暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 遊戯三昧

平腹という獄卒は、良く笑い良く喋り、ついでに良く動いた。食堂だというのに考え無しにバタバタするものだから、度が過ぎるごとに災藤や斬島から制止され、それでも駄目なときは突っ伏したままの獄卒(田噛、というらしい)から殴られていた。
脇腹などの柔らかい部位を遠慮無く攻撃する彼の拳は結構痛いらしく、殴られる度に平腹は悲鳴を上げるものの、結局少しすればまた騒ぎ出す。『無限ループって怖くね?』なるネタが、ふと頭に浮かんだのは多分時緒だけだろう。

「平腹ちゃん、どうしたの?」

あまりにこちらが騒がしかったからだろう、長い暖簾で仕切られていた厨房から、1人の女性がひょっこり顔を出した。彼女はまず災藤の姿を目に留めて会釈をし、次に斬島に向かって「お帰りなさい、斬島ちゃん」と微笑む。そして最後に時緒の姿を見つけ、少しだけその目を瞠った。

「肋角と斬島の客人だよ。すまないけどキリカ、彼女の分のお昼も頼めるかな?」
「肋角さんと、斬島ちゃんの? あらあらまあまあ……」

ぱっと表情を華やがせた女性が、すすす、と近づいてくる。何故か足音がしなかった。

「可愛らしいお客さんだこと。初めまして、おばちゃんに名前を教えてくれるかしら?」
「結城時緒です。初めまして」

人好きする笑みを見せる女性は、見たところ30前後くらいだった。朝顔のように鮮やかな青紫色の髪をアップにしていて、不思議な黄緑色の瞳をしている。スタンドカラーの白ブラウスに、足下まで丈のある黒いハイウエストスカートを合わせた着こなしは上品だ。紅の載った唇も麗しい。けれど何処か色っぽくもあるのは、この年頃の美女が持つ艶のせいかも知れない。

「?」

何故か覚えた違和感に首を捻ると、淡い色であるお陰で目立つ瞳孔が目に留まった。……縦に開いている。まるで猫や狐、或いはある種の蛇のようだ。違和感の正体はこれらしい。

「キリカさん?」

暖簾を押し上げて、別の人影が顔を出す。振り返ったキリカが、「あやこちゃん」と出てきた少女の名らしいものを呼んだ。

「こっちいらっしゃい。お客さんですって」

こっちこっち、と手招きする女性に呼ばれ、手招かれた少女がこちらに来る。キリカというらしい女性よりも10かそれよりもう少しくらいは年下で、時緒と同じか少し上くらいに見えた。
化粧気はなく、取り立てて目を引く特徴はない。しかし少し物憂げな表情の良く似合う、顔立ちの美しい少女だ。伏せられがちな黒い瞳は大きいし、睫毛も長い。肌も白いが健康的で、身に纏った青い着物がとても良く似合っている。
真っ黒な長い髪は癖が無く、毛先に近い方で1つにまとめられているようだった。猫っ毛の上にやや波打っていて、且つ色も薄い時緒には、ほんの少し羨ましい。
それにしても、

「平腹ちゃんに斬島ちゃん……」

随分可愛い呼ばれ方だ。もしかして他の者達もそんな感じなのか。田噛ちゃんで佐疫ちゃんで木舌ちゃんで谷裂ちゃんなんだろうか。……うん、可愛い。とても可愛い。

「此処にあやこちゃん以外の女の子がいるなんて新鮮だわ。よーし、おばちゃん張り切っちゃうわよ!」

キリカ、そしてあやこと名乗った女性陣2名は、そう言って何処か楽しそうに厨房へと戻っていく。落ち着かないので「何か手伝うことは」と申し出た時緒だったが、災藤に「お客さんなのだから」とやんわり止められてしまったので大人しくするしか無い。

――あ。

こちらに背を向けた彼女たちの後ろ姿に、思わず時緒はぽかんと口を開ける。
キリカのスカートから伸びているのは人間の脚では無く、輝かんばかりに美しい、白い鱗で覆われた蛇の尻尾だった。そしてあやこはあやこで、後頭部のやや上のあたりに、大きな舌をべろんと垂らした『口』が開いている。
半人半蛇に、二口女。今更気づいた正体に驚くのは、こういうメジャーな『妖』と邂逅する機会が、単純に乏しかったからだろうか。

「びっくりしたかい?」
「……ちょっとだけ」

災藤がうっすらと笑みを浮かべるので、時緒はそっと苦笑を返した。思いっきり動揺してしまったのが申し訳なくて、少し恥ずかしい。

「なぁなぁ斬島ぁ! その袋何? 何持ってんの!?」

斬島がテーブルの端に置いた紙袋を目敏く見つけた平腹が、やけに表情を輝かせる。斬島が無表情ながら、ほんの少し顔を顰めたのが見えた。

「時緒の土産だ。昼食の後でキリカさんに切って貰う」
「ふお? っつーことは食い物!? なあなあ時緒、これ食い物!?」

早速『時緒』呼びしてきた平腹が、その輝いた顔をぐりんと時緒に向けてくる。その両手は今にも斬島から袋を奪わんばかりにわきわきと動いており、その動きを警戒した斬島は、即座に自分の後ろに紙袋を隠していた。

「五三焼きカステラですよ」
「カステラ!? やったーマジか!! なあそれ食いたい! 今食っちゃ駄目!?」
「駄目だ」
「えー!? 何でだよ!? いいじゃんいいじゃん! 俺今食いたい!! カステラ!!」
「駄目だ。キリカさん達にも迷惑だろう」

「斬島ぁあー!!」と、怒号と悲鳴の中間らしいものを上げて斬島から袋を奪おうとする平腹。その平腹を足蹴にしつつ(時緒が思ったより随分乱暴だ)、袋を目一杯遠ざける斬島。これがてつし達のような小学生ならまだしも、体格の結構良い2名が結構派手にじゃれ合うものだから、見ていて少々ハラハラしてしまう。

「食事前のおやつは駄目だよ、平腹」

という、災藤の制止でやっと平腹は鎮まったものの、未だにその黄色は未練がましげに斬島の手元を睨んでいる。お陰で斬島はまだ安心できないようだ。机の一番端に紙袋を置き、きちんと椅子に腰掛けながらもなるべく平腹の視界から五三焼きを隠そうとしている。

――何処かで見たことあるなあ、こういうの。

何だったっけ、と少し考えて、思い出したのは良次のことだった。良次の家は兄弟が多く、父と同じ大工になった兄・良太と、今年高校2年生に上がった姉で双子の萌子・舞子がいる。特に萌子と舞子は時緒と同学年であり、良次のこともあって元々多少の交流はあった。

『おい良次、別にもう取らねえっつってんだろ』
『良太兄いっつもそういうじゃんか! ていうかもう残り半分無いし!!』

いつだったか、時緒が「みんなで分けてね」と渡したチョコレートの詰め合わせを半分以上食べてしまった良太と、残ったチョコレートを何とか死守しようとしていた良次の姿が思い浮かぶ。本人達は大真面目で必死だったのだが、端から見ていて酷く微笑ましく思ったものだ。

「仲良しですねえ」

此処でこうして見る斬島からは、それまでと異なり少々子供っぽい印象を受けた。気の置けない、信頼できる相手と安心できる場所にいるからなのだろう。微笑ましいことだ。

「家族だからね」

時緒の独り言に、当たり前のように災藤が答えた。まるで晴天の日に口にする、「今日は良い天気ですね」の社交辞令にも似た、ごくごく当然のことを言っただけのような響きだった。

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