暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 吉辰良日

『続いてのニュースです』
『××県○○市で昨日、市内に住む26歳の会社員――さんと、その家族4名が、自宅で死亡しているのが発見されました』
『――さんは2日前から会社を無断欠勤しており、同僚である知人女性が心配して自宅を訪ねたところ、玄関先で――さんが死亡しているのを発見、110番通報をし、事件が発覚しました』
『到着した警察が捜査したところ、この家に住む――さん並びに、――さんの両親と兄弟2名の計4名も、家の中で遺体で発見されました』
『警察では、強盗殺人も視野に入れて捜査を進めています』

プチン、という短い音を立てて、テレビが切れる。ニンジンの糠漬けと一緒に白米を食む作業をほぼほぼ終わらせた時緒は、そのまま手に持ったリモコンをテーブルに置いた。そしてその手で側の湯飲みを掴み、人肌よりやや温かい白湯で口内を潤す。
空になった食器を見下ろし、両手を合わせる。小さく小さく「ごちそうさまでした」と呟いた後、食器は重ねて流しに持っていき、そのまま洗う。家に帰ってきた後でも構わないのだが、帰宅後は出来るだけのんびりしたいという意向からそのようにしている。
着替えはとうに済み、ヘアセットも終わっている。今日の時間割は昨日確認してあるから、忘れ物もない。多分。

「あっ」

回していた洗濯機が作業終了の合図を鳴らした。急いで手を拭いて、ぱたぱたと洗面所へと小走りに駆け寄る。

「えーと……」

側の窓を覗き込み、空を見上げる。良く晴れた青空だ。風は南東。少し湿った空気。天気予報の降水確率は、確か0%。所謂洗濯日和というやつだろう。小さめのバケツに全て詰め込めてしまうくらいの洗濯物は、そのまますぐに屋外へと干された。乾燥機はあまり使わない派なのだ。
手早く、手慣れた動きで、洗濯物はものの10分ほどで揃ってベランダではためき始める。時緒はそれを、心なしか満足げに見上げ、うん、と頷いた。
彼女、結城時緒が住んでいるそこは、全ての部屋が分譲の高級マンションである。高層、という程ではないが、セキュリティもしっかりしていて、ロビーにはコンシェルジュが常駐している。最安値の部屋でも数千万するという、れっきとした資産家にはお買い得、というレベルの物件である。それでも、未成年の少女1人が暮らすとあっては、せめてこのくらいではなくては困るという周囲の(過保護な)意向を汲み、時緒がこの部屋に越してきたのは、もう8年も前のこと。当時は「危ないから」とハウスキーパーにやってもらっていた炊事洗濯も、今となっては慣れたものだった。

「おはよう、時緒ちゃん」
「あ……オハヨウございます。美麗さん」

不意に声をかけられ、さほど驚かず振り返る。馴染みのある声の主は、ベランダの窓を少しだけ開けて、顔をひょっこり覗かせていた。
美しい人だ。天使の輪のかかったストレートの髪が朝日に照り輝いていて、白い肌も同じくらい綺麗に白んでいる。長い睫毛、気品の漂う切れ長の瞳、整った鼻梁に、ふんわりと弧を描く唇。年齢は実のところ30を過ぎているが、20代半ばと行っても十分に通じるほど溌剌としている。
こんな綺麗な女性と時緒は、実は親戚関係に当たる。しかし幾ら3親等以内の、法律的にも認められた親類とはいえ、彼女と時緒はあまり似ていない。彼女の息子は彼女そっくりの美形で、色彩もそっくりだから羨ましい限りだ。
血縁的には叔母と姪。けれど時緒は、昔から彼女を『叔母』とは呼べない。礼儀だとか気安さだとかそういう問題ではなく、ただこの人を『おばさん』と呼ぶことに違和感があるからだ。下手をすれば寧ろ『姉さん』でも通ってしまうほど若々しい人を、中年女性への一般的呼称と同じ響きで呼ぶことには、どうにも罪悪感が拭えない。

「時緒姉」
「オハヨウ、裕介君」

などと考えていると、件の息子の方も時緒に気づいたらしく、母親そっくりの顔立ちを窓から覗かせた。おはよう、と時緒の言葉に答えた少年は、朝早いにもかかわらずすっかり身支度が調っている。元々寝起きでも大して隙のあるところは見せない子供なのだが、こういうところは本当に母親似だ。いつ見ても絵になる、という意味で。

