暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 恐懼感激

「あれだよ」

佐疫が外套の内側から腕を出し、指さす先はもうすぐそこだった。ちなみにしこたま彼に怒られた木舌は、既に復活して先程と変わらない笑みを浮かべるばかりである。

「綺麗なお屋敷ですねえ」

明るめの焦げ茶色の煉瓦が積み上がった壁に、青みがかった黒い屋根。窓は大きく縦長のものが規則的に並んでいる。前方にやや張り出した両翼部と、中央正面に塔屋が見える辺りは、現在の東京国立近代美術館工芸館に似ている。元は近衛師団の司令部だったあの建物を半分弱程度にこぢんまりとさせて3階建てにすれば、もっと似てくるように思えた。
シンプルだが雰囲気はややゴシック調。なんとなくではあるが『大正浪漫』のイメージそのままの建造物を前に、時緒は感嘆の息をつく。佐疫がくすりと笑った。

「もう現世ではあんまり見ない造りだよね、こういうのは」
「そうですね」

鍵の開いた門を開き、中に入っていく谷裂の後に続く。部外者が入ってもいいのかと少々躊躇った時緒だが、斬島に「何をしている?」というような眼で見られ、慌てて敷地内に足を踏み入れた。

「私の住んでる町は田舎ですから、その分余計見慣れないです。大きいですねえ」

と、時緒が微苦笑気味に答えれば、斬島が途端不思議そうな顔をした。

「お前の家の方が大きいだろう?」
「はい?」
「え、そうなのかい?」

何ということを言うのか。いや、別に間違ってはいないのだが、比べる対象がそもそも間違っている。建造物という点しか共通点が無い。時代も用途も素材も違う。

「それはだって、あそこはマンションですから」

ぱたぱた手を振って否定すれば、途端「ああなるほど」という顔をする佐疫と木舌。勿論斬島と彼らは、時緒のマンションが最安値でも1部屋5000万はする高級マンションということは知らない。

「あと、私の部屋は伯父名義なんです。元々は伯父が気軽に妹さん家族に会うために買った部屋で、それを厚意で私が使わせて貰ってるだけという」
「そうなのか」
「流石に未成年が保証人も無しには住めないですよ。入居審査も凄く厳し……」
「貴様等はいつまで駄弁っていれば気が済むんだ!!」

本日2回目となる谷裂のお叱りである。見れば、彼はもう建物の中に入っていたらしく、ちっとも追いついてこないこちらに痺れを切らし戻ってきたらしい。
内側から館の扉を開けて怒鳴る彼は、鬼らしく本当に鬼みたいな顔だ。金棒も相俟って鬼気迫る印象。このまま放っておいたらにょきにょきと角が生えてくるやも知れない。

「ぶふっ……!」

ついついそんなことを考えた時緒だが、どうやら口に出していたらしい。
まず木舌が噴き出した。佐疫もぐっと息を呑む。2人の反応に、「あ」と口を手で覆う時緒。

「何だ?」

ただ1名、聞こえなかった斬島だけが置いてきぼりになったらしく、実に困惑した顔をしていた。時緒は慌てて「何でも無いです」と首を横に振った。

「取り敢えず執務室の前まで一緒に行こう。その後はまずおれ達だけで入って報告するから、ちょっとだけ外で待っててくれる?」
「分かりました」

恐る恐る踏み入れた屋敷の中は、予想通りの内装だった。もっとじっくり見たかったが、遊びに来たわけではないので好い加減自重しなければならない。そもそも此処は彼らの居住場所でもあるそうだ。少なくとも、自分達の家の中をじろじろ見られるのはあんまり良い気分はしないだろう。

「じゃあ、此処で」
「はい」

幅の広い階段をあがり、2階に行った。広い窓と、レトロな電灯が規則的に並んだ廊下を歩くと、一際大きく立派な観音開きの扉が見えてきた。決して華美だったり豪奢だったりするわけではないのだが、どことなく意匠が違うのだ。「あ、此処絶対偉い人がいる。絶対ラスボスがいる」と思わせるオーラらしいものが出ている。
谷裂が彼らしい硬質的な印象のノックをし、「失礼します」と一声かけてから入っていく。次に木舌、佐疫。最後に斬島。斬島はちらと一瞬だけ肩越しに振り返り、時緒と目を合わせてきた。

