暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 一家団欒

ご飯出来たわよー、というキリカの声で、斬島と平腹のじゃれ合いはやっと終了した。一番乗りで走っていく平腹の後ろから、災藤と斬島が続く。

「おばちゃん田噛の分もくれ! まだ寝てっから!」
「はいはい、ちょっと待っててね」

聞こえてきた田噛という名前に、時緒は未だテーブルに突っ伏している青年を見下ろす。彼は時緒達が食堂に入ってきてこの方、殆ど顔を上げず、上げたとしてもほんの僅かで、平腹の鳩尾なり何なりを殴ってはすぐ顔を伏せてしまっていた。お陰で時緒はまだ、彼の面差しをきちんと見たことがない。

「あ……」

平腹がトレーを2つ抱え、危なっかしそうにゆっくりこちらに歩いてくるのが見えた。とても不安定なのだが、先程まで暴れていたときのような乱暴さは影を潜めている。それでも時々身体を大きく傾けるものだから、時緒はまずそちらに駆け寄ってしまった。

「片方お持ちします」
「ふお? お、サンキュー!」

ぐ、と片方のトレーを押しつけてくる平腹から何とかそれを受け取ると、ずっしり重い。ご飯ひとつとっても、時緒が普段食べる量の倍は盛られている。

「そっち田噛のな!」
「はい。えーと、田噛さん? 起きて頂いて宜しいですか?」

お昼来ましたよ、とそっと声をかけると、お昼、という単語に反応したのか、突っ伏していた頭と肩がもぞりと動いた。のそのそとした如何にも緩慢な動きの後、形の良い頭がやがてむくりと持ち上がる。

「飯……?」

微かに掠れた声も気怠げだ。「どうぞ」とテーブルに置いたトレーを渡すと、「ん」と片手だけでそれを引き寄せた。それを確認してから時緒も厨房に向かうと、先に出てきた斬島が、「お前の分だ」と、やはり2つ持っていたトレーの1つを差し出してきた。

「あ、有り難うございます」

有り難く受け取り、自席に運ぶ。何だか小中学校の給食の時間を思い出した。栄養バランスが第一で作られたメニューを、割烹着を着た給食当番がどんどんよそっていた光景が頭に浮かぶ。高校に入ってからはすっかりお弁当生活になったから、少し懐かしい。
炊きたての白米に、わかめの味噌汁。鰆の西京焼きに山菜の和え物に、生姜と鰹節の載った冷や奴。香りも最高の春らしいメニューに、ぱっと表情が輝く。

「わあ、美味しそう」
「お代わりはいっぱいあるから、沢山食べて頂戴」

しゃもじを片手にそう言った、キリカの笑顔が眩しい。一般的な世の『お母さん』とは、きっとこういう感じに違いない。裕介の母・美麗も料理は抜群だが、ちょっと雰囲気が違う。勿論、どちらが良い悪いではなく、ただのイメージの話だが。

「あー、お腹すいたあ」

おのおの席についた丁度そのとき、食堂の扉が再び開いた。肋角の執務室で別れた面々が、ぞろぞろとお腹を押さえながら部屋に入ってくる。

「おおっ! みんなお帰りー!!」

平腹が大きく手を振った。「ただいま」と返したのは木舌と佐疫で、谷裂は小さく一瞥をくれただけに留まる。その後ろから入ってきた肋角を見つけ、平腹が更に騒ぎ出す。

「肋角さんだ!! 肋角さんも今から飯!?」
「ああ、たまには良いかと思ってな。一緒でも構わないか?」
「当たり前じゃん! な、田噛! 斬島!」

はしゃぐ平腹を田噛は鬱陶しそうに見たものの、異論は無いらしい。斬島と災藤は言うに及ばず。そうして、2列に並べられたテーブルのうち1つがほぼ埋まった。……こうしてみると、やはりこの構図は給食の時間に似ていた。
おのおの、自分達らしい「いただきます」を告げて食事に取りかかる。食べ方も順番もそれぞれ違っていて、けれど茶碗と箸の持ち方は全員とても綺麗だった。けれど平腹などは肘が大袈裟に張っていて、隣に座ってしまった斬島が少し邪魔そうにしていたが。