「裕介君、今日は早起きだね」
「委員会の集まりがあるんだ。放課後残りたくないって言い出した奴がいてさ」

どうせまとまらなかったら放課後に引き延ばされるのにな、と溜息を吐く少年。時緒は大人びたその所作に苦笑する。と、少年は不意に顔を上げ、時緒を改めて見やった。

「時緒姉、もう出るだろ? 俺もそろそろだから一緒に行こう」
「ほんと? じゃあそうしようか。私、ちょっと掃除機だけかけたいんだけど」
「そのくらい待つよ」
「有り難う。美麗さん、椎名家のナイト君お借りしますね」
「はい、承りました。裕介、ちゃんとリードするのよ?」
「分かってる」

ちょっとばかし気取った会話も、この親子は問題無い。何故ならびっくりするほど様になるから。時緒は朝から眩しいほど輝くオーラを放つ2人に目を細めた。

「じゃあ、また後で」

朝から素敵なものを見たなあ、なんて馬鹿なことを考えながら、ベランダを出て室内に入った。消してしまったテレビ。机の上には、まだ半分ほど中身の残った湯飲みを傾ける。すっかり冷めてしまった白湯を最後まで飲みきり、流しへ。これくらいなら帰ってから洗おうと決めた。
2人に宣言したとおり、部屋に掃除機をかける。とはいってもリビングだけだ。そして、カーペットも片付けないおざなりな掃除である。寧ろどちらかと言えばカーペットに付いた埃を取ることが重要なので、さほど問題では無い。
一通りガーガーと、まああまり音のしない掃除機を走らせた時緒は、そのまますぐにそれを部屋の隅に映した。最新のコードレスのそれは、やはりあの美麗叔母のおすすめだ。あんなに綺麗で、外ではバリバリのキャリアウーマンである彼女だが、家事も完璧というまさに超人なのである。彼女が『良い』と言ったものに、粗悪品が混じっていたことなど一度も無い。
掃除機を元の場所に置き、小走りに玄関へと向かう。置いておいた鞄を取り顔を上げると、丁度靴箱の上に置いた写真と目が合った。

「……いってきます」

小さく笑って外に出る。すると、丁度出てきたらしい従兄弟が、「おはよう姉ちゃん」と無表情に手を振った。

「ごめんね朝から」
「全然。行こう」

オートロックのマンションは、出かけの鍵を気にしなくて良いのが一番の利点だ。もともとは、あまりにも防犯意識が薄い時緒を心配した美麗やその兄・光が、せめて自分達どちらかの近くにと熱心に勧めてきてくれたのに押しきられたのがことの真相である。が、住んでみれば確かに便利であった。家族用であるから女一人暮らしには広すぎるきらいもあるが、それも既に慣れてしまった。
ランドセルを背負った裕介と連れだって、外に出る。

「そういえば時緒姉。ニュース観た?」
「うん?」
「隣町の事件やってただろ」
「ああ。観た観た。凄いご近所だったね」

びっくりした、と時緒は独り言のように続ける。小さく息を吐き、裕介は自分の背丈よりまだ20センチ程度は高い場所にある時緒の目をじっと見据えた。

「隣町だし可能性は低いけど、あんまり無防備になるなよ。時緒姉、変なところでタイミング良いっつーか、悪いんだから」
「ええっ、そうかなあ?」
「そうだよ。危機感無いし、ぼーっとしてるし」
「うーん……でもまあ、裕介君が言うならそうなんだろうねえ。気をつけるよ、有り難う」

はふり。先程よりも大きな溜息。時緒は少し困ってしまうが、しかしこれ以上はどうしようもない。そもそも、時緒には自分にそこまで危機感がないとは思っていないのだ。

「……絶対だからな」
「うん」

街路樹の枝で、鈴なりの雀が鳴いている。愛らしいその声に時緒は目を細めた。嗚呼、今日も1日が気持ちよく始まった。どうかこのまま、幸せに過ごせますように。
習慣でもなく、確固とした信心に基づいているわけでもない、おまじない程度の気安さで、加護をくださる神仏に祈る。

今日も1日、幸せに、とだけ。
『何も起こりませんように』と祈らなかったのは、決して意図したことではなかったのだけれど。

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