「また後で」
「あ……はい」

それだけだった。それだけ言って、パタンとしまった扉の奥に吸い込まれていった。待たせることに罪悪感があったのだろうか。律儀なことだと思う。斬島らしいと言えば、そうなのかも知れないが。
誰かが来ても邪魔にならないよう、扉の脇の壁にもたれる。とん、と軽い音がした。微かに誰かの声が聞こえてくるが、何を喋っているのかは分からない。盗み聞きも悪趣味なので、敢えて聞こうとも思わないが。

「ふー……」

そっと目を伏せ、深々と息をつく。何だか少し疲れてしまった。額や首に手をやっても、先程まであった傷はもう、跡形も残ってはいない。ただブラウスやスカートの、既に酸化して赤黒くなった血痕が、傷を負っていたことを証明している。
……そういえば、こんな格好でお会いして良いものなんだろうか。今更そんな事実に思い至った時緒は、俄に顔色を悪くした。
相手は少なくとも斬島の上司である。それがどの程度の立場なのかは分からないが、取り敢えずこの汚れは物凄く拙い気がした。だが着替えなど当然持っていないし、そもそも着替える時間も場所も無い。

「どうしよう……」
「何が?」
「ひゃあ!?」

ほぼ無意識に呟いた独り言に相槌を打たれ、大袈裟に驚いた時緒は思わず1メートル近くその場から飛び退いた。見ればそこには先程扉の向こうに消えた佐疫がいて、時緒の様子を不思議そうに見ている。

「どうしたの?」
「あ、いえ、その……あの……」
「入室許可出たけど、ちょっと待った方が良いかな?」

わたわたと勝手に慌てている時緒に、しかし佐疫は親切だった。「どうしたの?」と尋ねてくれた彼に取り急ぎ服装のことを口にすれば、「大丈夫だよ」とあっさり太鼓判を押される。

「一応事情は先に説明したし、俺達も報告の時はそこまで綺麗な格好してるわけじゃないからね」

それは彼らがあくまで『部下』『身内』であり、『他人』の時緒とは立場が違うからでは無いだろうか。時緒はそんなことを考えたが、しかし此処でそれを口にしても良いことは何も無いと分かっていたので言わなかった。
しかし、何はともあれ此処がダンジョンの最深部……もといお遣い先である。時緒はこくりと喉を鳴らした。東京駅で買った土産物と、あとは鞄にしまっている筒を確認する。

「えと、失礼します」

佐疫が開けてくれている扉の隙間から、そっと身体を滑り込ませる。部屋の床は板張りだった。奥の壁には大きな窓。そしてこちらを向くように設置された、広い執務机。それを挟んで窓側に立っている長身の男を視界に入れた時緒は、間抜けなほどにその両目と口をぽかんと見開いた。
――とても背の高い男だった。180後半はあるだろう木舌よりも更に10センチは高い。斬島達と同じ制帽を被り、同じデザインのロングコートを身に纏っている。筋肉質でがっしりとした体格は、その厚いコートの上からでもはっきりと分かった。
ぱっと見の年齢は40前半程度だろうか。全体的に掘りが深く、目鼻立ちのはっきりとした、精悍な面差しは秀麗。年齢を重ねた大人特有の色気と魅力が満ちている。赤みの少ない褐色の肌が、その不思議な艶を更に助長していた。
美しい細工の煙管を咥えたまま、男性は微かに眦を細めた。まじまじと自分を見つめる時緒を不快そうに見るでもなく、寧ろ妙に楽しげですらある。
対して、時緒の視線は移ろわない。瞬きすら忘れてしまったかのように、男の顔をとっくりと見上げている。隠す様子も無い驚愕に満ちた反応に、他の獄卒達が大なり小なり戸惑った顔をした。

「時緒?」

斬島が声をかけるも、時緒はそちらを見ない。聞こえてもいない。ただただ部屋の最奥に立つ男の顔――その、鮮血にも似た赤い瞳を見つめている。

「斬島から報告を受けたときに、もしやとは思ったが……」

男性が徐に口を開いた。「肋角さん?」と谷裂が問うも、彼もまたそちらに視線を向けない。つかつかと机を横切ってこちらに来たかと思えば、時緒のすぐ真正面に立つ。そうして酷く愉快そうに、時緒の顔を見下ろした。

「久しぶりだな、『お嬢さん』。元気そうで何よりだ」

うっすらと笑みを浮かべる男性。その刹那――時緒もまた大きくその表情を蕩かせた。『笑み崩れる』という表現そのままに頬を染め、満面の笑みを浮かべ、

「――『おじさま』っ!」

此処が何処かも、周りに誰がいるかもすっかり忘れ、その広い胸板目掛けて飛びついたのだった。

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