暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 甜言蜜語

一口にパーティとは言っても、気が進むものとそうでないものである。
身内だけのものだったり、あとは気心の知れた内輪だけのものであれば、それなりに気が抜けるし楽しい。けれどあくまでビジネス上の付き合いだけの相手が主催だったり、知りもしない相手も沢山招かれるものだったりすると、終始油断が出来ないので非常に疲れる。

「綿原……いや失礼、椎名さんでしたか。お久しぶりです。楽しんでらっしゃいますか?」
「あら、ご無沙汰しております。ええ、この子達も私も大満足ですわ」

今回の場合はというと、当然ながら後者である。その証拠に、溌剌としながらも何処か艶然とした美麗の微笑みは、明らかに眼の光が笑っている女のそれではない。これぞ社交辞令、これぞ愛想笑い、これぞビジネススマイル、というやつか。
こういうパーティで美麗達に関わってくる者達は、友人でなければ大抵は『綿原家』が目当ての連中だ。そうでなければ、子持ちの主婦でありながら若く美しい美麗を『そういう眼』で見ている男共である。美麗もそれは十分分かっているので、それらしい相手とは絶対に距離を縮めようとしない。
それでもなお、男達が無理に(表面上は紳士的にだが)詰め寄ろうとすると……

「母ちゃん、これ。ノンアルコールで良いんだよね?」

などと、裕介が絶妙なタイミングで割り込んでいく。ついでに小学生とは思えない眼力で、相手の男を一睨み。これで大抵の男達は怯み、そそくさと逃げていく。
ちなみに裕介の方を懐柔しようとする者も中にはいるが、女を物で釣ろうとするタイプの男に彼が切り崩せた試しは一度たりとも無い。というか、そもそも美麗自身が夫以外には鉄壁の防御力を誇るので、そういう方面でうっかりしたことは未だかつて無い。
しかし今回あたりからは、その労力が更に加算される見込みとなっている。

「美麗さん」

ねっとりと耳に纏わり付くような声に一瞬顔を顰めた美麗は、しかしそのコンマ1秒後には笑顔を作って振り返った。

「お久しぶりですわね。今日はご招待有り難うございます。息災でいらして?」
「ええ勿論」

満足げに頷く男が纏っているのは、海外製のブランドスーツだ。上背もあるこの男のサイズでは、確かに国産のスーツはなかなか合わないだろう。肋角や災藤あたりが着れば素晴らしく絵になるに違いない仕立ての良いそれは、おろしたてだろうにカフスボタンの周囲が早くも傷んでいるようだった。

「会場に入って一目で気づきましたよ。相変わらずお美しい」
「まあ。そちらもお変わりないようで何よりですわ。……ご子息も」

恰幅の良い、悪く言えばでっぷりとした腹を揺らした中年男性が、並びの悪い歯を見せて笑っている。食生活の悪さが髪や肌に出ていて、頬はてかてかと光っていた。二重になった顎を上げて、自分の後ろに立っていた青年を差す。

「ええ、最近は家業も上々で。ほら、お前もご挨拶しろ」

促された青年が、1歩前へ出た。その視線は美麗をなめ回すようにじろじろと見て、最初から曲がった背を更におざなりに曲げた。

「はじめましてー」

何とも気安い、親しくもない相手にするには失礼な挨拶だった。ぴくり、と髪に隠された美麗のこめかみが動く。表情には出さないものの、明らかに機嫌が降下したようだ。時緒と裕介はほぼ同時に視線を合わせる。
もっとしゃんとしなさい、と口だけで説教した男は、「おおそうだ」とやや不自然に視線を移した。美麗の方から……後ろで彼女の影のように立っていた、時緒に。

「うちの次男です。今年で21になるんですが、確かそちらの姪御さんとは年が近かったと記憶しておりまして」
「あら嫌だ、時緒はまだ16でしてよ」

ご冗談を、とまでは口にせず、口角をつり上げる美麗。『何処が年近いんだヴォケ』と言わんばかりだ。きっぱりと言い切られた男は一瞬たじろいだものの、変な汗をかきながら「まあまあ」と息子に向かって時緒を指し示した。

「折角だから、少し話でもどうでしょう。何せ息子はこういう場にはなかなか来たことがなくてですね、是非色々教えてやって頂ければと」
「ご冗談を。こういうところではまず、ご子息はお父様の背中を見て学ばなければ」

変なモン押しつけんなとばかりに美麗が撥ね除けようとするも、しかし男は引かない。「だが」とか「折角だし」を繰り返し、何とか場を持たせようと更に変な汗をかいている。

「へぇ」

そんな親の様子を知ってか知らずか、息子の方はじろじろと、まるで品定めでもするように時緒を見ていた。それこそ頭のてっぺんからつま先までをニヤニヤ笑いながら観察し、ごくごく小さな声で「合格」と呟く。
パーティのざわめきの中では特に響くことの無い小声だったが、時緒には聞こえた。ついでに、耳の良い裕介にも。美麗そっくりの美しい面差しが、一瞬憤怒に染まったのを時緒は確かに見た。

「初めまして」

正直、なめ回すようなその視線が快いわけも無い。だが美麗の顔を潰さないためにも、時緒は努めていつも通りの笑みを浮かべる。

「結城時緒と申します」
「……結城? おお、そうか。可憐さんは『外』に嫁入りされたんでしたな。道理で聞き慣れぬ苗字だと思いました」

明らかな嫌味を孕んだ声音。時緒にだけそれを発しているつもりらしい男は気づいていないようだが、それは側に居る美麗をも馬鹿にしている。一般人に嫁いだのは美麗も同じだ。美麗の眉間に、一瞬だけだが深い皺が刻まれた。
紹介された息子とやらは、白いスーツに青いシャツ、そして白いネクタイに身を包んでいる。きちんと整えられてはいるものの、髪の毛は何度も染められたり脱色されているらしく、すっかり傷んでいる。幾つも空いたピアスの痕がはっきりと分かるし、よく見れば唇の端にも穴が空いていた。猫背で、着こなしもだらしない。見た目で判断するのは大変失礼だが、一言で言うと『ちゃらんぽらん』な印象しか持てない。

「俺、煌太っての。よろしくなー、時緒チャン」

時緒チャンというその呼び方には、明らかな『嘲り』があった。それは時緒が未成年の小娘だからとか、そういう意味合いだけでは決してない。しかし時緒は穏やかに笑みを返し、「よろしくお願いします」と差し出された手を握り――はた、と目を瞠った。

「ん? 何ナニ、どーしたの?」

ニヤニヤ笑いを消さない息子。同じような顔でニヤニヤしている父親。憤懣やるかたない様子の美麗は、手に持ったグラスを叩き割らんばかりに握りしめている。しかし時緒は視線だけをぐるりと巡らせ、自分達と同じく礼装に身を包んだ招待客達を観察する。

――今の匂い……。

今度は気のせいでは無い。先ほど地下駐車場で嗅ぎ取ったのと同じ、甘い香りが確かに鼻腔を刺激する。しかも先ほどほんの僅かに香った時より、より濃く鮮明に。

――この人から?

男性が身につけるには甘ったるすぎる香りは、間違いなく女物の香水だ。残り香が移っただとか、そういう薄い匂いではない。一体何故、と内心首を傾げる。と、

「……ぁ」

姿勢の悪い男の背後から伸ばされた、青白い手と腕。それはまるで甘えるような動きで、ゆっくり男の首に絡みつく。そうして、男の背にのし掛かるようにして覗いた、女の顔。
その血走りつり上がった目が、未だ男に手を握られている時緒を見てにやりと笑った。

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