暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 相縁奇縁

幸いにして、佐疫と木舌がお咎めを受けるようなことにはならなかった。これは時緒の推測に過ぎないが、肋角は最初から両名を処罰する気など無かったような気がする。人質に取られたのが時緒という生者だったのが想定外だっただけで、多分この事態そのものはいつ発生してもおかしくなかったからだろう。
大体にして、そもそも事の起こりは亡者達の集団脱走だ。まずこの件で責任が降りかかるのは、その亡者の見張りなり何なりをしていた者達の筈で、どうやら『助っ人』だったらしい彼らに咎が及ぶのは少し理に適わない。

「報告書は各自後で作成して提出しろ。まずは身体を休めるように」

という肋角の号令で、報告は締めくくられた。ほ、と誰かが息をつき、張っていた室内の空気が撓んだのが分かった。

「さて、それではお前の用件を聞こうか」
「はい」

やおら視線を向けられ、時緒はぱっと居住まいを正した。取り敢えず本当に重要な用件は鞄の中だが、その前に。

「あの、まずこれ。良かったら皆さんでどうぞ」

東京駅で、時間が無いなりに選んだ土産物を渡す。箱の中身は何処だかの老舗が出している、五三焼きカステラが入っている。それなりに大人数でも分け合えるように、一番大きなサイズが4本入った1箱を購入しておいた。

「わざわざ用意したのか?」
「おじい、じゃなくて、地獄堂の店主が、相手は斬島さんの上司だって言うので」

お世話になってますし、と続ければ、肋角が意味ありげに斬島の方を見た。時緒もつられてそちらを見やれば、彼はきょとんとした顔をしている。

「ならば、これは斬島に渡しておくのが筋だろうな。頼めるか?」

「はい!」と律儀に元気なお返事をした斬島が、肋角から災藤、そして災藤から手渡された箱をしっかり受け取る。佐疫が隣から箱を覗き込み、「あ、知ってるよこれ。美味しいんだよね」と微笑んだ。

「それで、こっちは地獄堂からです。なるべく私が直接渡すようにと」

鞄の中に納めていたあの、不思議な封印が施された筒を渡す。肋角と災藤の顔つきがほぼ同時に変わった。決して刺々しいというのとは違うが、空気がまた緊張したのが分かる。
肋角に直接渡すのではなく、まずは災藤へ。災藤が簡単に、しかし油断無く封や筒の重さを確認してから肋角へ。短く爪を切りそろえた肋角の指が彼岸花を撫でると、封印はぽうっと小さな火を上げ、そして跡形も無く消えてしまった。小さくても確かに燃えた筈なのに、筒に焼けた形跡、焦げた跡は何処にもない。
ぽん、と軽い音を立てて蓋が開かれ、中からは丸められた上質紙が顔を出す。筒はそのまま災藤に戻され、肋角は両手で癖の付いたその紙を広げた。暫しの沈黙。

「あの男らしい」

ふ、と不敵に笑んだ口元。赤い瞳がちらりと時緒を見やる。視線の意味が分からず首を傾げると、横からその紙を覗き込んだ災藤が微かに目を丸くした。

「おや。これは……」

これも不思議なのだが、一応『長』『補佐官』の関係である割に、この2人は身分的な違いが殆ど見受けられない。普通であれば上司の読んでいるものを、こうして部下が断りも無く覗き見るなど失礼な気がする。
しかしそれとは別に、肋角に次いで災藤まで、やたら意味ありげに此方を見てくるのは何なのか。

「時緒」
「はい?」

徐に名を呼ばれ、思案するあまり飛んでいた意識が一気に戻った。

「後で『これ』の返事を用意する。出来るまで少し待つことは出来るか?」

返事が必要なものだったのか。地獄堂の老人は特に何も言っていなかったが……まあ、別に待つくらいは何の問題もない。この後は斬島に少し時間を貰わなければならないし、多分そう時間がかかるものでもないだろう。

