暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 自業自得

ポー、と高らかな汽笛の音が聞こえる。
その音につられて上空を見上げれば、蒸気機関車が黒い龍のようにうねりながら宙を走るのが見えた。鉄橋の下からでも何でも無く、本当に自分の真上を不可思議な力で汽車が走っているという、お伽噺そのままのようなワンシーン。心なしか、石炭を焚いたものと違い、伸びている煙の筋は白っぽくて湯気のようだ。

「凄いなあ。誰がどうやって飛ばしてるんだろ」

妖の術か、或いは念力のような超能力だろうか。人間にも真似出来るものなら、現世でもいつかは導入できるかも知れない。……まあ、色々な意味で当分先になるだろうが。

「ね、斬島さん。あれって観光列車は出てないんですか? 此処の上空を夜にぐるっと一巡するとか、そういうツアーがあったら絶対素敵だと思うんですけど」

昼間でもあれだけ見応えのある風景だったのだ。夜はさぞかしもっと美しくて幻想的だろう。わくわくと瞳を輝かせる時緒だったが、斬島の答えは「そういったものは無い」という、実に端的なものだった。

「汽車の上空走行を禁止している区画もあるからな」
「そうなんですか? 裕介君達も絶対喜ぶのに」

残念、と小さく肩を竦める時緒。遠ざかっていく汽車を見つめる双眸は何処か名残惜しげだ。その様子が不思議だったのか、斬島は小さく首を傾げた。

「現世にもああいった移動機関はあるだろう。別にアレに拘ることはないんじゃないか?」

まあ確かに、ただ移動するのであればあの列車よりも飛行機の方が断然早いだろう。が、時緒が言っているのは当然そういうことではない。求めるのは、あの美しい童話の世界のような幻想的で優しい、少しだけ切なくなるような景色と体験なのだ。

「それじゃあちょっと雰囲気に合わないんですよ。こう、ロマンが足りないっていうか」
「浪漫?」
「電車でも飛行機でも無く、『機関車』っていうのがポイントなんです。別に船とかでも良いんですけど、やっぱりこういう時に思い描くのは汽車なんですよねえ」

別に電車が悪いとか飛行機が嫌だとかそういう問題では無く、ただやはり童話の世界の乗り物といえば、やはり一番は機関車なのだ。ただそれだけの話である。ちなみに『銀河鉄道の夜』は、時緒の愛読書の1つだ。

「そういうものか」
「そういうものです」

微かに首を傾げた青年の真似をするように、向かって同じ方向に時緒も頭を傾ける。不思議そうながらも何とか納得したらしい斬島に時緒が微笑めば、タイミングを見計らったように小さく噴き出す声が聞こえた。

「何だ、木舌」

斬島の言葉に、くくくと背中を震わせて、肩越しに振り返ってこちらを見やる木舌。柔らかに垂れた花緑青が潤んでいるのは、確実に笑いすぎているせいだろう。

「ふ、あははっ……ごめんごめん。いや、仲良いなあと思ってさ」
「そうか?」「そうですか?」

殆ど同時に首を傾げる両名。それがますますツボに入ったらしく、木舌は今度こそ大声で笑い出した。佐疫がこら、と窘めるものの、彼も小さくくすくす笑っている。やたらと微笑ましいものを見るような目を向けられ、斬島と時緒が思わず顔を見合わせた次の瞬間、

「貴様等何をグダグダしている! さっさと歩かんか!」

ただ1名、真っ直ぐ歩き続けていた谷裂の怒号が飛んだ。周囲の視線が一斉にこちらを向き、固まっていた4名は早足で10メートル近く離れていた彼に追いつく。

「ごめん、谷裂。待たせちゃったね」

佐疫が代表して謝罪するも、谷裂の眉間の皺は深くなる一方である。

「すみません。色々と物珍しくて、つい」

時緒も重ねて頭を下げた。そもそもの原因は、自分が斬島に余計な話題を振ってしまったことにあると自覚しているが故である。
しかし谷裂は不機嫌そうに眉根を寄せると、何か言いたげな顔を一瞬したものの――結局時緒を一睨みするだけで踵を返してしまった。最初に駅前で会ってから、彼は徹頭徹尾こんな顔をしている。元々の沸点が低いのか、たまたま虫の居所が悪いのか、初対面の時緒にはいまいち判断がつかない。

「嫌われちゃってますねえ」

ただ少なくとも、自分の存在が彼の苛立ちの遠因であることくらいは察しがついた。別に直接何かを言われたわけではないが、時折肩越しに刺すような視線を向けられていれば、彼が時緒をあまり良く思っていないことくらいはすぐに分かった。