「おい」

鰹出汁のきいた味噌汁を一口啜った時緒の耳に、ふと低い声が届く。見れば、緩慢な動作で端を握った田噛が、悪気のなさそうなジト目気味にこちらを見ていた。

「それ、取ってくれ」
「あ、どうぞ」

それ、と視線で差されたのは、時緒の一番近くに置かれていた醤油差しだった。すぐに取り上げて手渡すと、「サンキュ」と短い礼が返ってくる。
初めてきちんと向かい合った田噛は、眠そうで草臥れた雰囲気を隠そうともしていない青年だった。無造作に所々跳ねた黒髪が、意外と大きな目に僅かながらかかっている。その両目はぱっちりとしていれば円らだろうに、眠いのか普段からなのか半目だった。お陰であまり人相が良くは見えず、折角綺麗な顔立ちをしているのに、顔色の悪さと相俟っていっそ病人染みている。瞳の色は熟れた鬼灯にも似た橙色で、それが半目なものだから、まるで沈みかけの夕日がひっくり返ったようにも見えた。

「あ、この和え物美味しいな」
「ほんとだ。お酒にも合いそうだねって嘘、嘘だって佐疫。そんな怖い顔しないでよ」
「ふお!? ははひしょーゆはへふひはへ!?」
「うるせえ普通だっての。つーか呑み込んでから喋れ」
「煩いぞお前ら! 少しは黙って食えんのか!」
「谷裂気をつけろ、あと3センチ肘を張ると味噌汁が零れる」

わいわいと談笑しながら食事を進める獄卒達は、何というか、普通だった。お昼休みに騒いでいる男子高校生だとか、ファミレスの家族連れと、殆ど何も違わないように見えた。
しかしその一方で、友人、同僚、仲間……家族。本来ならば全く別々のコミュニティである筈なのに、彼らの中ではそれらが全て混ざり合っている。それは、多種多様のコミュニティに属し、それぞれで違う顔を使い分ける人間とは、同じなようで確かに違う。

「平腹、口の横におべんとう付いてるよ」
「ふお? え、何処? 何処何処!?」
「肋角さん、お茶のお代わり要りますか?」
「ああ。すまんな」

彼らを結ぶものは、果たして何なのだろう。瞳の色から性格から、何もかもが十人十色な彼らを眺めて、そっと首を傾げる。

「……」

ほどよく味の付いた西京焼きを噛み締めながら、何とはなしに考える。
人間と殆ど変わらぬ姿を持ちながら、確実にヒトとは違う時間と世界に生きている鬼達。彼らを家族たらしめているのは、一体何なのだろう。彼らは一体何をたよりに集い、今こうして同じテーブルを囲んでいるのだろう。
誰に強制されるでもなく、自分の意思で。彼らは何を思って今、『此処』にいるのだろうか。

「どうした、時緒?」

思考の海に沈んでいた意識が、ふ、と浮き上がる。声の主の方に視線を向ければ、肋角の赤い瞳と視線が交わる。ぱちり。瞬き1つ。
柔らかな笑みをたたえた肋角の雰囲気は、泰然としながらも優しい。生徒を慈しむ教師のような、或いは……父親だろうか。頭を撫でてくれた、あの手の大きさを思い出す。心の蟠りも憂いも、何でも喋ってしまいたくなるような、あの不思議な安堵を。
……嗚呼、そうか。

「おじさま、すっごい『ひとたらし』なんですねえ」

このひとだ、という確信めいた思いが浮かび上がる。こういうひとが庇護してくれるなら、愛を注いでくれるなら、きっと何でも出来る気になるだろう。このひとのために、何でもしようという気にだってなるだろう。
本当にそれだけが要因ではないのかも知れないが、少なくとも理由の1つはこれだと思った。

きっと此処にいる彼らは、このひとのために鬼に成ったに違いない。

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