「分かりました。お待ちしています」

時緒がこくりと頷くと、肋角はまたうっすら微笑んだ。咥えた煙管から、不思議な紫色の煙が浮かんで広がる。

「代わりと言ってはなんだが……そろそろ昼時だな。昼食は此処で食べていくと良い」
「え」
「腹も減ってくる頃だろう。心配せずとも、お前1人分くらいは余裕があるはずだ」

大食漢が多いからな、此処は。そう言った肋角は、次に斬島の方を見た。

「食堂まではお前が案内してやれ、斬島。ついでに、キリカにそれを切り分けて貰うと良い。田噛と平腹はもう戻っているからな」
「分かりました」

躊躇いなく斬島が頷くので、つい辞退するタイミングを逃してしまった。おろおろと肋角と斬島を見比べる時緒に向かって、駄目押しとばかりに災藤が微笑む。

「私もご一緒するよ。実はそろそろ空腹でね」
「でも……」
「黄泉竈食ひのことなら心配するな。食文化は現世と変わらん。何も気にすることは無い」

あ、これは追い出しにかかられている――時緒は瞬間的にそう直感した。その証拠に、とうに報告を終えて、言い方を悪くすれば『用が無い』筈の木舌や佐疫、谷裂には退室許可が出ていない。
じいっと肋角を見返しても、彼は表情を変えない。仮に此処で時緒がごねたとしても、多分何の意味も成さないだろう。地獄堂の老人は、彼らに一体何を見せたのか。

「――じゃあ、お言葉に甘えて」

有り難うございます、と頭を下げてみせる。此処で粘ったところで何にもならないだろうし、何より時緒は所詮部外者だ。此処で我が儘を言う権利も無い。それなら、場の空気を悪くする前に退散した方が賢明だ。
扉を開けてくれた災藤に礼を言い、「失礼しました」と最後に会釈してから部屋を出る。ちらりと肩越しに振り返れば、たまたま眼が合った木舌がひらりと手を振ってくれた。

「どうした?」
「……いえ」

閉められた扉をじっと見つめていれば、首を傾げた斬島に声をかけられた。時緒は首を子に振り、やんわりと笑う。
繰り返すが、今の少々強引な流れを踏まえるに、肋角は時緒を『追い出しにかかった』のだろう。そして斬島も一緒にしたのは、多分彼が最も時緒と『親しい』からに違いない。見知らぬ場所で初対面の補佐官と2名だけにするより、顔見知りである斬島が一緒の方が、時緒も安心するだろうという配慮も感じる。
そう考えると、やはり少しばかり申し訳なくなった。本当なら、彼もまだあそこに残って、仕事の話なり何なりを聞いていただろうに。後で同じ話を聞かされるのかも知れないが、肋角としてもそれでは二度手間だろう。

「もう少し、お話ししたかったなと思って」

だが、それをいちいち口にするのも憎らしいことだ。決して虚偽では無い言い訳1つを口にするに留めた時緒は、名残惜しげに苦笑する。すると斬島は少しだけ目を丸くし、やがて妙に感慨深げな声で言った。

「肋角さんと知り合いだったんだな」

今更と言えば今更なことだが、まあ驚くのも当然だ。時緒だって、今此処で会うまでは、彼が獄卒だなどとは知りもしなかった。

「昔……もう10年近く前ですが、命を助けて頂いたことがあります」

瞑想するように目を伏せて、胸元に手を当てる。ことことと鳴る心音に、生きているんだなと、当たり前のことをしみじみと実感する。
何気ない日常を変わらず送れることへの感謝と、僅かばかりの哀しみを伴って。

「斬島さんの上司さんだとは思いませんでした」

世間って狭いですねえとぼやくように言って、時緒はころころ笑い声を上げる。至極真面目な顔で「そうだな」と同意する斬島の背後で、災藤がくすりと笑ったのが見えた。

[ back to index ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -