふ……待って……ふふふふ』

何処からか聞こえてくる笑い声は、男の声と女の声が入り交じっていた。幽霊というより、残留思念に近いのだろう。まだ此処がきちんと使われていた時の名残だ。これは建て直しの工事に影響はしないだろう。

「……」

普段はぼけっとしているが、時緒もイラズの森や相応の場所に居るときはそれなりに気を張る。五感をできる限り研ぎ澄ませ、周囲の気配に気を配る。そうしないと、ほんの僅かな隙を突いて、魍魎や怪異の類が付け込んでくる。何度か痛い目も見ているし、幾ら普段抜けていてもそれなりに学習はしているのだ。

「あ、案内図発見」

入ってすぐ見つけた踊り場付近の柱に、アクリル板に印刷された構内案内図が設置されていた。残念ながら今いる1階の地図しか無いようだが、何も無いよりはずっと良い。

――礼拝堂は2階、だっけ。階段は……。

此処が勝手知ったるイラズの森なら、まあ警戒しつつもずかずか上がっていくところだが、残念ながらそうはいかない。時緒ははふりと息を吐き、アクリル板が貼られた柱に背中を預けた。そして軽く目を閉じ、先ほど飛ばした式鬼へと意識を飛ばす。ふらふらと飛んでいる式鬼の五感を共有し、情報として処理していく。
入ってすぐ側の階段。外観通り、此処は3階建てのようだ。一番側の階段を上がってすぐがトイレ、そのまま3階まで行けば大型の教室。1階の廊下、小さめの教室が3つ。また階段、上がってすぐ右が視聴覚ルーム。左はまた別の教室。階段を上がらず真っ直ぐ廊下を進むと、別の大型教室がある。更に進むと……。

「え」

それは敢えてたとえるならば、ブレーカーが突然落ちたときの感覚に似ていた。どきりとするような音とともに、視界が暗闇によって突如遮断される。はっと目を瞠った時緒は、しかし呆然とする間もなく他の式鬼を探る。

「……」

どうやら『潰された』のは1階にいた1匹だけのようで、2階ないし3階に向かった蝶は全て無事のようだ。
3階の踊り場を飛んだ蝶を、壁に浮かんだ目玉の群れが面白そうに見つめている。2階の教室に入った蝶は、そこにいた手だけの怪異が自身を捕まえようと向かってくるのを軽く受け流す。一通り様子を窺った後に『回線』を切った時緒は、さて、と『潰された』蝶が飛んだ方向を見やった。途端、

「……何の音だろ」

ドォン、だとかガァン、という感じの、何かをぶつけたり殴りつけたりするような音が、断続的に聞こえてくる。それは何かが崩れただとかいう自然発生的なものと違い、誰かが意図的に何かを破壊しているかのようだ。もっと言うなら、まるで誰かが好き勝手に暴れ回っているような……。

『……ね……じゃ……』
『あっ……て……らは……!』
『ま……よ……』
『きさ……! ……い……』

話し声のようなものも木霊して聞こえてくる。結構な距離があるせいで内容は不明瞭だ。声の低さから男のもので、数は恐らくは2……いや、3人。言い争っているようにも聞こえるが、そこまで刺々しい声音を出しているのはうち1人くらいだろう。それにしても随分とハッキリと聞こえてくる辺り、亡者や怪異のそれにしては妙な感じがする。
……などと、時緒が逡巡したそのとき、

――ぞくんっっ。

一瞬で全身を怖気が這い回り、鳥肌が立つ。本能的なその感覚に従ってその場を飛び退けば、時緒がついコンマ数秒前まで立っていたその場所に、黒い大きな塊が俊敏な動きで飛びかかる。
間一髪で避けた時緒は、歩きにくいヒールで器用にバランスを取り、何とか転倒せず体勢を立て直す。突然の激しい動きに伴って、火の呪符が軽く火の粉を散らした。

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