暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 枝葉末節

「時間もあるし、少し此処の中を見て回ろうか」

そう言って微笑んだ災藤に、時緒は特に逆らわなかった。隣を歩く斬島も嫌な顔をしなかったので(此処で彼が不快を顔に出すとも思えなかったが)、折角だから甘えることにした結果である。
美術館や観光名所として残っている跡地でもなく、こうやって現役で使われている『お屋敷』を見せて貰える機会はなかなかない。従弟ほどではないが、時緒も美術品やアンティークの類は大好きだったし、親族に感化されたお陰でそれなりに目が肥えてもいた。

「あ、これ……」
「おや、よく知っているね」

防音が施されているという部屋に設置されたグランドピアノ。よくある黒艶出加工が施されたそれを、思わずまじまじと見つめてしまう。上品ながら重厚感のある造りと、印字されたロゴは、現世の超一流ピアノブランド製であることを意味している。

「弾いてみる?」
「勘弁してください……っ!」

俗に『ピアノのストラディバリウス』とすら呼ばれる、世界のピアノメーカー御三家の1つである。製造方法の違いから戦前・戦後で評価は二分している面もあるが、今もなお愛好家は世界中にいる、紛れもない一級ブランドだ。
少なくとも、今の土埃や血の跡がついているような手で触れれば、その場で罰が当たりそうな一品。ついでに言うなら、時緒にピアノを弾く技術は殆ど無い。
顔を引き攣らせて首を振る時緒の様子がおかしかったのか、災藤はくすくす口元に手をやって笑い出す。よく分かっていない様子の斬島が、その隣で首を傾げていた。

「刀の知識も何もない人が、綺麗だなんだって斬島さんの刀に汚れた手でべたべた触ったらどう思います? それも柄や鞘だけじゃなく刃の部分まで」
「……物凄く不快だな」
「つまりそういうことです」
「そうか。よく分かった」

微妙に違う気もするが、要するに『恐れ多い』『とんでもない』ということだ。斬島が珍しく苦虫を噛み潰したような顰めっ面になった後、物凄く真面目腐った顔で頷くのがちょっと面白かったのは、時緒の胸の中にだけ秘めておくことにする。
ソファや娯楽用のボードゲームが設置された談話室に、古今東西(この世もあの世も含めて)の本が集まった図書館(RPGに出てきそうな背の高い本棚が沢山あった)。1階に降りると、普段は獄卒達がおのおの鍛錬をしているという道場に、広い洗面所とランドリールームがあった。時緒は一言断り、此処でようやく手を洗う。

「広いですねえ」
「男ばかり20名程いるからね。このくらいでないと大変なんだ」

ちなみにこの屋敷は3階と地下室もあるらしかったが、そちらはさりげなく素通りされた。多分そこが『余所者お断り』の部分なのだろう。なので時緒もそこには触れない。

「食堂はこっちだよ」

指さされた方から、微かに聞こえてくる話し声と、漂ってくる味噌汁の匂い。食べ物の匂いを嗅ぐと空腹を急に自覚する辺り、人間というのは厳禁だ。今回は腹の音が鳴らなかったことにこっそり感謝しつつ、前を歩く災藤の後に続く。

「あ――っ! 災藤さんっ!!」

扉が開かれるなり、物凄い大声が耳朶を激しく叩いた。しかし災藤は特に動じず、「やあ、平腹」と声がした方向に手を振った。
広い食堂の席は殆ど埋まっておらず、入り口からやや離れた奥の席に、2名の獄卒が陣取っているだけだった。そのうち1名がこちらを見て、手を千切れんばかりにぶんぶんと振っている。

「斬島もいんじゃん! お疲れ! あとお帰り!!」
「ああ、ただいま」

災藤に続いて食堂に入った斬島にも、彼は満面の笑みで手を振った。オーバーリアクションのせいか、遠目から見て若干幼く見える。体格は結構しっかりしていそうなのだが。

「なあなあ! 災藤さんも飯? もう飯? なら一緒に食おーぜ!」
「ああ、構わないよ。田噛、私達もご一緒していいかい?」

はしゃぐ一方とは逆に、怠そうに机に伏せていたもう1名が、災藤の声にもぞりと動き出す。腕に預けていた頭を少しだけ上げてこちらを見ると、「どうぞ……」と気怠げな声を出して再び突っ伏してしまった。

「お疲れだね」

間違っても『上官』にするような態度とは思えなかったが、やはり災藤は気にしていないようだった。寧ろ苦笑気味に、労るような響きを持った声で呟きを漏らす。緊張感の無い、微笑ましくすらある気安さが何だか面白い。上司と部下というよりは、単純に『年の離れた兄弟』或いは『年の近い親子』という感じだ。

「斬島ぁ! 斬島もこっちな! ……ふお?」

バンバンと机を叩いて同僚と上司を呼ぶ獄卒が、彼らの後ろにいた時緒にようやく気づいたようだった。大きな瞳をまあるくして、近づいたものの同席を躊躇っていた時緒を見つめる。

「お前、誰?」

ぐっと身を乗り出し、時緒の顔を覗き込む青年。心底不思議そうに見開かれた両目に、ぽかんとした顔の時緒が映っている。
まん丸の満月が、ふたつ。金糸雀の羽にも似た、少しだけ暗い黄色の瞳はまさしくそんな印象だった。悪戯小僧を連想させる、つり目だがくりくりした目つきは少し幼い印象。けれど輪郭のくっきりとしたパーツや薄い唇は、紛れもなく青年のそれだ。帽子の隙間からは、明るいオレンジ色の短髪が覗いている。一見すれば、若者向け雑誌のモデルのようにも見える美青年だ。

「彼女は結城時緒さん。斬島の任務を手伝ってくれているんだよ」
「ほ? 斬島の?」

じいっと、ますます目力を強くした黄色が時緒を射貫く。ぱちぱちと瞬きをした時緒も、何とはなしにそれを見返す。奇妙な沈黙。見つめ合うこと数十秒。

「っあー! 思い出した!!」

突然大声を上げて静寂を破ったのは、やはりというか、平腹というらしい獄卒。

「斬島が言ってた奴だろ!? えーと、あの、浅漬け!」
「はい?」
「間違った! あれあれ、えーと、糠漬け! 糠漬けの美味い奴!!」

……。

「つかぬ事をお聞きしますが」

ややあった別の種類の沈黙を経て、口を開いた時緒の視線は若干遠くを見つめている。

「斬島さんは私について糠漬けのことしかお話ししてないんですか……?」

木舌といいこの青年といい、一体何なんだろう。別に悪口だとも思わないし、話題にされるのも一切構わない。が、何故こうも糠漬けのことしか出てこないのだろうか。

「いや、そんなことは無いが……」
「なあなあお前! オレ、平腹! よろしくな!」

時緒の問いに、斬島も多少困惑した様子で言葉を濁す。そんな彼らを余所に、爆弾を投下した獄卒は、実に邪気の無い笑みで手を差し出したのだった。

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