暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 孤影蕭然

――『遊ぼうか、女童(めわらわ)』

頭に直接響いてくる、ねっとりと耳に纏わり付くような声だった。姿形はあどけない少女のそれで、けれど老獪な表情と声音と、淀んだ魂は別物だった。
めわらわ、という、呼ばれ慣れない、そして古びた呼称に含まれた、侮り。嘲り。

――『お前の如き、頑是無い童にも出来る遊びよ』

けれどそれを撥ね除けることも出来ないくらいに、あのときの自分は貧弱で、脆弱だった。
勿論それは、今も大して変わっていないけれど。

 ◇◆

「何でしたっけって何だよ! 覚えてねえの!? 何で!?」
「何で、と言われましても……」

があっと牙を剥く(冗談でも比喩でも無く、開かれた口から見える歯は獣のように尖っていた)平腹に、時緒は軽く両手を挙げ『降参』のポーズを取る。しかし距離を取ろうとする時緒とは裏腹に、平腹はぐいぐいと距離を縮めようとするから困った。明らかに今日初対面の男女(一応)が保つ距離ではない。
まあ勿論、そんな色っぽい雰囲気など欠片もありはしないのだが。

「こらこら平腹、女の子にそんなぐいぐい行くんじゃないの」
「つーかお前マジうるせえ。食ってる時くらい静かにしろ」

木舌がどうどう、と落ち着かせようとする横で、結構痛切な田噛の一言が響く。「なんだよー!」と平腹が軽く食ってかかりそうになったが、田噛は意に介した様子も無くつんとそっぽを向いた。
ちなみに彼のカステラの食べ方だが、平腹と対照的に割とちまちましている。決めつけるのは宜しくないが、そのひたすら緩慢な動作を見ていると、口を大きく開けるのが面倒くさいのではないかと思われた。

「お前、意外と馬鹿なんだなー」
「特務室の馬鹿代表が何言ってやがる」

2名に諫められた平腹が、ずず、と紅茶を啜ってそんな事を言う。「ふいんき? はちょっと佐疫っぽいのになー」という、どちらかというと佐疫に失礼な一言もついてきた。
ちなみにぼそ、と呟かれた田噛の一言は、幸運にも平腹の耳には届かなかったらしい。

「『特務室』?」

耳慣れぬ単語を耳に入れた時緒が、反射的に復唱して頭を傾ける。

「ああ、此処のことだよ。響きは良いんだけど、まあ有り体に言えば『何でも課』かなあ」

本当に割と何でもやるからね。と微笑んだのは木舌だった。谷裂が「そんな気の抜けた呼び名を使うな」と渋い顔をしている。

「特務室は閻魔庁から人事・任命権諸々全てが独立した外部機関だ。こちらの決め事には閻魔大王ですら殆ど口を出しては来ない。肋角さんはその管理長で全権を任されている」
「おお、かっこいいー」

何だかスケールが大きな話だ。取り敢えず『凄い』ということしか分からない。『獄卒』というのは所謂「地獄で亡者を仮借する下級の鬼」を示す言葉だが、要するにその独立機関・特務室は文字通り特殊且つ特別扱いを受けていて、そこに所属する彼らは結構なエリートということだろう。
……そういう面々と一緒に、昼食からおやつまで一緒に食べているという、この事実が今更ながら少々恐ろしい。
それにしても、

「おじさま、ほんとに偉い方なんですねえ」

思わずしみじみと、そんなことを呟いてしまう。時緒にとって、肋角はどうしてもまだ『偉い獄卒』ではなく『あかめのおじさま』の印象が強いのだ。黒に近い紺色の着流し姿で、煙管を片手に時緒を抱き上げた彼は、確かに徒人とはまるで違う風格があったけれども。

「今更何を言っている」
「あはは……ほんとですねえ。すみません」

谷裂がふんと鼻を鳴らした。時緒の気安さに苛立つその声音に、隠しきれない肋角への敬愛が見て取れた。刺々しいその態度も、その副産物だと分かると何だか微笑ましい。笑い声だけは立てないよう気をつけつつ謝ったものの、和んだのが顔に出てしまっているらしく、「何だその顔は」と顰めっ面をされた。