「谷裂は肋角さんが大好きだからね」

木舌曰く、生者で術師の端くれに過ぎない時緒が、彼らの上司に直接お目通りするというのが、谷裂にはどうにも腹に据えかねることらしい(実際の彼の科白は、もっとずっとオブラートに包んだ優しいものだったが)。

「悪い奴じゃないんだけど、まあちょっと、その、頑固なんだよ。ごめんね?」
「いえいえ」

別に木舌が謝るようなことではないし、そもそも時緒は気にしていない。要するに谷裂は「大事な身内に得体の知れない奴を近づけたくない」という当たり前の感情を燻らせているだけに過ぎないわけだ。イレギュラーで異物なのは時緒の方なのだから、これで腹を立てる方がどうかしている。

「その『ろっかくさん』という方は、きっと本当に素敵な方なんですね」

時緒がにこにこしながら言えば、木舌の目がぽかんと丸く見開かれる。垂れ目がちで見るからに柔和そうな花緑青は、そうしていると本当に宝石のようにも見えた。

「……だねえ」
「はい?」

やがてふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた木舌だったが、独り言らしい呟きは、声が小さすぎて聞こえなかった。思わず聞き返したが、木舌は「何でも無いよ」と、何を言ったのかは教えてくれなかった。あとはただ、邪気の無い微笑を見せるだけ。

「そろそろ着くよ」

時緒が小首を傾げた丁度そのとき、またもさっさと距離を取っていた谷裂との丁度間を歩いていた佐疫が口を開いた。先を歩く谷裂を見失わず、尚且つ時緒達からはぐれない絶妙な距離感だ。……何というか、卒の無いひとだと思う。

「あ、そうだ。斬島から聞いたんだけど、凄く美味しい糠漬け作ってるって本当?」

突然そんなことを聞いてきた木舌に少々戸惑いつつも、時緒はおずおずと頷いた。

「凄く美味しいかは分かりませんが、糠床のお世話はしてますよ」
「そっかあ。あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、糠床って作るの大変? おれ、ちょっとやってみたいんだよね」

木舌はそう言ってへらりと笑う。

「1日あたり1回から2回、きちんとかき混ぜられるなら問題無いと思います。何か食べたいものがあるんですか?」
「うん。この間『ふぐの子』っていう糠漬けをテレビでみたんだけど、それが凄く美味しそうでさあ」
「! 知ってます、石川県の特産ですよね」

ぱんっ、と手を打つ時緒に、「ふぐの子?」と斬島と佐疫が首を傾げた。

「ふぐの卵巣を塩漬けにした後糠漬けにして……2年だったかな? そのくらいするとテトロドトキシン(ふぐ毒)が分解されて、食べられるようになるんだそうです。お茶漬けからオーブン焼きまで色々出来て、あとは焼酎とかお冷やとか、お酒にも凄く合……」
「わー! わー!!」

途中までにこにこ聞いていた木舌が、突然大声(奇声とも言う)を上げて話を遮った。しかし既に後の祭り。ジャキン、と外套の影からリボルバーを取り出した佐疫が、「木舌?」とにっこり笑顔をつくる。

「ねえ木舌、俺確かに昨日言ったよね? 好い加減飲み過ぎだから暫く禁酒だって。木舌も『分かった』って言ったよね? 俺は確かに聞いたんだけど、あれは嘘だったの? 昨日の今日だよ? ねえ? ねえどうなの? ねえ??」
「あ、あはははは……ちょ、ちょっと待って佐疫。怖い。顔怖いから。佐疫! ごめん! ごめんってばごめんなさい!!」

ぐりぐりとリボルバーの銃口を木舌の顎に押しつける佐疫と、悲鳴を上げて謝り倒す木舌。まるでギャグマンガか何かのワンシーンのようだ。但し、使用している拳銃は本物。

「もしかして私、凄く拙いこと言っちゃったんでしょうか……」
「お前が気にすることじゃない。元々木舌は度を超えた酒好きだ」

――ちなみに『ふぐの子』の糠漬けはそもそも何故その製法でテトロドトキシンが分解されるのかが解明されておらず、ふぐ加工の免許がなければ製造は禁止されている。更に付け加えるなら、製造した後も毒性検査をパスしなければ出荷されないという、当たり前だがなかなかにハードな条件で市場に卸されている。
要するに、素人が適当に作ろうとしても上手くいくわけがない上に作れば犯罪になるので、間違っても真似をしてはいけない。

[ back to index ]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -