暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 朝衣朝冠

夢見ていた。ずっとずっと。子供のように。小さな頃から。
真っ白でふわふわのドレス。白百合のブーケ。長いチュールのヴェール。金の指輪を左手の薬指に嵌めて、誓いの言葉を唱えて、そしてそっと口づけを交わす。

そんな未来を、信じていた。
疑いもせず、求めていた。
ただひたすらに、焦がれていた。

だから。

だから――……。

 ◇◆

嫌なことや哀しいことがあった後、楽しいことや嬉しいことが起こると、いつもの倍は気分が良くなる。同様に、良いことや喜ばしいことがあった後に、苛立たしいことや気分の悪いことが起こると、そのときの憂鬱さはやはり倍増する。
要するに、甘いものを食べた後に酸っぱいものを食べると、その酸味が更に強烈に感じるのと同じ理屈だ。さっきの今まで甘やかされていた脳味噌が、突然の酸味や苦味に過剰反応してしまう。それだけのことなのだ。

「だから、平気。全然平気」

大丈夫、大丈夫。今夜も無事に乗り切れる。姿見に映る自分に、時緒はうんうんと頷きながら何度も言い聞かせた。
今の時緒の格好は、平日着込んでいるセーラー服でもなければ、イラズの森を歩くときのようなラフな服装でも、休日に身に纏うゆるい布地の普段着でもない。ちょっとした余所行きよりも格上の、所謂フォーマルに分類される服装である。
レース・シフォン切替のマキシ丈ドレスは、上半身のレース生地が淡い水色、ハイウェストのスカート部分がダークブルーのツートーン。殆ど日に焼けていない肌は、スカートの濃い青色に酷く際立って見える。背中は露出していないが、白い腕と肩は惜しげもなく露わにされていた。
いつも纏めている髪は、今は緩くハーフアップにされ、真珠があしらわれた青薔薇のコサージュで飾られている。滅多にしない髪型のせいか、少し違和感があった。

「大丈夫大丈夫、長くても2時間。全然平気、大丈夫」

薄く施した化粧による頬の赤みや、目元に施したアイメイクは、見慣れないせいかどうしても不自然に思えてならない。ぱっちりとした瞳は日本人の多くが持つダークブラウンではなく、もっとずっと色の薄い、白みの強い茶色。古くは白橡というらしく、これの濃い色は昔から喪服や、身分の低い者の衣服として使われてきたという。
長い長い亜麻色の髪は、元々癖があるものの、今日はアイロンをきちんと使ったお陰で毛先がくるりと巻いている。髪と同じ色をした睫毛は量こそ多く長いものの、色が薄いせいで暗がりだと目立たない。もっと濃い色や、いっそのこと金色ででもあれば、もっと見栄えもしただろうに……と、いつも思ってしまう色だ。

「ふふっ」

だが不思議と今夜ばかりは、この淡い色が普段よりちょっとばかし宜しく見える。そうでなければ、いつもは夜会巻きにする髪を下ろしたりなどしない。嗚呼、浮かれているなと、時緒は自分で自分に少し呆れた。
これでもう少し、これから向かう場所が楽しいところであれば最高なのだが……。

「なーんて、それは流石に我が儘か」

くすくす笑って、独りごちる。それを見計らったかのように、インターフォンの鳴る音が響いた。

「はーい」

防音の効いた部屋では、返事をしたところで外には届かない。それでも返事をしてしまうのは、ただの癖と習慣故だ。足首部分にラインストーンが入ったフォーマル用のストッキングに通した足を滑らせるように玄関へと向かう。よいしょ、と扉を開ければ、そこにはばっちり『決まった』美麗と裕介の姿があった。

「流石時緒ちゃん、もう準備は大丈夫そうね?」
「はい」

にこりと微笑む美麗に、微笑み返す。普段のきりっとしながらも柔らかな笑みとは少し違う、挑戦的なものの滲んだ笑顔。余所行き、それもあまり気を許せない人間を相手取る時の顔だ。

「とっても可愛いわ。今日にはちょっと勿体ないくらいね」
「そんな」

惜しみない讃辞をくれる叔母に、時緒は小さく苦笑する。

「美麗さんの方がずっと素敵です」

そう。冗談めかしてそんなことを言う美麗こそ、本当に勿体ないような美しさだ。
ウェスト部分に巻きスカートのようにタックをたぐり寄せた、黒いパーティドレスを身に纏った美麗は、相変わらず神々しいばかりの美女っぷりだ。オフショルダーのお陰で露わになった白い肩が眩しくて、けれど下品にはなっていない。腰のラインが浮き出るタイトスカートがとても似合っている。
時緒と反対に、普段は下ろしている黒髪は、今日はきちんと夜会巻きにされていた。露わになっている項が色っぽい。

「珍しいね、時緒姉が髪下ろしてるの」

ぱちり、と長い睫毛に縁取られた眼を瞬かせる裕介は、シックな黒いフォーマルスーツに身を包んでいる。高学年とはいえ、小学生が着るには少々固すぎるデザインのような気がしなくもないが、大人びた雰囲気の裕介には良く似合っていた。涼しげな黒髪と相俟って、まるで高級な人形のようにも見えてしまう。母親そっくりの端麗な顔立ちは、しかし表情の乏しさだけがあまり似ていない。

「たまには良いかなと思って。似合わない?」
「まさか」

あっさりと時緒の問いを否定した裕介は、乏しい表情のままさらりと殺し文句を口にする。

「寧ろ、時緒姉は髪下ろしてる方が綺麗だよ」
「またそんな大袈裟なこと言って。……ふふ、でも有り難う」

見た目はひたすら涼しげで繊細な美少年だが、裕介は実のところ結構歯に衣を着せない。身内でも良くないものは良くないと言うし、お世辞はまず口にしない。その裕介がそう言うなら、多分今の時緒は悪くない見た目なのだろう。

「裕介君もかっこいいねえ」
「そう? サンキュー」

お返しとばかりに時緒が褒め殺しにかかるものの、裕介の方はしれっとしている。少しばかり残念だが、まあ仕方ない。

「じゃ、行きましょうか。2人とも、向こうではあまり私から離れないようにね」
「はい」
「分かってるよ、母ちゃん」

腰に手を当てて微笑む美麗は、『艶然』という言葉がとても似合っていた。けれど若々しく溌剌としていて、既婚者や子持ち女性の一般的なイメージからはほど遠い。これで中身は夫にベタ惚れで甘えん坊の可愛い女性なのだから、ギャップ萌えとは彼女のためにある言葉なのではと時緒は常々思っていたりする。

「さあ、2時間で勝負付けるわよ!」

先ほどの時緒と似たようなことを言って、雄々しく拳を振り上げる美麗。「おー」と時緒も笑顔で、裕介は無表情で右手を挙げる。
謎の一体感に包まれたそこはまがりなりにもマンションの共有廊下で、たまたま部屋に入ろうとしていた隣人が不思議そうな顔でこちらを見ていた。

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