「お前も大概締まりの無い顔をしているな。本当に術師か?」
「あー、それすっごい言われます。……お前『も』?」
「そこにいるだろう、究極的に締まりの無い奴が」
「え、おれ?」
「他に誰が居る。亡者に目玉を抉られてもへらへらしおってからに」

いきなり矛先を向けられた木舌が、へにゃりと笑みを浮かべた。「言った側から貴様は!」と眉を吊り上げた谷裂を、「まあまあ」と佐疫が諫めた。

「……めだま?」

相変わらず笑みを崩さない木舌と対照的に、聞き捨てならない単語を小耳に挟んだ時緒の顔から笑みが引っ込んだ。めだま。……目玉? 聞き間違いか。いやいや、そんなこともあるまい。谷裂に怒られてもなお笑っている木舌の顔を、正確にはその三日月の形になった瞳をじろじろと凝視してしまう。
きちんと谷裂に焦点を合わせている、木舌の花緑青。盲目でもなければ、義眼でも無いようだ。光彩はきちんと周囲の光を捉え、瞳孔も適度な大きさに広がっている。

「ああ、あのね時緒。木舌の目は大丈夫だから落ち着いて?」

瞬きを忘れて木舌の目を観察し続ける時緒の肩を、ぽん、と佐疫が叩く。

「俺達は人間と違って『死』が無いんだ。だからどんな傷を負っても時間をかければ元通りになっちゃうんだよ。目玉を抜かれても、そのままずっと放っておいたら1から再生するんだ」
「……そうなんですか?」
「無くなったモン全部戻すのは時間かかるけどな!」

だから再生待ちってすげー暇! と元気よく言い切る平腹に邪気は無い。勝手な偏見かも知れないが、彼は何となくその『再生待ち』に陥ることが多そうな気がする。

「ま、今回のおれの場合は時間かからなかったよ。抜かれた目玉を斬島が持ってきてくれたからね」
「もう取られるなよ、木舌」
「あはは、そうだねえ、善処するよ。やっぱり見えないと不便だし」

寧ろ和やかな雰囲気で、結構物騒なことを語り合う彼らは実に自然だ。「気をつけろよ木舌ぁ!」と言いながら木舌の背にのし掛かる平腹に、「お前が言うな」と田噛が吐き捨てる。

「手だの脚だの落っことすのはお前が一番多いだろ」
「ほ? そうだっけ?」
「ああー、確かに平腹は怪我多いよね。気をつけないと駄目だよ?」
「マジか! 気をつける!!」
「俺の記憶違いかも知れないが、このやりとりは以前も聞いたことがあるな」
「残念ながら俺もある……平腹貴様、気をつけると言ったからには気をつけろ!」

わいわいとじゃれ合う、軍服を着た若い鬼(見た目判断だが)達。全員帽子を脱いでいるせいもあってか、全体的に幼げな印象すら覚える。服装と、顔色がひたすら悪いことを除けば、現世にも良く居る若者集団でしかない。会話の内容は『アレ』だが。

――……嗚呼、いいな。あたたかい。

きっと時緒よりずっと年上で、確実に格上の存在が、見ていてとても微笑ましい。多少の物騒さや血生臭さなどどうでも良くなる。
気の置けない友人、信頼できる同僚、愛すべき家族――嗚呼、何て素敵で、何て眩しい。

――いいなあ。

つまらない羨望の言葉を、口の中に押し込めて隠す。金銭的にも何不自由ない暮らしをしておきながら、これ以上何かを望む自分に呆れるのは良くあること。それを押し殺して、何食わぬ顔で笑うのも慣れたものだ。
とろりと微かに潤んだ瞳を、瞬きをやめて乾かす。

早く帰らないと、と思った。
このまま此処に居続けたら、くだらないことを言ってしまうような気がしたから。

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