暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 陰々滅々

裕介の母・美麗と、その姉である時緒の母の実家は、綿原という。綿原家は日本有数の資産家の家柄であり、代々優秀な実業家や政治家、時には学者を輩出してきた名門中の名門。メディアに露出しない本物の『お金持ち』であり、一般に知られていないだけで国内の『名だたる方々』との血縁もある、本当に由緒正しい一門だ。
現当主は光という時緒と裕介の伯父であり、美麗はごく普通の一般家庭に嫁いだ、名目上は普通の主婦である。
しかし血は水より濃いとあって、未だに綿原とのコネクションを求めた外部の人間から――ビジネス上の付き合いという名目で――こうしてパーティだの何だのに呼ばれることがある。聞けば時緒の母も生前は同じだったようで、今日のようにどうしても出席しなければならない場合、美麗と2人して車の中で愚痴を言い合っていたそうだ。

「だってそうでしょ? 要は実家に用があるのが見え見えなのよ。私達なら『落としやすい』って思ってるのが丸わかりだわ」

心外だ、とぷりぷり怒る美麗だが、ハンドルを握る手は相変わらず『キレッキレ』だ。事故を起こす不安はないので何も言わないまでも、時緒は思わず裕介と顔を見合わせてしまう。

「ただ単に、母ちゃんや可憐伯母さんが美人で魅力的ってことじゃない?」
「あら! お上手ねえ、裕介」

最愛の息子に最上級の褒め言葉を贈られて、美麗は一転機嫌良く笑った。基本的に身内以外には厳しさも4割増しな美麗だが、その分家族や親しい友人にはとびきり優しい。特に夫である聡にはベタベタなのだが、それを知る者は外部には殆どいない。

「……それにしても、とうとう時緒ちゃんにまで招待が行くようになっちゃったわね」

不意に、溜息混じりに美麗が呟く。時緒は小さく苦笑した。

「仕方ないですよ、私ももう16ですし」
「まだ16よ。まったく、青春真っ盛りの女の子にとんでもないわ!」

再びボルテージを上げ始めた美麗をまあまあと宥める。真剣に怒ってくれている美麗には悪いが、時緒の立場を考えれば仕方の無いことなのだ。勿論、美麗自身もそれが分かっているだろうに、こうして怒って貰えるのは有り難いことではあるが。

「時緒ちゃん」
「はい?」

近くの信号が赤に変わる。ゆるやかに踏まれるブレーキと、それに伴いスピードを落とす車体。

「前々から言ってるけど、あっちで何を言われても気にしちゃ駄目よ。周りの空気に流されて、嫌なことを渋々受け入れることも無いわ」

離れた場所の横断歩道を、歩行者が渡っていく。

「可憐や私達のことなんて関係無いのよ。貴方には貴方の未来があるんだから。変に妥協したり、私達に気を遣うことなんて、何一つないんだから」

歩行者向けの青信号が点滅しだし、やがて赤に。やや間を空けて、車向けの信号が少しずつ青に変わっていく。

「――はい」
「ん、良いお返事」

バックミラー越しに時緒が笑えば、美麗も満足げに微笑みを返す。アクセルが再び踏まれ、車が緩く前進を始めた。
流れていく景色に視線を走らせる。夜の帳はすっかり降りていて、ビルの灯りが煌々と輝いているのが少し眩しい。

「着くまでもう少しあるから、まあリラックスしてて頂戴。何なら寝てても良いわよ」
「大丈夫ですよ」

やや過保護気味な叔母の発言にくすくす笑いながらも、時緒は背もたれに体重を預けた。髪型を潰さないようにだけ気をつけて、視線は相変わらず窓の外に向ける。

――私には、私の未来……か。

印象に残らない夜景を眺めながら、そっと片手を胸に充てる。小さく小さく、息を吐く。
とくん――と、1度だけ不自然に高鳴る心臓。いつものこと。『忘れるな』という戒めであり、警告であり……カウントダウンにも、似ている。終末時計の針の音。

――大丈夫。……大丈夫。
――だって、今はまだ『そのとき』じゃない。

ほんの僅かだけ口角を上げれば、ガラスに歪な薄ら笑いが映る。だがそれが浮かんだのは一瞬で、時緒はすぐに目を伏せて、醜い笑い顔を面差しから消し去った。

「時緒姉?」

従姉の異変に気づいたらしい裕介が、怪訝そうに声をかけてきた。時緒ははたと我に返り、逆に「ん?」と裕介に向けて首を傾げる。

「なあに、裕介君?」

こてりと首を傾げた時緒を、裕介は暫く何処か不機嫌そうに見上げた。夜を閉じ込めたような瞳が、じいっと笑んだ時緒を射貫く。睨む、とは少し違う、探るような視線。けれど美術品を品定めするのともまた違う、強いて言えば病人を診る医者のそれに似ていた。

「……何でもない」

これといった異変が見つからなかったのか、それとも上手い言葉が出てこなかったのか。恐らく前者であろうが、ふいと視線を逸らした裕介はやはり少し不満げだった。時緒は小さく苦笑し、そっとその手触りの良い髪を撫でる。

「何だよ」
「ふふっ、何だろうねえ」

くすくす笑うばかりの時緒を睨め付けていた裕介だが、やがて諦めたように溜息を吐き、されるがままとなる。時緒はさらさらの彼の髪型を崩さないように、そっとその細い指で彼の黒髪を梳き続けた。

「着いたわよ」

ややあって車が減速しだし、少々特徴的な外観の建物が窓ガラス越しに見えてくる。海外の著名な建築家がデザインし、最近新築されたという高級ホテルの新館だ。この辺りは最近になって開発が進み出している区画で、周囲にはやはり真新しい大きな建物ばかりがずらりと並んでいる。
車はやがて建物の地下駐車場へと誘導され、停車した。ホテルマンのリードに従い、順番に降車する。刹那、

「ん?」

冷たさを感じる地下駐車場には似つかわしくない、甘い香りが不意に鼻を突いた。それはほんの一瞬で、ふと顔を上げたときにはもう消えていた。

「時緒姉も分かった?」

気のせいだったのかと思ったが、どうやら裕介も感じたらしい。酷く怪訝そうに眉根を寄せ、視線だけで周囲を窺っている。駐車場に、他にもう1台車が入ってきているのが見えた。
決して悪臭では無い芳香だったが、少し強かった。たとえるなら1吹きで十分な香水を、3回も4回も吹き付けたかのような。

「あら、どうしたの2人とも」

美麗が首を傾げた。彼女は感じなかったらしい。2人とも揃って「何でも無い」と首を横に振った。
曲がりなりにも術師である裕介と時緒が嗅ぎ取って、美麗は気づかなかった匂い。この場合、考えられるパターンは3つある。1つはただの気のせい、もう1つはたまたま美麗が気づかなかっただけ。そして最後の1つは――今の匂いが霊障、つまり感じ取れる人間にしか感じ取れないものであった場合。

「時緒姉、霊具持ってる?」
「勿論。……でも会場には持ち込めないよねえ」

困ったね、と小声で言い合い、2人同時に溜息を吐く。
ただでさえあまり気の乗らないイベントだったのが、ますます前途多難になりつつある気がひしひしとした。

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